大変申し訳ないことに、29日に行われる予定の除幕式が少々遅れることになってしまった。
それにともない公会堂前の鼠小僧も少々遅れることになったようだが、一時も早く完成した碑と像を見たいという気持ちは皆さんと同じであろうが、私も年のせいかちょっとでも暖かい方が良いなと思ってしまったのがいけなかったようである。
でも隅田公園の桜が綺麗なうちにお披露目してほしいと今は思っている。
何はともあれ祝い伸ばしにはなったが嬉しいことである。
大変申し訳ないことに、29日に行われる予定の除幕式が少々遅れることになってしまった。
それにともない公会堂前の鼠小僧も少々遅れることになったようだが、一時も早く完成した碑と像を見たいという気持ちは皆さんと同じであろうが、私も年のせいかちょっとでも暖かい方が良いなと思ってしまったのがいけなかったようである。
でも隅田公園の桜が綺麗なうちにお披露目してほしいと今は思っている。
何はともあれ祝い伸ばしにはなったが嬉しいことである。
坂東三津五郎最後のご注文は、家元の止柄の扇だった。
それは坂東流の若手師範のお弟子さん達を集めて行っている勉強会のメンバーに送られるものらしく、新しく選ばれた人に渡されるのか、とにかくハードルが高いようで、本年度は一人だけで、生前の家本三津五郎より電話があり、「今年は1本でいい」と言われた。
ただし、ここ数年の間に少しづつ色が変わってきているので、初期の色に戻してほしいと言われた。
そして初期のものを郵送してくれたが、すべて顔料で色をだし、手描きで柄を描くので、同じつもりでも微妙に変わってきてしまった物らしい。
私は年に1度の納品であるので、1本余分に作って取っておけばよかったが、自分を信じて色を選んでしまった。しかし三津五郎の目はさすがで、なんとなく違うと思っていたようである。
そしてその注文の扇をやっと納品した。
「元に戻ったでしょ」と注文主に見せて云いたかったがそれは叶わず、亡くなってからの納品になった。
当時、先代の家本が元気でいらして、八十助時代に自分が育てていた若手師範にだけ作り、「これは僕の止柄だから、家元に頼まれても作っちゃダメだよ、名取り扇とは違って僕が教えているグループの扇だからね」と言われた。
そういえば、最初に作ったのは彼がまだ三十歳の頃で、自分だけの扇として一本だけ作ったのがこの扇子であったのだから、余程の思い入れであったのだろうし、将来の舞踊界を考えて若手を作っておきたかったのだと思う。
だから正確には家元の止柄ではなく、守田寿個人の止柄であったのだと思う。
先の先まで考える真面目な舞踊家なんだ、十代目坂東三津五郎は。
これからしばらくはブログを休みます。10日程かな?
このところ暖かかったので今日は馬鹿に寒く感ずるが、この間までのことを考えるとまだ楽になったものだと思う。
立春過ぎの寒さを花寒というらしいが、美しい言葉だ。
寒さというものは、美しい情感があるような気がするし、体温のデリカシーまでも感ずるのは年のせいだろうか?
空気がピーンと張りつめた寒さは町の景色まで美しく新鮮に感じさせる。
だが私は夏の方が、あまり着こまないで済むので好きである。
って、どういうことだろう?これも楯鋒 (たてほこ)って云うことかな?