とりあえず、こんばんわ。局長です。

仕事がさ、なんでこんなにクソ忙しいのだろう・・・

局長は貧乏くじを引かされたんじゃないのだろうか・・・。

 

というわけで、前回の続きでも。

門司港駅を色々と見て回る局長、待合室には門司港駅の

歴史がズラっと紹介されたパネルがあったり

国鉄分割民営化後に作られたであろう駅の模型とかを見たり・・・

それにしても、門司港駅って2代目が完成してから今現在まで

復原工事で一部が改修されたのを除くと、

外観はあんまり変わっていないのは驚きですよねぇ・・・

てなわけで局長、更なる展示を見て行く事に・・・。

 

門司港駅に使われていた部材というのをパチリと1枚。

左から『外壁の瓦』、『天窓のガラスとモール』、

『天然スレート』というのが展示されていますね・・・。

外壁の瓦には、瓦を張り付けた上にモルタルを塗っているという

局長的に『なんで瓦の上にモルタルを・・・』と思うような

今ではあまり見られない建築材料や工法が使われています。

 

とはいうてもね、局長は建築材料や工法について

『うーん・・・』となるような物ばかりですね。

要は専門外って事だな(おい)

 

未来「わぁ!これってテレビの番組で見たことありますけど、アニメのイラストとかで出てくるやつですよね!?」

局長「絵コンテの事かな?残念ながら違うよ。これは文化財に登録される前に、建物の建材などがどんな物だったのかとかを絵で記した調査記録だな」

未来「へぇ~・・・調査するためのものなんですね」

可奈「でも、そういうのってカメラで写真を撮ればいいと思いませんか?」

局長「その昔のカメラの性能が良ければいいけど、測量では緻密なデータが必要になるからな。まぁ、手描きの方がいいこともあるって事だな」

可奈「そうなんですね~・・・」

 

てなわけで、門司港駅の文化財調査の記録をパチリと。

柱や扉、構造物などが事細かにスケッチされています。

それにしても、アニメの絵コンテにも見えなくないですね。

 

『みかど食堂』に関する展示をパチリと1枚。

営業札やマッチ、伝票や食器に絵葉書が展示されていますが

これらは修理作業の段階で建物を解体した際に

床下や壁の隙間から出てきたものであります。

 

未来「局長、みかど食堂ではどんな料理が出ていたんですか?」

局長「調べていたら、戦前の食堂車のメニュー表は見つかったんだ。それによると、ビーフステーキやカレーライスといったみんな大好きな美味しいものから、サンドイッチやプリンと言った軽食もあったぞ」

未来「食堂車って電車の中にあるレストランですよね!電車の中でステーキやカレーライスが食べられるなんていいなぁ~」

局長「ビーフステーキは当時の価格で50銭、カレーライスは30銭で食べることが出来たんだ」

可奈「円じゃなくて銭なんですか?銭は昔のお金だって聞いた事ありますけど、いくらだったんですか?」

局長「戦前というのが、一体いつの時代によるかで変わるから明確なお値段は出ない。基本的にビーフステーキなら2000円~5000円くらいだと思うけどね」

可奈「2000円かぁ・・・ちょっと高いかなって感じですよね」

局長「この当時の初任給が数十円だった頃だから、もっと高くついてたかもな。それこそ、1ヵ月に1回贅沢するレベルのね」

可奈「そんなに・・・うぅ、昔のビーフステーキは今と変わらず高級品なんですね・・・」

未来「大丈夫だよ~!そういう時は、局長が全部奢ってくれるから!」

可奈「そっかぁ!それもそうだよね!」

局長「誰が奢るって言った誰が!」

 

続いては貴賓室にて使われていた調度品などをパチリと。

門司港駅の2階には身分の高い人をお迎えする

『貴賓室』という部屋が設けられていました。

 

門司区在住の方から提供された『貴賓室の壁紙』、

貴賓室の壁中より発見されたカーテン片、

貴賓室の便所の中から発見された便器片といったものが

展示されていますが、便器片の展示があるとは・・・

 

『新築門司停車場本家其他平面図』をパチリと1枚、

現在の門司港駅の平面図を記したものとなります。

真ん中に駅舎が描かれ、そこには『イロハニホヘト』と記され、

右上の方に文字で記された場所がどんな場所なのか・・・

というのが書かれており、読み方と意味さえ分かれば

どこに何があるのか分かるという感じになっています。

 

続いては『誇りの鏡』をパチリと1枚、楕円形のような形をしていて

上下左右に装飾が施されたおしゃれな鏡ですが、

この鏡にはちょっとしたエピソードがあったりするのです。

 

