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早起き税理士・会計士の「本業ブログ」 by 船戸明会計事務所

毎朝4時起き、スポーツと読書が大好きな税理士/公認会計士がお送りする税務・会計に関する本業ブログです。
トピックスやふとした疑問から、税務・会計の話題を毎日お届けします。

皆さま、こんにちは。
税理士・公認会計士(船戸明)の「本業ブログ」にようこそ。

「対話」というのは、言い古された表現ですが、キャッチボールだと思います。まずは相手のボールをミットで受け止める。その受け止めたボールを、自分なりの力で投げ返す。今度は相手がミットで受け止めて、ボールを投げ返してくれる。ときに暴投になったり、うまく受け止められなかったり。そんなことを繰り返しながら、ボールを投げては返すという時間を繰り返す。

 ボールを言葉に、ミットを相手の言葉を受け止める態度に置き換えると、それが対話なのではないでしょうか。劇作家で演出家の平田オリザさんは対話についてこう語っています。

「「対話」は、AとBという異なる二つの論理が摺りあわさり、Cという新しい概念を生み出す。AもBも変わる。まずはじめに、いずれにしても、両者ともに変わるのだということを前提にして話を始める」(『わかりあえないことから』、講談社現代新書、P.103)。

 兵庫県知事を見ていると(体に悪いのでそんなに見ていませんが)、きっと対話をする気はまったくないのでしょう。俺はAで、BにもCにもならない。何があってもAのまま。これでは対話になりません。

 それと恥や外聞や誠意といった回路を持たない人は最強です。「階層的な社会では、マキャヴェッリ主義者が勝つ。なぜなら、彼らはライバルを打ち負かす究極の秘密兵器を持っているからだ。それは、恥を知らないことだ」(『Humankind 希望の歴史 下巻』文藝春秋、P.58)。

 いや、それはともかく。たまに、お願いだからミットを持ってくれ~、と思うときがあります。こちらが投げたボールを相手がミットで受け止めてボールが返ってくるまでには、ある程度の「間」があるでしょう。それが、「間」がないままに、豪速球が返ってくることがある。え、こちらのボールを受け止めたんじゃなくて、別のボールを投げてきたの? と思うような。とてもじゃないけれど受け止められない。ミットを持たずに2つのボールで「キャッチしないボール」をしたら、どちらかが折れてAが通るか、Bが通るかになるのみ。はあ、とため息が出てきます。

 この人と話をすれば、自分のAがCになるかもしれない。そう思ってもらうために、つまりは必要とされるために、まずは自分のAに居着かないようにしたいと思います。そして、それでも、自分のAを受け止めてくれる場を求めたい。そうでない場は、避けて通ることが心身の健康を保つために必要なのではないかと。




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『マウンテンドクター』というドラマがあります。舞台は、アルプスをはじめ山々に囲まれる長野県の病院。文字通り、山岳医が山での事故にどう立ち向かうのかを描いており、最近にしては珍しく、見逃し配信で毎週視聴しています。以下の話は、今週9日の放送をまだ見ていませんので、そのネタバレはありません。

 確か前回、主人公が「自分がいれば人を助けられる」と思い込んで救助に向かった結果、自身も遭難し、他の山で起きた事故への救助活動が遅れてしまうという場面がありました。自分一人にできることはたかだかしれている。医師は医療行為をするのであって救助行為は救助隊の仕事。そういったことを忘れ、山岳医としての自身の力を過信して突っ走ってしまった。先輩山岳医が語った言葉が耳に残っています。「長野県に山がいくつあると思ってるんだ」。

 税理士として、自分ができることなど、たかがしれている。常に自分に言い聞かせています。先生と 呼ばれ続けて バカになり。いつか書いたと思いますが、医師も税理士も「先生」と呼ばれ続けているうちに、自分の力を過信してしまう危険と隣り合わせです。税理士など、全国にごまんといる(実際は8万人超)。私1人がどうにかなったところで、社会は何も変わりません。

 一方で、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧 新版』(みすず書房)を思い出してもいます。ホロコーストから生還したオーストリアの精神科医、心理学者でもあるフランクル。強制収容所で個人に対する精神的ケアを行なうこともあり、それは命を救う(=自殺防止)ための緊急処置でもあったといいます。そのケアがうまくいった2つの事例が紹介されていました。少し長いですが引用してみます。

