事実を無視した 『角川新版・日本史事典』 | 足尾鉱毒事件自由討論会

事実を無視した 『角川新版・日本史事典』

足尾鉱毒事件の解説文の引用と私のコメントを並べます。


当初、古河は示談でことをおさめようとしたが、96年(明治29)の大洪水で被害が深刻化し、被害民たちは97年(明治30)から4度にわたって上京、直接政府に操業停止を訴えた。」


古河と被害民との仲裁交渉は、速やかに行われ、今のお金に換算して10億円が支払われました。
公害の歴史で、これほど見事な例はないのに、古河がずるく立ち回ったごとくに書かれています。


政府は古河に鉱毒予防工事を命じる一方、1900年(明治33)群馬県川俣で上京途中の被害農民を警察、憲兵が弾圧した川俣事件を機に運動の沈静化をはかったが、田中正造の天皇への直訴で世論は再び沸騰。」


工事を命じたと書きながら、この工事で農地が回復した重要な事実は全く伏せてあります。
一方、政府が農民を弾圧したと強調していますが、川俣事件の年の秋には農地が一部回復し、反対運動は自然に沈静化しました。
世論が沸騰したのは、現地ではなく、事情に疎い東京の学生や社会運動家たちで、農民は直訴を批判しています。


「政府は、鉱毒問題に終止符を打つため、渡良瀬川下流の谷中村をつぶし、遊水池をつくろうとしたが、谷中残留民の根強い抵抗が続いた。」


政府は、鉱毒問題が解決したので、洪水予防対策として、谷中遊水池案を立て、上流の沿岸農民もこれに賛同したのです。
谷中残留民が抵抗するのは当然ですが、上の記述は、事実ではなく、谷中村民への同情を強調した主観的解説になっています。

この辞典の編者は、京都大学名誉教授・朝尾直弘、千葉大学名誉教授・宇野俊一、奈良国立文化財研究所長・田中琢の3氏です。