小説渋沢栄一(上)(下) 津本 陽
小説渋沢栄一(上) 津本 陽 |
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津本 陽
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今読んでいる本です。
渋沢栄一については殆ど知らなくて、この領域の本は初めてになります。
以下のカスタマーレビューに簡潔に説明されていますが、日本資本主義の父と言われている人物です。
カスタマーレビューより、
渋沢栄一は明治初頭の日本財政に大きくかかわった人ですが、
この本では江戸の末期、渋沢栄一の少年期から描かれています。
藍の売買において商才を発揮しながらも尊皇攘夷の流れに
身を投じ、縁あって一橋家に仕えることになります。
その後の幕府洋行において海外と国力の差を実感し、
日本の商業をさかんにすることを志しますが、
幕府が倒れ帰国することになります。
帰国後は大蔵省の役人として近代日本の財政の確立へと
猛烈に働きますが、一方で民間の商業を立て直すという
大望もすてきれない日々。
というのが上巻で描かれております。
特にギンコウの導入や資本制度の導入など
金融制度の原型を感じることができて興味深いです。
下巻がどうなるのか楽しみです。
澁澤榮一(しぶさわ えいいち)については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。
正二位勲一等子爵。雅号に青淵(せいえん)。
主君の慶喜が将軍となったのに伴い幕臣となり、パリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する慶喜の弟・徳川昭武の随員として、フランスを訪れる。
パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。各地で先進的な産業・軍備を実見すると共に、将校と商人が対等に交わる社会を見て感銘を受ける。
ちなみにこの時に彼に語学を教えたのは、シーボルトの長男で通訳として同行していたアレクサンダーである。帰国後もその交友は続き、アレキサンダーは弟のハインリッヒと共に後に明治政府に勤めた澁澤に対して日本赤十字社設立など度々協力をするようになる。
帰国後は静岡に謹慎していた慶喜と面会し、静岡藩より出仕することを命ぜられるも慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」との言葉を拝受し、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため、及び新政府からの拝借金返済の為、明治2年(1869年)1月、静岡にて商法会所を設立するが、大隈重信に説得され、10月に大蔵省に入省する。
大蔵官僚として民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省は事実上統合されていた)を率いて改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。
しかし、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、1873年(明治6年)に井上馨と共に退官した。
澁澤が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。
「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めた。また、他の財閥当主が軒並み男爵どまりなのに対し、澁澤一人は子爵を授かっているのも、そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである。
上記の内容だけではなかなか上手く紹介できないのですが、凄い人物だったようです。