「このふたりの男たちは、ときおり自殺願望を口にするようになっていた。「生きることにもうなんにも期待がもてない」と、前に挙げた典型的ないい方をしたのだ。しかしこのふたりには、生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある、ということを伝えることに成功した。事実ひとりには、外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もうひとりを待っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者で、あるテーマの本を数巻上梓していたが、まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのだ」(P.133-134)。

『マウンテンドクター』でも、山が好きで仕方ない写真家が、家族との約束があったにもかかわらず山に来て、滑落事故にあってしまう場面がありました。大きな岩が足の上に乗って救助も難しい。主人公医師の判断はその場での足の切断でした。ただ、そうすると大好きな山に登れなくなる。拒絶する写真家に医師は言いました。「山だけじゃないですよね。あなたには生きて返らないといけない場所がありますよね」と。

 過信しないために、自分の力などたかがしれていると自覚する。一方で、生きることを諦めないために、自分には返らなければならない場所があることを意識する。自分でなくてもいい場所と自分でなければならない場所をどう見極めるのか。毎日が自問自答です。




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 少し前、内田樹先生の『図書館には人がいないほうがいい』(ARTES)を読みました。編訳に朴東燮(パク・ドンソップ)さんの名前があり、2枚ほどめくったところには韓国語の書籍名が記されています。

 도서관에는 사람이 없는 편이 좋다

 ハングル教室に通い始めて4か月ほど(この本を購入した時点では3か月ほど)。日本語の本のタイトルを仮に知らなかったとしても、「도서관(トソグヮン)」が「図書館」で、「에(エ)」が「に」で、「는(ヌン)」が「は」ということは分かります。その後ろも、日本語の順番通り、「人が」「いない」「ほうが」「いい」を意味していることは分かる。

 で、どうして韓国語なのだろうと不思議に思っていたら、「日本語版のためのまえがき」で内田先生が書いていました。「というタイトルを見て驚く方がおられると思います。そうなんです。これは「韓国語版」がオリジナルで、それを翻訳したのがこの「日本語版」という本なんです」(P.9)。

 編訳者の朴さんが、内田先生の書籍を韓国語に翻訳した。そうしているうち、韓国オリジナルの内田本を出したいという出版社が現れたというのが本書誕生のいきさつのようです。それはともかく、韓国語を学ぶ身として、その経緯に刺激されて久しぶりに内田先生の本を購入したのでした。

 実は、あまり図書館を利用することはありません。なので、この本の真意を理解できたかどうか。でも、なぜ図書館には人がいないほうがいいのか、という最初の話は腑に落ちるものがありました。来館者数や貸出図書冊数という数値で評価されたり、利用者が少ない郷土史資料が廃棄されたり。そうした現代的な風潮に対して、図書館はそういう場所ではないと内田先生は言います。

「図書館とは、そこに入ると「敬虔な気持ちになる」場所です。世界は未知に満たされているという事実に圧倒されるための場所です。その点では、キリスト教の礼拝堂やイスラムのモスクや仏教寺院や神道の神社とよく似ています」(P.25)。

 未知なるものの招来する場所は、そのために「空けておく」必要があるのだと。「空間的に「何もない」こと、時間的に「何も起きていない」ことがある場所を「調(ととの)える」ために必要なんです」(P.26)。

 図書館ではありませんが、少し時間ができると、つい本屋さんに立ち寄ってしまいます。特定の本を購入するためではなく、物理的に圧倒的な量の本に囲まれて「知らないことだらけだなあ」と感じるために。

 今、600ページ近くある本を読んでいます。これ、仮に電子書籍だと永遠に読み終わらないでしょう。600ページの量に圧倒されながら、それでも尊敬する著者の情熱溢れた文章に惹きこまれるように100ページ、200ページと進んでいき、今、半分を超えました。

「図書館はそこを訪れた人たちの無知を可視化する装置である。自分がどれほどものを知らないのかを教えてくれる場所である。だから、そこでは粛然と襟を正して、「寸暇を惜しんで学ばなければ」という決意を新たにする。図書館の教育的意義はそれに尽くされるだろう」(P.33)。

 量に圧倒される。勘違いしたり思いあがらないために、そんな場所を持っておく必要があるのだと思います。




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 年末調整時や個人の確定申告など、目の前に顧問先から預かった大量の資料が積み上がることがあります。法人の決算ではあまりそういう事態にはなりません。月に1度や、3か月、半年に1度など、事前に資料を整理している場合が多いからでしょう。ただ、年末調整や個人の確定申告は、時期が集中するうえに年に1度の「イベント」です。