美也「ちょっとしたエピソードですか~?」

局長「福岡県の道徳の教科書に載った事があるぐらい、ローカルではかなり有名な話なんだとさ」

風花「ジュリアちゃんは福岡出身だけど、この話は知ってるの?」

ジュリア「よく覚えてないんだよな。そもそも習ったかもすら忘れちまってるし」

局長「しっかりするバイ福岡県民!」

ジュリア「そんな事言っても仕方ねーだろ?んで、この誇りの鏡ってどんな話なんだ?」

局長「誇りの鏡とは、第二次世界大戦後に釜山から引き揚げで日本へ帰って来た親子と門司港駅の職員の心温まる話なんだ」

 

ここで、門司港駅に伝わる『誇りの鏡』について・・・

1945年8月、終戦によって外国で過ごしていた日本人が

続々と門司港駅へと船で帰ってきていました。

本数の少ない列車に乗るべく、順番を待っていたりすると

それはもう何日も経ってしまう事となり、

門司港駅のホームには疲れ果てた人たちで溢れていました。

 

局長「そんな中、小さな子供を連れた大きなお腹の女性がいたんだ。その女性は、韓国の釜山から日本の茨城へ帰る道中で門司港駅にいたんだ」

風花「大きなお腹の女性って、もしかして妊娠されていたとかですか?」

局長「そう、その女性は妊娠していたんだ。しかも、門司港駅にて女性は産気づいてしまったんだ」

風花「駅で産気づいてしまうなんて・・・。茨城の女性ですから、門司港というと身寄りとかもないですよね」

美也「そんな状況で、産気づくと心細くなっちゃいますね~・・・」

局長「門司港駅は女性にとって見知らぬ土地、身寄りも無いから女性は困り果ててしまったんだ。そこに、手を差し伸べたのは当時の門司港駅の男性職員だったんだ」

美也「駅員が手を差し伸べたのは良かったですね~」

局長「駅員は誰か面倒を見てくれないか・・・という事でホームにいる人々に声を掛けるも、疲れ果てていた人からの手助けは無かった。その状況下で子供は生まれそうになっていた・・・」

風花「この時は、自分の事で精一杯だったから、女性を助けることも考えられなかったんですね・・・」

局長「しかし、このままでは子供が生まれてしまう。駅員はリアカーに女性を乗せ、子供を背負うと医者や看護師を探すべく門司の街へと繰り出したんだ」

 

しかし、当時の門司は戦争で多くの家々が焼けてしまい、

病院もそう簡単に見つかる事はありませんでした。

それどころか、夜遅かったので医者や看護師は帰ってしまい、

病院があったとしても診てくれるわけでは無かったのです。

 

それでも、女性を励ましながら医者などを探し続けました・・・

 

ジュリア「それで、医者とかは見つかったのか?」

局長「見つからなかったんだ。なんせ、その時の時刻は午後9時だったからな」

ジュリア「そんな事があったのか・・・。でも、そうなると男性職員も困っちまうよな」

局長「男性職員は自分の家へ連れ帰ると、近所の女性に助けを借りたんだ。そして1945年8月21日、無事男の子を出産したんだ」

美也「おぉ~、無事に生まれてよかったですね~」

風花「女性もきっと、すごく安心したんでしょうね・・・」

局長「そりゃー、ホッとするやろなぁ」

 

誇りの鏡に関する説明文をパチリと、このお話はフィクションでなく

ノンフィクションであるというのが心を打ちますね。

ちなみに、生まれた子供には『左門司』という名前が付けられました。

そして、朝鮮半島から引き揚げてきた夫とも無事に再開し

やがて家族そろって故郷の地へたどり着くことが出来たのです。

 

風花「戦後で余裕が無い状況下でも、人の優しさというのが残っていたんだなっていうのを感じられる話ですね・・・」

ジュリア「そうだな。本当に心が温かくなるぜ」

局長「ちなみに、『誇りの鏡』の話にはまだ続きがある」

美也「続き?」

局長「門司で左門司が生まれてから26年後、左門司は成人してやがて結婚する事となった。左門司はかつてより聞かされていた、出生のエピソードから、自分の恩人でもある駅員を結婚式に呼ぶために探したんだ」

