以前、片山さつきの糞ババァのことを書いたが 、未だ生活保護問題のことがくすぶっているようである。
この問題が上がって、河本叩き派と片山叩き派が出てきたのだが、大体が芸能人が出てきた時点で十中八九、厨房ネタ(生活保護問題自体は厨房ネタではないが)であり、国会で議論する内容ではないことに気付かなければならない。河本叩き派はそれすらも気付かないバカ集団なのだが、、、困ったものである。


まんまと法律家の詭弁にハマったわけだ。つまり、このバカ集団は扶養義務。これにだまされたのである。よく法律家は義務だとか責任だとか権利だとか言うが、このような言葉がでたら疑う必要がある。というのも法律家の詭弁というものは、こういうところに潜んでいるからだ。バカ集団は"扶養義務 "になんら疑問を持たなかったのである。それどころか片山の糞ババァを支持するデモをするようなことを言っているのだから世も末だ。


義務1  義務2


生活保護を考えるにあたって、不正な生活保護の受給というのは最悪なことではない。最悪なのは生活に困った人が申請しても拒否され、死に至るケース。これが最悪といえよう。実際にこのようなケースがあるのである。そしてこれらのケースで浮き彫りになる問題に扶養義務があるのだ。
北海道で餓死したケースでは別れた旦那に扶養義務があると役所に言われたのだが、別れた原因はDV(ドメスティック・バイオレンス)であり、書類を出すに出せない状態だったという。
ちなみに欧米では扶養義務は法律にないそうである。それどころか日本でもはっきり(曖昧)と法律で扶養義務を示していないそうだ。そもそもこちらの事情も知らない赤の他人に、なぜ親の面倒をみるのは子の義務だと言われなきゃならないのだろうか?


では生活保護は本来どうあるべきかを考えてみる。これは今までの考え方を改め、本人主義にすべきである。「生活が苦しい」と生活が苦しい本人が言えば全て受け入れる。のである。家族が居ようが居まいが本人が言っているのだから生活が苦しいんだろうと思えばいいだけの話である。
そうすることにより生活保護の申請の手続きが今までの10分の1位(決してオーバーなこととは思わない)になる。そしてこの浮いた時間で家庭訪問をすればいいのだ。そうすれば餓死者も出ず、不正もやりにくくなるのである。(申請を厳しくしたところで不正をする奴はする。もちろん家庭訪問も同様であろうが)
"本来"生活保護はそのようにあるべきだと俺は思うのだが、大阪のように万単位で生活保護者がいるとなれば、やはり集合住宅に入居させ、給食を出す。というふうに制度そのものを考え直した方がいいだろう。


さて、片山の豚だが、あの豚にこのような考え方ができるのだろうか?俺は断言する。あの豚には出来ない。と。
問題が生じれば単に法律を厳しくする。不正が出れば単に申請を厳しくする。だけだろう。人を貶めて得意になっているような奴ではな。
河本は高額所得者だったわけだが高額所得者はそれ以上の税金を払っているのである。しかも受給者本人ではないし、それなりの奴(役人?)と相談しながらやったことなのだ。何が悪い?


世の中には「生活が苦しい」と言って少ない金をせびる人間と、それらしいことを言いながら高額をせしめる能無しの政治家、役人がいるわけだが、それらに支払わられる金はどちらも同じ税金なのだ。だったら俺は能無しに払う高額な税金をやめてもらいたい。と主張する。


尚、財政問題>>>>>生活保護問題である。仮に生活保護問題を解決したところで癌の末期患者が料理した時出来た切り傷を治すようなものである。畑でも耕しておけ



参考

詭弁=道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論
1 権利とは  2 権利とは  3 権利とは 義務 人権とは
責任1 責任追及と原因追究  責任2 法律における責任  責任3 まとめ