 で、大量の資料を前にどうするか。解消方法は簡単で、1つずつ「着手すること」です。大量の未読本が積み重なる「積ん読」状態。この重なりを解消するには、1冊ずつ読むしかないのと同じように。

 個人の確定申告でも、特に今回が初めてという顧問先の場合は不安が先に立つもの。前年の様子が分からない。資料も大量にある。果たして何が出てくるのだろうと。この場合の解決方法も1つです。「着手すること」。資料を1つずつ確認していくことで、漠然とした不安は、具体的な疑問に変わっていきます。

 足に不安がある。山に登れるだろうか。そんな不安は、山を歩き始めることでしか解消できません。不安が現実化すれば、撤退すればいい。不安がなくなれば、登り続ければいい。それと同じで、事前に頭で考える不安は、深い危険が及ぶようなものでない限り、動き始めることでしか解消できないものでしょう。

 毎朝、ブログを書けるだろうか。毎日、メールマガジンを配信できるだろうか。そういうアウトプットの場を自分に課すことで、毎日、不安にさらされているといっても過言ではありません。

 でも、2つの言葉に支えられています。1つは、「1日過ごして何も書くことがないのなら、その1日は何も仕事をしていなかったということ」。偉大な先輩からの教えです。

 もう1つは、コラムニストの小田嶋隆さんが語っていた「書き出しで大事なことは書き出すことだ」という言葉。内容はともかく、まず1行書く。そうすると物語が動き出す、とは限りませんが、書かないことには何も始まらない。確かに、特にメールマガジンの場合、スムーズに書き出せたときはあっという間に書き終えてしまいます。

 どれだけ資料が膨大でも、漠然とした不安があっても、着手しないことには何も始まらない。着手を躊躇しない心を整えるために、毎日文章を書いているのかもしれません。




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 先日、中央アルプス最高峰の(木曽)駒ヶ岳(2,956m)に登ってきました。「駒ヶ岳」という山は全国にあり、木曽、甲斐、会津、越後の4峰は日本百名山とされています。とはいえ、麓の駒ヶ根市で生まれ、今も親戚がいますが、会話の中で「木曽駒ヶ岳」や「木曽駒」といった表現が出てくることはありません。常に「駒ヶ岳」のみ。おそらく、どの駒ヶ岳の地元でも同じなのでしょう。

 往復10時間、距離13km、歩いた標高差は1,700m。これだけの山に一人で登ったのは初めてです。登る前は不安しかなく、でも「挑戦したい」という思いは強く、頂上に到着したときと、無事下山したときには達成感よりも安堵しかありませんでした。

 この夏登った山々は、どれも素晴らしい山ですが、眺望は微妙。7月初めの麦草岳は、快晴で今回登った(木曽)駒ヶ岳を正面に見ることができました。

(中央やや左の最高峰が駒ヶ岳、やや右の三角形が宝剣岳、右手前が木曽前岳)

 7月中旬の御在所岳は、曇ったり、少し見えたり。一瞬、隣の鎌ヶ岳が見える瞬間もありました。岩がゴツゴツの御在所岳をロープウェイでも登れるというのは、多くの人が山を味わえるという観点で素晴らしいことだと思います。


 8月上旬の大山は眺望0。頂上付近の木道沿いに咲く花をなんとか見ることができました。


 今回の駒ヶ岳も頂上について少し休憩している間にどんどん雲が広がります。駒ヶ岳もかなりの高さまでロープウェイがあり、これだけの高さの山を気軽に楽しめるということで大人気。紅葉の時期など、ロープウェイに乗るには数時間待ちでしょう。

 9合目付近を上っているときは晴れていたものの、下ってきたときは雲が発生。でも、高い木がない標高を歩く際には、直射日光がなくてよかった、と考えられなくはありません。駒ヶ岳の南側にある宝剣岳方面を向いた風景です。




 大きな山に登ると、しばらく余韻が続くものなのか。あるいは、10時間歩き続けたことで、疲れてしまったのか。まだ「次の山」を考えられないでいます。それならそれで、自分の気持ちの向く方向に逆らわないように。平地にいても、山を歩くときと同じように自然体でいたいと思っています。




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