茅   (つぶやき) | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

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旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

これは茅ですか?

 

 

 

 

4月の終わりにはこれくらいだったのが

 

今は私の身長よりもずっと高いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この夏

 

だんな君が出張の時の1人の日の楽しみを見つけました。

 

 

普段の朝は起きたらご飯の支度ですが、

 

空きっ腹のまま朝のお散歩に出てしまってもいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は夕方のものですが

 

茅が風でさわさわと触れ合う音が心地よく、

 

でもさびしげで、

 

 

そして朝ならば昼間より水中の小魚がたくさんよく見えるのが楽しげです。

 

 

(なるほど朝のお散歩を習慣にしているおじいちゃんたちが

 

 釣りをしたくなってしまう気持ちがわかります。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光の加減?

 

それともやはり朝の方が水が澄んでいるのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

家を出てから帰るまで10分足らずの散歩。

 

お買い物してきてもプラス数分。

 

 

 

 

「私の夏休み」の楽しみ・・・

 

あはは。でも実はまだ1度しかしていないのです。

 

 

 

 

 

 

前は1週間くらいの長い出張の時は、靴を全部出して、

 

磨いたり、洗ったり、風を当てたりを2〜3日かけてやってみたりしたけれど、

 

 

今は「ミシンを出しっぱなしにできるなあ。」と考える。

 

 

 

 

 

この間は枕カバーを2枚新調。

 

古い2枚もミシンで繕って、

 

 

パンツも縫い上げて・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのお供にも

 

中学の入学祝いに買ってもらった針箱。

 

 

 

 

 

針山の部分の布をはがして、

 

乾燥させたコーヒー豆を入れたら針の布通りが

 

格段によくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

針供養

 

十六団子の日

 

茅の輪くぐり

 

 

 

 

 

 

私の生活の中にはないけれど、1年の決まった時期の風習は、

 

必要なことと必要な時期を教えてくれるものみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

想像をはるかに超えて抜群に美味しかった前回の出張のお土産のナッツは、

 

空港で買ったそうです。

 

 

いつもいろんな種類のナッツを常備しているけれど

 

「ナッツを食べると元気になるね。」

 

とふざけて何度も声に出しながらハイキングした5月のはじめのことを

 

覚えていてくれたのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来週行く場所のことを

 

「行ってみたい?」と聞かれたけれど

 

それはもちろん行ってみたい。

 

日本を離れるのはたった6日間だけど初めて国境を鉄道で超えるらしい。

 

それもとてもうらやましい。

 

 

 

 

 

 

 

でも毎年の4日かそこらのお休みでは、とんぼがえりになっちゃうよ。

 

ベランダの水やりのことだってある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も秋にとるらしい夏休み。

 

その前に来週もまた「私ひとりの夏休み」。

 

 

 

 

 

 

 

でも最近ちょっと疲れがぬけないから、いろいろ考えてみたら

 

今はちょうど一年の半分がすぎたところ。

 

梅雨が終われば血圧ももうすこしあんていするだろうけれど

 

秋までにはちーーーっと元気になっておきたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調べてみたら、

 

「茅」はイネ科の植物の総称なのですね。

 

人の手で植えられたこの茅は水鳥の子育てがひと段落ついた今

 

「輪」を作るために採る人の姿もなく、

 

このまま秋のお月見が過ぎるまで大きいまま待っています。