詳しい経緯が何もわからないのではっきりいえないが、目黒区の幼稚園開園を反対する老人というのかジジババというのか後期高齢者というのかとにかく晩節を迎える220名が反対しているという。

じーさん、ばーさんよ。ひとこと。

ボブ=ディランが70年代の唄で言っている「アンタたちの時代は終わった。」もう、思い煩うことなく、若い世代に委ねればいいと思う。

最近の彼らは若い人たち以上に呆れること、多いわ。

バス停でも、並んでいるのに平気で横入りするジジババ。どこでもしゃがみ込むジジババ。晩節を汚してどうする?

ただでさえ、少子化なんだから、子供は大事。率直にいうとアナタたちよりも・・。これから税金を払う人たちなんだから。「子供は育てるな!」、「でもオレたちの面倒は見ろ!」アナタたち、矛盾していませんか???

そして、自分もガキだったでしょう? そして、アナタたち、自分の家建てる時だって騒音出したんですよ。もう忘れているのでしょう。それなのに、人が家を建てるときに文句を言ったり、自分も死体になるくせに遺体安置所を作るのを阻止したり、大地震の瓦礫を置きたくないと駄々こねたり、ようするに自分さえよければ良いんだ、こういう人たちは。

子供が幼稚園で騒いでいったい何が悪い?

子供が幼稚園で騒げなかったら、ストレスで別の公共の場(バスやレストラン)で騒ぐよ。

ともかく!!

子供達が将来納税してくれなきゃ生活できないんだから、彼らが大人になったときに迎える困難の時代を迎えるまで、せめてのびのび育ててあげようよ。







懇意にしている人から手紙が来た。母からも手紙をもらったと。僕も同時に同じ人に手紙を宛てていた。母子の血は争えないなとクスリと笑ってしまった。

母の手紙には「人生は苦難の連続といえども、それでも戦争のない空の下に生きていられることに幸せを感じます」とあったそうだ。

本当に、世界は戦争に向かっている。戦争によって戦争を解決しようとしている。結構ヤバい時代にいよいよ入ってきた。

日本も然り、この国の若者をみていると自意識過剰なわりに、他人のことに無関心すぎ。他者の痛み、他者へ対する慈しみ、思いやりに欠如している。前頭葉がいつまで経っても発達していないような気がする。ツルッツルの前頭葉。大人もそう。本来お手本になるべき年長者(シニアや熟年層と呼ばれる世代)が行動で次の世代に手本をまるっきり示していない。みっともないジジババが多すぎる。並ばない、かけこみ乗車、すぐキレる。みんなイライラしている。

日本の教育だって、間違っていないだろうか? 

自分の国の国歌を遮ったり、国旗掲揚をしない学校がなんでその国に存在するんだ。反日教育をする輩、コイツらの正体に皆うすうす感じているはず。パチンコで全財産と家族を失う輩、一体だれに骨抜きにされてる?国内で同胞殺しを引き起こそうとしている。決して大げさではない。日本でジェノサイドなんて起こってほしくない!

自分の身は自分で守らなくてはいけない時代にきた。誰も君のこと、守ってくれないよ。

個の尊重は大事だが、日本人は個人主義を欧米並みに解釈できるほど成熟していない。個人主義を輸入したつもりでも、ただただ骨抜き教育に利用されているだけ。夏目漱石が英国から帰ってきて学習院で「私と個人主義」と銘打った講演から100年経っても、今なお真の意味での個人主義を確立できていない。日本での個人主義は利己主義と同義。だからいつまで経っても“他”を認められない。甘ちゃんのままなんです。

あ、本文と写メのねこさんは一切関係ありません。癒しにどーぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=7SX-HFcSIoU

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東日本大震災が発生して早いもので丸4年が経過した。春がまた訪れる度、僕らはこの出来事を思い出してゆくのか。

今回多くのメディアで「この未曾有の大災害を“風化させてはいけない”」と発言するのをあちこちで聞いた。つまり、風化しているからこういう発言になるのだ。

大地震の時僕はリスボンにいて、ポルトガル人の暖かさに触れた。

「宿代なんて払わなくていいから、落ち着くまでここにいればいいよ」
とホテルのオーナー。

「家族と連絡取れた?ホテルの電話好きなだけ使っていいからさ」
とフロントのデューティーマネージャー。

公園のベンチで途方に暮れていると、杖をついた皺々の手で老婆が震えながら手を握ってきてくれた。あの老婆のカーディガンは薄桃いろをしていたのをなぜか覚えている。ああいうときのカソリックの慈愛や相互扶助の精神はとても強い。しかしこれらの人々を驚かせたのは、市原臨海のガスタンクの爆発映像でもなく、津波の映像でもなく、被災地でじっと、列に並んで取り乱さない東北の人々の押して忍ぶ姿だった。

街の7割が損壊したという1775年のリスボン大地震を経験してきた彼らの子孫がその助け合いの遺伝子を継承し、21世紀にもそれが息づいていた。それが大地震以来、僕の生きる糧となってきた。After The Deluge ー ノアの大洪水のあと、生き残った者は先立ったものの魂を受け継いで、死に物狂いで生きてきた。死に押しつぶされないように。