美也「おぉ~、ついに左門司さんは結婚する事となったんですな~」

ジュリア「それで、その当時の駅員は見つかったのかよ?」

局長「あれから26年も経過していた事で、駅員探しは難航したんだ」

ジュリア「やっぱり、26年も経ってるとその駅員がどっか行ったりしたかもしれないから、見つけるのは難しかったんだな・・・」

局長「しかし、温かい人々の善意によって、ついにその駅員を見つけることが出来たんだ」

風花「見つかって良かったですね!これで、左門司さんも恩返し出来ますね」

局長「結婚式に来てほしいと左門司は言ったが、その駅員は『当たり前のことをしただけ』といって辞退したんだ」

風花「当たり前のことをしただけって言って辞退するなんて・・・」

局長「でも、航空券まで用意しての熱心な誘いに、最初は辞退していた駅員も招待を受けたんだ」

美也「そうなんですね~。左門司さん誕生に立ち合い、その左門司さんに感謝されて今度は結婚式に招待されるなんて、とても良いお話ですな~」

局長「そんなわけで、左門司の父親から鏡が贈られたんだ。当時の駅長はその話を聞いて、『国鉄社員の誇りである』として、この鏡の名前に『誇りの鏡』とつけたわけなんだ」

ジュリア「誇りの鏡、というのには命を繋ぐエピソードがあったんだな」

局長「そういうこっちゃ。ほな、次ICOCA」

 

駅構内にて、『クラシックジャパンラリー』のパネルをパチリと。

クラシックカーを使ったレースというとイタリアで開催される

ミッレミリアが世界的に有名かと思うんですが、

日本でも似たようなイベントがこのクラシックジャパンラリーであり、

速さを競うのではなく、技術力を競ったりするとの事です。

 

歌織「このイベント、横浜でも開催されていたんですよね」

局長「そうだな。横浜のみならず、三浦半島や箱根、神戸や九州といったエリアで開催されている。北陸地方でもやればいいのにって思うけどな」

歌織「そうですね。ちなみに、局長の車はクラシックカーですか?」

麗花「歌織さ~ん。局長の車はクラシックカーじゃないですよ」

歌織「そうなの?」

麗花「はい!確か、ホンダの車だったと思います!」

局長「三菱とスバルとマツダと日産がめっちゃ好きだけど、乗ってる車は実はホンダなんよ。あっ、クラシックカーじゃねーよ」

 

門司港駅の『みどりの窓口』がこれだったら、

ちょっと優雅に旅できちゃうかもよ・・・って思いますよね。

でも、こんな感じで封鎖されています。

 

そんなわけで、門司港駅のみどりの窓口へと入った局長。

壁には、一部黒塗りの部分があるのですが・・・

これは『飾り壁』といって、一等・二等の車両に乗る人の

待合室に装飾として設置されていたものです。

黒色の部分は、黒漆喰を塗ったものとなっています。

 

ちなみに、この場所はかつて一等・二等客車に乗る人の為の

待合室でしたが、切符の購入や電報の受け取りも出来ました。

サービス面では三等客車に乗る人より差をつけてたとか。

今では、みどりの窓口として稼働していますが

局長的に他の駅のみどりの窓口よりゴージャス感あるよなと・・・。

 

窓口がある場所には、門司が生んだ豆人形作家の

マサコ・ムトーの作品展示がされていました。

どれも可愛らしい・・・というより器用だなぁと。

小さいながらも、よくそこまで作れるよなぁと。

 

局長「こういう作品って、オバハンほどよく作ってるイメージだよなぁ」

環「たまきのおばあちゃんも、おり紙で色んなの作ってたんだ~!」

局長「そうなのかー。しかし、局長はオバハンに教えてもろてもこういう作品はおろか、紙飛行機1つも作れへんよ」

ひなた「そうなのかい?あたしが色々と教えてあげるべさ」

環「ひなたが教えてくれたら、おやぶんもいろいろ作れちゃうぞ~!」

局長「いや~、無理やと思うで」

 

門司港駅を色々パチリとしてると、カメラのバッテリーが

ちょいと怪しくなってきたので、門司港駅の1階にある

スタバで休憩がてら充電しようかと思ってたのですが・・・

門司港駅のスタバにはコンセント差込口が無いようです。

 

それにしても、レトロな門司港駅の中にスタバがあるとは・・・

スタバって色んな所に出店しては馴染んでますよね。

ここのスタバは、また機会があったら行きたいですな。

 

『旧自動電話室』をパチリと、公衆電話を設置していた場所で

普通の電話ボックスに比べると少し大きめな感じですね。

壁が撤去されるなどして、当時の状況は失われていますが

小さな部屋を2つに分け、手前には壁掛けの電話があり、

奥には機械室が設けられていたようです・・・。

 

『みかど食堂・NARISAWA』が営業していた頃の

営業時間と定休日が書かれた紙をパチリと1枚。

この当時の定休日は火曜日と水曜日だったようです。

 

階段の先はこんな感じで閉鎖されていました。

2024年現在では、レストランそのものが無くなったので

階段を上っても何もない・・・って感じですかね。

しかし、みかど食堂がもしまだ残っているのであったら

一度は立ち寄りたかったよなぁ・・・と思う局長でした。

 

というわけで、ここまで。ではでは