ブッシュが進化論に意義?宗教と科学の発展について | あるらのアメリカ大学院留学記

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”ブッシュ米大統領が、

進化論に異を唱えるキリスト教右派の主張に同意し、公立学校の授業で進化論以外の考えも示すべきだと発言、波紋を広げている”という記事を読んだ。




ブッシュ大統領およびキリスト教右派が

「進化論以外の考え」

としてあげているのが

「インテリジェントデザイン」というもの。これは

「なぜ生命は誕生したのか、

生物がいかにしていまの形を得たかは、

進化論だけでは説明しきれず、

そこに知的な計画が働いている」

という主張だ。

一応政教分離の原則の関係から

はっきりと「神が進化を計画した」

とは学校で教えられないことをわかっている

天地創造主義者達が立てた論法らしい。




宗教とは縁遠く、

イギリスのケンブリッジのサマースクールで

Ecologyと題する進化論の

基本的な考え方を学んで感動した私には、

はぁぁぁ?いまさら何を?っと

天動説を主張するのと同じくらい

奇妙に感じるのだが、

CBSテレビが昨年11月に行った

世論調査によると、

米国人の55%は、神が人間をつくったと信じ、

27%進化の過程に神が関与したとし、

全く神がかかわっていないとする人は13%

にとどまっているというのだから、

アメリカではホットな議論になるわけである。



最先端の科学研究に力を注ぎつつ

このような宗教的な大統領が支持される

アメリカ二面性が興味深く

ネットサーフィンしつつ、宗教と科学について

自分でもいろいろ考えてみた。




私個人としては

宗教も科学も人間の本能から生まれた

知的活動の一つであり、

社会の発展&人類の幸福に

等しく貢献しているのであるから

お互いの領域に干渉せず

独立して両立させることが

必要かつ可能であると考えている。




もともと科学も宗教も(哲学も?)

人間が自らをとりまく世界の背後に存在する

未知を追求しようとする

本能から生まれた。




真理や原理を解明するという点に関しては

仮説の演繹的証明に基づき理論を展開していく

科学的手法がより成功を収めたといえるだろう。

しかし、より観念的な解釈に関しては

宗教の方が成功しているのではないだろうか。

例えば

「私はどのように生まれたのか」

という質問に科学はほぼ完璧に回答を与えるが

「私はなぜ生まれたのか」

という質問に関しては無力である。




ここに、科学と宗教のすみわけのコツがある。




科学が目指すものは、あくまで

もっとも事実に近いと認めうる仮説

である。これに関して宗教が生み出した寓話が

その論理性において勝るとは思えない。

この事実の追求に関しては、

宗教は科学に任せるべきである。




一方、解釈に関しては、

科学は口を出すべきではない。

「宇宙はビックバンから始まった」という

エネルギー保存則とか質量保則とか

相対論の類の理論から

導かれた「宇宙創造の過程」

を、ごく当たり前の

自然現象として捉えるか、

それを神秘として

背後に何か超常的な存在を感じるかは、

個人の問題であり、

学校の授業で

「これは科学の法則からすべて証明される

ごく当たり前の現象で、神秘は一切ありません。」

などと、とやかく教える

ものでもないと思う。




したがって、以上の私の考えから

結論を申しますと、

進化論を学校で教えないというのは

どう考えても宗教の行き過ぎで、

進化論は「科学の仮説」として

理科や歴史の時間に

教えられるべきである。

「インテリジェントデザイン」は

全論を詳しく知っているわけではないが、

そもそも論点が解釈にあり

進化論の反証としては

成立しないように思う。

これは、宗教学か哲学の時間に

取り扱われるべきものである

と思う。


関連リンク
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050804-00000029-kyodo-int http://www.asahi.com/science/news/TKY200506070244.html?t