ケニーG、もしくはドビュッシーを流しながらユーカリのオイルを焚いて、ワイン(ピノだともう最高!)を1杯飲みながらお気に入りの本を読み返す。
これを私は、てんこ盛りスペシャルと呼んでいる。




















疲れている時、つまらない時や落ち込むこともない時、私はこのてんこ盛りスペシャルをする。
これは最近知った最高の娯楽。
いつか読んだ本や、耳にした曲弾いた音楽、教えてもらった味や香り。
何らかの情報からインプットされたものの継ぎ接ぎで出来ている。
誰にも迷惑をかけず、誰にも邪魔されず、私一人で元気になる手法。




















まず、これが出来るのは体力と時間が有り余っているからなのだと思う。
数年前は不可能だった。
日付変わる前に帰宅するような仕事に追われていた時代や
平日にも関わらず生産性のない夜遊びを繰り返していた時代や
いつ何時思い浮かべていなければならない愛しい人がいた時代。
今の私は、もうどれでもない。





















年上の男の人達はみんな外国へ行く。
帰ったら連絡する、と口を揃え言い残して。
この年代の男の人は次のステップに移る時期なのかもしれない。かっこいいなぁと思う。
年下の男の子はだいたいみんな同じ。
年上というだけの幻想で私と会いたがる。
こちらが恥ずかしくなるくらいそれはそれは熱烈に。可愛いなぁと思う。




















だから。
だから今の私には何もない。
こんな時代が来るなんて。
不平不満もなくこれ以上要望もない会社で働き
でも、もっともっとと、自分だけの目標と野望だけを目論んでいる時代。























会社を辞めて外国へ行こうかな。
やりたい仕事をするには勉強しなきゃな。
この会社を辞めるということは人生を変えるということなのだろうか。























結果、最終的に、私は大好きな会社を辞めようとしている。
こんなに愛し愛され、頼り頼られている場所から、離れようとしている。
我ながらびっくりなのだけれど。
でも、会社員なら皆そうなように代わりは幾らでもいるということ。
守るべきものがあれば、その代わりに取られぬよう必死で頑張るということ。
自分よりも大切なものが存在すれば、仕事を生活する為のツールと捉えられるということ。
だから、この歳で「将来の夢」を持てるという環境は、少しばかり不幸で、でもとても幸せなこと。




















お金を稼ぎたい、はもう過ぎて
お金を稼ぐ人が好き、はもうとっくに過ぎて
今は、それとは別の視点から世界を見たいと思う。
微力で視野も狭いであろう私が、色々散々方々見て得て経験して、今思うこと。























仕事は「好きだから」を基盤にしたい。
「好きだから、スペシャリスト」を目指したい。
そして、手放す私の指先からクライアントの手に渡るまで善意でありたい。
出来ればユーモアとチャーミングを、フリルのようにくっつけて。
そんな仕事を人生としてやってみたい。






















そんな夢みたいなこと。
きっと何にも知らなかった10年前の私は思うかもしれない。
でも、もう夢は自分で叶えるものと知っている。
叶い始めの夢はとても小さくて、でもそこからすくすくと大きく広がっていくことを知っている。
私には、妄想から始まった夢を幾つも叶えてきた成功体験がある。
夢のいいところは終わりがないところ。叶って終わりじゃないところ。叶えても叶えても、その先が必ず存在するところ。
























不思議ね、大人になればなる程経験を積めば積む程、夢は夢でなくなっていく。
そして、大きく大きく膨らんでいく。
聞いていた話とは随分違うじゃないの。






























昼間は暖かい、春だなぁ。
こうしているうちに、またすぐ夏が来て秋になって冬を越す。
その間、私は「将来の夢」に向き合っていこうと思う。
幼い頃見ていた夢とは真逆の、夢を描くべき頃には描くことすら叶わなかった、私の大きな大きな夢。







































































