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名古屋総合法律事務所の代表弁護士 浅野了一です。
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私が所属しています名古屋栄ロータリークラブの同好会であります「読書会」であります読書サロンの第69回(2016年9月)の課題図書2冊のうちの1冊でした。


著書の内容は、現代史にいたるまでの日本史における国家機構と官僚集団を『序列と格差』という視点から分析しているものです。

古代から近代にかけては、社会に経済においての国家の比重は大きく、官僚機構、集団の組織と身分制度、

序列と格差を理解することは、古代から近代にかけての社会を理解するうえで有益であるとされます。

その著作の一部を紹介します。

 

『血筋』

 

古代から近世にかけて、格差を生み、あるいは育てた最大の因子は「血筋」であったと言ってよい。

血筋によって一家、一族、一門と血縁が広がってできるのが門閥制度です。

江戸時代、藩において、上等士族(上士)と下等士族(下士)との間にはとてつもない壁がありました。

 

下士は上士にその名を言うことは許されず一様に旦那様と呼びて、その関係は主僕の間のごとし(福沢諭吉『旧藩情』より)。

 

単に序列が固定化されていただけでなく、その序列を生む血筋も固定するように、上士と下士の分離を徹底していたということです。

明治維新にいたって士農工商の四民平等が唱えられ、また、士族の没落により、この上士と下士のとてつもない厚い壁は消えていくのです。

 

 

『農村の地主階層』


明治維新後も、旧来通りにそのまま実権を温存して力があったのが農村の地主階層でした。

地主階層には、明治維新後、土地に対する所有権が認められのです。

そのため、

 

「庄屋(地主)→百姓代(顔役、村会議員)→本百姓(自作農)→小作(小作人)→水呑」

 

と、江戸時代の階級が明治以降昭和になっても厳然と残っていました。

(私の加筆 庄屋の高利金融による小作人に対する過酷な収奪がこれに加わるなどで、男女を問わず子を労働場や遊郭などに売り渡す人身売買の悲劇

が日常のように見られたのです。)

それが、人が人の名前を呼ぶとき、人の子を呼ぶときだけでなく、子が親を呼ぶときの親の呼称にまで及んでいて、

農村では人の名前を呼ぶにも徹底して階級的区別がついていたのです。

農村では、農地を所有するか所有しないかは、これまた厚い壁がありました。

第2次世界大戦の敗北と占領軍である連合軍の総司令部GHQの民主化政策による二次にわたる農地改革(不在地主の全貸付地、在村地主の約3000坪を超える貸付地は、国が強制的に買い上げ、優先的に小作農に安く売り渡されました。)により、農村における厚い階級制度が解消されるに至ったのです。

 

 

『序列全体を上下二階層に分かつ格差』

 

顧みると、序列全体を上下二階層に分かつ格差は、その当時の社会を生きている人々にとってはあまりにも大きく、そもそも生まれながらに絶対的な壁として存在しています

したがって、民衆の間からそれを崩そう、越えよう、是正しようという意識は生まれなかったのです。

江戸時代の武士と百姓や町人の間にある大きな身分的格差は、その当時を生きてきた人にとってはもはや人生の前提とでもいうべきもので、それを克服しようという意識は

容易には生じません


江戸時代中期に儒学に独自の流派を開いた荻生徂徠は、身分的格差のもとでも、人がそれぞれ与えられた「職分」を果たす過程で自己の個性や能力を発揮することによって

生きる意味を見出すことができる、と考えました。・・・江戸時代において・・・容易には崩せるはずのない身分制度のもとで、それでもいかに意味のある人生を送れるか、

ということを追求している点で、積極的な意義を持つものでした。

 

 

『終戦後、現在の格差について』

 

GHQによるによる占領政策により、過去の日本にあった絶対的な格差、制度的格差といえるものはほとんど解消され、私たちは現在まで70年ほど安定した社会を維持しています。

それだけに、新しく形成されつつある経済的な序列が多くの人々を不安にさせ、そこに新たな格差がもたらされるのではないかというストレスを生んでいるのでしょう。

たしかに、絶対的な格差がほとんど解消された現代日本でも、今ある経済的・社会的な序列の中に新しい壁が生まれ、「格差」へと成長していく可能性は十分にあります。

とくに、戦後の日本がずっと手本にしてきたアメリカ社会が、グローバル化が進む現在の世界情勢の中にあって、あきらかに格差社会への形相をあらわしてきているように、日本の歴史の流れも新しい格差社会へと向かいつつあると見ることもできます。


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