この度、十二使鳥を改め、ど真ん中太郎ということでユーチューブとにこにこ動画で動画デビューしますた。
ユーチューブ
https://www.youtube.com/channel/UCi4hpzSA4zdhVgU23LOa_nw
ニコニコ動画
は、マイリストの設定がうまくいかなくて出ないので、ど真ん中たろうで検索。

ということで、投稿しますたが、もうやる気がなくなりますた。
ま、気が向いたらまた投稿するけど、今後の投稿は未定。


経済学者のお偉いバカ共がなんと言おうが、今はインフレである。食料品や光熱費は上がる一方だ。つまり貨幣価値が下がりっぱなしなのである。つい最近ラジオで「デフレ脱却を・・・」どうたらこうたら未だに言っていたのだが、裸の王様といえよう。見たまんま。どう見てもインフレだろうが!
世間はどう見ても裸の王様なのに、その王様が服を着ているように見えるようである。いらない知識に騙されて、、、

さて、このインフレはいつ頃から始まったのだろうか?もちろんアベノミクスとは全く関係がない。なぜならば安部が就任するずぅっと前から始まっていたからだ。
俺のブログでは
1 今、日本はデフレなのか?  2 今、日本はデフレなのか  3 今、日本はデフレなのか? の2011-11-20の時点で俺はインフレを示唆している。そして時が経った今なら言える。"リーマンショックあたりから"とするのが妥当であろう。
2011-11の時点ではリーマンショック辺りから食料品や光熱費が高くなっていると言った程度で電化製品とかは安くなっていたのだが、今や電化製品も高くなり始めてきている。今後も物価上昇基調になるだろう。・・・その割には給料は未だに上がらんな。
「自殺」改め「自死」…島根県文書、遺族に配慮
読売新聞 3月30日(土)12時54分配信
 島根県は自殺対策総合計画の名称を「自死対策総合計画」に改め、4月から市町村への文書でも「自死」という語句を使うことを決めた。

 自殺という言葉のイメージを嫌う遺族が多いため。内閣府などによると、行政文書で「自殺」を「自死」に統一する自治体は全国で初めてという。

 計画は県の自殺防止策の基本方針を示し、2012年度末が改定の時期。遺族から「自殺の言葉には自分を殺した人というイメージがあり、死者の尊厳も守れない」との声が寄せられ、表現を改めることにした。

 パンフレットや通知文、県の資料などで「自死」と記載。県は「新しい表現で遺族への偏見をなくし、自死予防を進めたい」としている。

 全国自死遺族連絡会(仙台市)の田中幸子代表(64)は「画期的だ。各地の遺族団体が要望しており、大きな一歩。他の自治体にも広がってほしい」と話した

 という記事があったのだが、ちゃねらーのレスは妥当だろう。馬鹿丸出しである。
        ・・・・・・・・・・・・・

 ま、妥当ではあるが、それで終わらすのもなんだし、もうちょっと突っ込んでみることにする。

 自殺もそうだが、殺されたりした被害者遺族。俺はそれらの遺族になったこともないから遺族の気持ちなんて知らないわけだが、気の毒と言えば気の毒な話である。しかしながら、この遺族ってのは。かなり無茶なことばかり言ってくるから要注意である。遺族の言葉は聞き流したほうがいい、、、、いや場合によっては、しっかり断るべきだろう。出来ない。と。
 遺族の気持ちを親身に受け止め、出した結果がこの有様である。死人を生き返らすことは出来ない。このことに関しては人は無力だということしっかり悟るべきだ。
 なにかしてやれることは・・・と他人が考えたところで、基本的に出来ないことであり、出来るとしたらせいぜい遺族への金銭的アフターケアといったところだろうか。(精神面でのアフターケアはなお困難だと俺は思う)

 さて、自殺問題。自殺問題が時々
取り沙汰される訳だが、問題の解決には原因の究明が必要となる。そして調べると自殺の第一位は健康的理由。ま、病気だな。
 病気にもいろいろあって直る病気もあれば不治の病ってのもあるわけだが、治れば自殺はしないだろうし、自殺の十中八九は不治の病といってもいいだろうこれは政治家の仕事ではなく医者の仕事ということになる。
 第二位は経済問題。でぇ、年金の受給を引き上げます。生活保護費引き下げます。が現状であり、政治が自殺者を増産しているわけである。政治家は自殺問題を取り上げる前にすることがあるのでは?(もはや経済立て直しは、不可能だろうけど)
 第三位が家庭問題。日本の人口一億二千万。千差万別。個々の家庭をみるわけにはゆくまい。

 自殺の原因トップ3で7割といったところか。ま、政治家の出る幕ではないってことになるな。

 そんな訳だが俺なりに自殺をちょっとでも減らすわずかな可能性を上げてみることにする。それは敬語の禁止
 この狙いは人と人との繋がりを密にすることにある。人間、死にたい。と思うことはそれほど特別なことではない。それでも親のことを思えば死ににくくなるものである。人との繋がりがブレーキになるのだ。敬語というものは人を敬うことよりも、人を遠ざける効果のほうが遥かに大きいものである。友人に敬語を使うかね?