Some of them are dreamers, some of them are fools... 
 現実を見ようとしない者、愚かな者・・
 
ではじまるジャクソン=ブラウンの73年の作品 大洪水のまえに(Before the Deluge) の出だしの歌詞だ。
 災害を喰い物にする福祉団体(“大雪りばぁねっと” で検索してください)。世界中から集まった寄付をとんでもないところに使う日本政府。そしてその行方をしらない僕達・・。
 被災地復興のために国庫から20~30兆円近くが国中に(東北だけではなく国中に!)ばら撒かれた。復興支援予算50億近くが47都道府県にばら撒かれた。それが全く別の出会い系対策に使った県もある。じゃあ、東電は何をしてる・・? 政府は何を隠してる? どんな真実を僕らはまだ知らされていない!??これらの行為を決して風化させてはいけない。それが僕達に与えられた使命だ。

どれだけ転んでも立ち上がるように、悠久の歴史の中で、人類にプログラムづけられている。

And when the sand was gone and the time arrived
  嵐が去り、ついに来たその時、
In the naked dawn only a few survived 
 むき出しの大地に生き残った僅かな人たちは
And in attempts to understand a thing so simple and so huge
 立ち尽くしたまま、起こった出来事のあまりにもシンプルで大きいという事実を
 打ちひしがれながら、それでも受け止めるしかなく 
Believed that they were meant to live after the deluge.
 生きてゆくことを運命付けられているのだろうか、
 この大洪水のあとに・・

Let the music keep our spirits high
 歌い続けよう
Let the buildings keep our children dry
 瓦礫が子供達のこころを荒廃させてしまう前に
Let creation reveal it's secrets by and by, by and by
 生き続けることで、生き続けるその意味がいつか解るように・・ 
 少しづつ、すこしづつ・・
When the light that's lost within us reaches the sky
 壊れた街灯の下で私達が失った光が再び空から大地を照らすまで・・
                                            (拙訳)

年越しはマゼラン海峡でペンギンたちと・・。


あけまして、おめでとうございます。

♪ メリークリスマス ふいに誰かの悲鳴が聞こえた
正面のスクリーン 激しい爆撃を繰り返すニュース

メリークリスマス 僕には関係ないことだと言い聞かせ乍ら
無言でひたすらに歩いた (さだまさし 遥かなるクリスマス)

年が明けても、世の中では多くの人が苦しんでいる。

♪人々はもう気づいている 裸の王様たちに大人たちが本当のことを言えない(さだまさし 同曲)

かつて何度もシリアで現地を案内してくれたダマスカスの国営テレビに勤めていた友人が弾(タマ)に当たって死んだときいた。

ベトナム戦争も、70~80年代の中南米すなわち極右軍事政権と合法選挙で樹立した社会主義との戦いも、そしてシリアも、全ての戦いは世界権力(Hegemonic Statesー世界覇権国家, World Orderー世界秩序・・体制側)に操られている。

シリアのダマスカスでサリンが捲かれたとき(2013年4月)、メディアはこぞってアサド側を批判した。でも今ネットなどで徐々に真実が暴かれようとしている。本当はオバマ政権を戦乱の巷へと巻き込もうとしたイスラエルや腐敗したSaudi(サウディアラビア)の差し金だったことが。

命をかけてこの事実をカルラ=デル=ポンテ(元)国連戦争犯罪検事らが世界に伝えようとしている。命をかけてと簡単に言うがこの人たちは本当に文字通り体を張って生きている。心からの敬意を払いたい。

イスラム国 - Nation of Islam.. これだってサウディのワッハーブ家が資金源となっている。一党支配というか石油の利権で一族(王族)が世界に戦争を混乱に落としいれようと、背後からバックアップしている。

真実はゆっくりと、メジャーメディア(テレビ、新聞)ではなく、ネットを使った伝播によって暴かれる。だれがキングで、だれがジョーカーをなのか。誰がトリガー(引き金)を引くのか・・。

権力に屈することなく、真実を求めて命にひとつやふたつくれてやらぁという気持ちで真っ向勝負を挑み正義を追求するあなたたちに心の平和(サラーム)が訪れますように・・。


そして今年の我がチーム、東京ヴェルディが強くて傲慢でパスワークで相手を小バカにするようなふてぶてしいほどのプレーで我々を魅了してくれますように!


 (パレルモのとあるスタジオにて 12/1))

 パレルモ。ポルテアーマ劇場に面するホテルで目覚めた日曜の静かな朝。夕べの広場の喧騒がまるでうそのようだっだ。

「今朝、久しぶりに夢を見ました。貴女の夢です。あまりにもリアルな夢で真夜中目が覚めて、再び眠りに就いてもまた貴女の夢を見ました。

今、目を覚まししばらく頭の中で整理するまでに時間がかかりましたが、しばらくして合点がいきました。貴女が日本を立ってちょうど丸2年が経つのですね。」


しばらくこのメールを彼女の送ろうかと考え、やめた。彼女が自らの旅立ちの日を忘れるわけがないし、送ったところで、だから何?となってしまうのは目に見えている。

しっかりと眠れなかった体はどこか緊張しており(まあ南イタリアに10日もいればそうなるか)、今日一日、パレルモの喧騒(というかカオス)に耐えられるか・・一抹の不安を覚えた。

現地プロモーターが近所のスタジオへ連れて行ってくれた。体脂肪すらみられない美しい肢体をもつベッロたちが念入りに体をほぐす。見ていて僕の緊張も次第にほぐれていった。取り除けない凝りでも時間をたっぷりかければやがてほぐれる、ということだろうか。


So we beat on.. 時は流れた!それでも思い出は波のように押し寄せる。僕達は思い出という逆流に絶えず抗いながら、力の限り漕いで往く・・(それにしてもなんとなく華麗なるギャツビーを意識した終わり方だなぁ・・)。

パレルモの度肝を抜かれたイカスミパスタのおはなしはいずれ・・