枕草子 "七栗の湯" 榊原温泉 | 朝日asahinobのブログ

枕草子 "七栗の湯" 榊原温泉

夏の風情は? 清少納言 「枕草子」


枕草子  大伴茫人


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
日本古典を読みはじめたい、もう一度読みなおしたい、と思う読者のための古典入門書。二部構成の第一部はいわゆるものづくしと随想の段から代表的なものを抜粋し、読みやすい現代語訳に、適切な語釈、読みごたえのある鑑賞を付す。第二部は宮廷生活の描写の段を時代順に再構築し、オリジナルの「加工訳」と鑑賞で、初学者にも一読で楽しめる工夫を凝らす。


【目次】(「BOOK」データベースより)
第1部(四季の美しさ-第一段/法師というもの-第四段/節句の天候-第七段/宮仕えさせるべき女性-第二一段 ほか)/第2部(初出仕のころ-第一七六段/中関白家栄華の日-第二六〇段/道長がひざまずく-第一二三段/宮からの手紙-第二八二段 ほか)


【著者情報】(「BOOK」データベースより)
大伴茫人(オオトモノボウジン)
古代大伴氏の末裔を気取ったペンネーム。本名田村秀行。1952年東京生れ、京都大学文学部卒。大手予備校勤務を経て、現在フリーの講師として現代文・古文・漢文を総合的に担当する。本名でも『だから、その日本語では通じない』(青春出版社)ほか学習参考書多数。ネットでは『源氏の部屋』の「古典への架け橋」に多数の作品を掲載(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





京都新聞、「本の大路小路」からです。




春は曙だが、では夏は?


「夏は夜」なのである。


「月の頃はさらなり」と踏み込み、


「やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる」というふうに


夏の闇の風情に言及して、その蛍が僅か一、二匹だけ


光るのも、そこへ雨が降ってくるのも、


もっといいと続く。


さすがに清少納言。


ちなみに「暑苦しいもの」は、


太っちょの長髪だということらしい。








http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90



『枕草子』(まくら の そうし)は、

平安時代中期の女流作家、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。

「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」「春曙抄」とも表記され、鎌倉時代に書写されたと見られる現存する最古の写本・前田本の蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。『清少納言記』などともいった。





清少納言と紫式部の関係は、

清少納言と、同時代の『源氏物語』の作者・紫式部とのライバル関係は、後世盛んに喧伝された。しかし、紫式部が中宮彰子に伺候したのは清少納言が宮仕えを退いてからはるか後のことで、2人は一面識さえないはずである[1]。

紫式部が『紫式部日記』(『紫日記』)で清少納言の人格と業績を全否定するかのごとき筆誅を加えているのに対し、清少納言が『枕草子』で紫式部評を残していない一方的な関係からもこの見方は支持される。








ちなみに、清少納言ゆかりの温泉といえば、「榊原温泉」


http://www.onsennet.ne.jp/konyoku/toukai/sakaki.htm


三重県で温泉旅館(ホテル)で唯一の混浴露天風呂を持つ、榊原温泉「白雲荘」
枕草子でも紹介されている日本古来の三大名泉の一つ"七栗の湯"として広く親しまれている


  






枕草子 "七栗の湯" 榊原温泉


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昨日に続き、「枕草子」繋がりの話し・・・



枕草子 "七栗の湯" 榊原温泉のこと、


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8A%E5%8E%9F%E6%B8%A9%E6%B3%89

榊原温泉(さかきばらおんせん)は、

三重県津市榊原町(旧国伊勢国)にある温泉。

七栗(ななくり)の湯とも言われ、

能因本「枕草子」第117段に

「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」

とうたわれている「三名泉」のひとつ。



榊原温泉は

非常に古い歴史を誇るいで湯である。一帯は榊原断層と呼ばれる断層に当たり、その合間から被圧地下水(おそらく非火山性のプレート滲出型とされる)が湧出しており、古くから霊験あらたかな地として信仰の対象となっていた。また、前述のように三名泉に数えられており、平安時代には既に湯治場として形が整っていたとされる。このように、枕草子に記載されていたことは格好の宣伝文句であるため、開湯伝説は伝承されなかった。


927年には式内社の射山神社が建てられ、「神湯」とも呼ばれるようになった。このような背景から、江戸時代に入って伊勢参詣が盛んになると、七栗の湯は参拝客の垢離場として機能し、伊勢の参拝客は神社の参拝前にこの七栗の湯で斎戒沐浴するのがしきたりとなり、湯治場は大いに賑わいを見せた。このため、地元では榊原温泉のことを「宮の湯」と呼び、神聖な湯であるという自負を抱いている。その頃、射山神社は温泉大明神と呼ばれ、大いにもてはやされた。

尚、七栗という地名は古くから存在した村落名であり、榊原温泉の由来となった榊原という地名は、継体天皇の頃に遡る。継体天皇の娘、ササギヒメノミコト(荳角媛命)が斎王となり、斎宮に入ることになった際に、近くに自生していた榊を温泉水に一晩中浸し、神宮に祭祀したという伝承に因んでいる。

尚、開湯当初の泉源は既に涸渇しており、現在は別の泉源を利用している。

http://www.sakakibarakawahachi.com/onsenn/index.htm





 平安中期(10-11世紀初め頃)の女流随筆家・清少納言が枕草子で七栗の湯と述べられ七栗の湯(榊原の湯)が広く親しまれました。また、美肌に効果を発揮し、特に女性の美容に効能があると言われ、清少納言が愛したそうです。 ツルンとした肌の感触が病みつきになってしまうほどです。

神宮へのお参りは身を清めます。
伊勢に入ったところで「湯ごり」で身を清める。これが当時の正式な参拝でした。榊原温泉の名は古くは地名を取って「ななくりの湯」と呼んでいましたが、地元では「宮の湯」と呼んでいます。この宮の湯で湯ごりをして宇治(現在の伊勢市)に向かったのでしょう。

 古くはお参りするための「清め」から始まった温泉も、病気の治療に、また癒しにと目的は変わってきます。変わらないのは日本人の温泉好きです。
湯ごりの湯
 お伊勢さんにお参りの行き帰りには宮の湯、榊原温泉でぜひお清めになってください。

<『榊原ガイド』より>












いよいよ、明日から飛騨高山へ出かけてきます。


温泉は、榊原温泉ではなくて・・・奥飛騨温泉郷・福地温泉


位山をご神体とする水無神社、奥飛騨温泉、いずれもパワースポット、エネルギーに溢れた所です。