山崩れ豊作説② | 足尾鉱毒事件自由討論会

山崩れ豊作説②

被害地の豊作に関する明治36年の正造の虚言を、もう少し具体的に説明しましょう。
この時彼は、わざわざチラシを印刷して配布したので、全集にはそれが正確に採録されています。
東京市神田区小川町内田方「鉱毒民宿所」が10月29日に発行したことになっているその内容は、以下のとうりです。


激甚地の一部は5倍以上の豊作なり。(しかし、原因は)予防工事の効能ではない。」


「予防工事は昨年ことごとく破れて、5ヵ年間積もりおきたる毒は一時に流れ出たるほどなりしも、これと同時に10里以上の山々崩れ、新たなる山土は天然の新肥料となり、稲は旧年に比して5倍の豊作となれば、いかなる愚鈍、いかなる馬鹿にも新土のためなるを解し得て、今は3歳の小児といえども予防工事のためでないと認めたれば、今回は、政府の官吏中にすら鉱業停止論を主張する者あるに至れり。」


山崩れの土が何十里も離れた被害農地の上に堆積することなどあり得ませんから、これがいかに馬鹿馬鹿しい嘘か、誰しもすぐわかると思います。「馬鹿でも幼児でも山崩れ豊作説を理解している」と断っていることに、しかし、「まずい嘘をついている」との自覚がほの見えています。


しかし、公害学者の宇井純や、岩波新書の『田中正造』の著者由井正臣などの権威ある学者が、このお粗末な嘘を信じてしまったため、この捏造話が真実の話として、常識になってしまったわけです。本当に困ったことです。


正造は嘘をつくだけでなく、執拗にそれを信じ込ませようと農民たちを説得しています。次回にはそのことを説明します。