パパ!?元気?お天気はどう?ご飯は美味しい?
昨日、カンボジアに旅行中の父から電話があった。
何度も家族が亡くなり、何度も延期になった、今年の父と母の旅行。






















私たち兄弟は毎日ラインで近況を報告し、父と母もそれはそれは素晴らしいホテルや景色の写真を返してくれた。
違う国同士でも、リアルタイムでやり取りが出来る。なんて便利な世の中。























でも昨日は、私が体調を崩して会社を休み、夜のお約束もドタキャンしたと報告していた。
だから、父は電話をくれたのだと思う。






















私はスマートフォンの画面にパパと出た着信を見て、心底嬉しいと思った。
私はひとしきり聞きたい事を聞いて、喋りたい事を喋って、なんと涙が出そうだった。
早くパパに会いたいと思った。たった3日会っていないだけなのに。





















父は相変わらず私の体調ばかりを心配し、ようやく私のお喋りが止むと
ママの声を聞きたいだろうからかわるね
と、言った。




















そうなのだ。
私はパパにも会いたいけれど、ママとはもうとっても我慢のならないくらい会いたいのだ。
それを1番わかってくれているパパ。






















ママはいつもと変わらない温度で電話に出た。
大丈夫?もうママ心配しちゃってどうしようかと思ってたわよ〜
その声が、温度が、私の中の日常のママを思い起こさせた。
元気そうでよかった〜あと2日で会えるわね〜
いつものママだ。
表情がくっきり思い浮かんだ。






















電話を切ったあと。
私は、もうこの人達なしでは生きられないのではないか。
そう思ってしまった。
安堵と絶望。




















自立がとか結婚がとか収入がとかではない。
精神的にこの人達といる事が幸福になってしまっている。
私の人生は、この人達込みで出来てしまっている。






















学生時代に実家を出た人、出なければならなかった人。
社会人になって実家を出た人、出なければならなかった人。
何も分からないまま、辛く寂しいまま、そこから自分の人生を切り開いて行った人。
羨ましいなぁと思う。
私もそうせざる得ない状況下におかれていたら、希望とか夢とか瞬発力とかに溢れている時だったら、出来たのかもしれない。





















でも、もう違う。
時を経て、様々な事が起き、それを都度乗り越え、知恵が付き、大抵のことは予想し、回避する術まで身に付けてきた。
その全ての瞬間において、家族の大切さも有り難みも間近で感じて来てしまった。
元々ファザコンマザコンの毛はあったにせよ。

























一生この大きなお家で、私が死ぬまでパパとママと生きられたらどんなに幸せなことだろうと思う。
でも、それは不可能なこと。
どんな幸せも、それが今後100年続く事はない。
いつかは父と母も死ぬのだ。おじいちゃんやおばあちゃんのように。






















だから。
だから、母は私に、家族を作りなさいと言うのだと思う。
パパやママがいなくなっても大丈夫な家族を作りなさい。
凄いメッセージだと思う。凄く的を得た。





















でも、今はそれは無理だと思っている。
今迄も、恐らくこれからも、そんな人と出会っていないし出会わない。
家族と恋は違う。
あぁ、これなのかなぁ、恋愛と結婚が違うのはなんて思ったりして。
























私は、どうしたらいいのだろう。
そんな事を考える余裕があるのは、会社を休んだから。
怒らなくてもいいし、可愛がられなくてもいいし、資料を作らなくてもいい。
週末だからって綺麗に着飾って繁華街でちやほやされなくてもいい。
























でも、そんな日常がお気に入りなのだ。
1番私が私らしくいられる日常なのだ。
私の日常は、私が選び作っている。
そこには、父も母もいない。






















私は、きちんと自分の人生を歩んでいる。
父や母に報告や相談はすれど、それは事後や途中やもう自分の中で決まっている事。
さすがの私も、選択は自分で出来るようになっているみたい。
じゃあ、いいのかな。






























コートを肩に羽織って小さなバックをぶんぶん振り回しながらほろ酔い夜道を歩ける季節。
そう、今夜病み上がりなのに出掛ける選択も、私がしたの。



















こう書くと、なんだか西の魔女が死んだ、みたい。
でも、それと違うのは、私は最近までおばあちゃんと会えていた。
それは、幸せなこと。































母から連絡を受け、私は震えながら泣いていた。デスクで。誰にも分からないくらい静かに、しとしとと。
こんなに涙って止まらないんだっけ、あの時の涙は嘘だったのかな、そろそろ商談だから泣き止まなきゃいけないんだけどな、そんなことを思っていた。
とても冷静に残酷に、思考の転換ばかりを試みた。




















  
それまでは何も変わらないいつもの日々だった。
朝から電話口で散々きりきり舞いをし、仲良しの同僚達と大笑いのランチに行き、大笑いのまま腕を組み合ったりして戻った午後。
ふと携帯を確認するとそれはそこにあった。





















光子が亡くなりました。
みつこ。
それは子供だった私達が大人になり、おばあちゃんが本当のおばあさんになった頃から、親しみと敬愛を込めて呼んでいた呼び名。
呼び名といっても、おばあちゃんの名前そのものなのだけれど。
そっかぁ、光子、死んじゃったんだぁ。
2秒くらいそんな穏やかな気持ちでいた気がする。ほんの2秒だけ。












































あれから少し月日が流れて。
もう私は普通に生活をしている。本当に普通に。
朝起きて会社に行き、全力で仕事をし、夜は筋トレをしたりお酒を飲んだり料理などをしている。休日も同様に、実に楽しく。
悩ましいことも悲しいことも、もう光子ではない。






















でも。
ママを見ると、それは込み上げる。
ママは本当に素晴らしい人で、本当に強くて美しくて清らかでチャーミング。
それを全く変えないママ。
先月ママを亡くし、そのたった4ヶ月前パパを亡くしたのに。























朝、私達の為に果物を数種類と紅茶とコーヒーをポットでテーブルに並べる。
まだ大学生の弟にはお弁当を、父にはご飯とお味噌汁とお魚とサラダと卵。
その合間に、テストやらプレゼンがある私達には、頑張ってね!ママの子供だから大丈夫よ!世界一応援してるわ!などと言う。
何も変わらない、数ヶ月前と同じ朝の風景。
私は毎朝その姿を見ると、鼻の奥がつんとする。























おばあちゃんが死んでしまったことは勿論悲しい。
悲しいし、そうなって欲しくなさ過ぎて、たまに想像や願掛けもした。
想像出来る範囲の、死んでしまったら1番悲しい人だった。
その時、私大丈夫なのかなと思っていた。
























でも、ママは、ママが死んでしまったのだ。
時が経って、そればかり思うようになった。
ママには、もうママがいないのね。
そう思ったり口に出すと、もうだめ。
抱きついて泣いてしまう。
悲しいのはママなのに。






















ママは、私の耐えきれない悲しみや、乗り越えられない逆境や、考えてみればくだらない恋愛ごとを全力で応援し支えてくれた。
その都度、笑い飛ばしてくれたり一緒に泣いて一緒にベッドで眠ってくれたりした。
勿論、天にも昇る嬉しい事や、大成功した事柄や、日々の面白かった話も1番にママへ伝えた。
やはりその都度、大喜びして飛び跳ねてくれたり苦しいほど抱き締めてくれたりした。
私は、そうやって生きてきた。
きっと、ママも同じだったはず。

























だから。
ママの悲しみは計り知れない。
計り知れないし、こうなった今も変わらず朝をどうして迎え過ごせるのかも、私にはもう到底想像も付かない。
ママへの尊敬が日に日に強くなる。本当に、自分だけの目に見えて。

























ママみたいになりたい。
そんな、昔から思い描いていた漠然とした目標すら揺らいでしまう。
私はママみたいになれるのだろうか。
こんなに強く、美しく、なれるのだろうか。

























大切にしよう、ママを。
今はこんな安易な発想しか出来ないけれど。
ママのことを精一杯大切にしようと思う。


























大切な人を大切にする大切さ。
いつだって誰かが死んでしまった時に思うのに。