久しぶりのブログ更新となります。前回予告の「プチニート事件」について書きます。


自分の会社の仕事はほとんどなくなり一週間に一二回のやり取りがあるかどうかまでになった。寿司職人としては日曜以外毎日働いているが、だんだん体力的にもきつくなり、初期のような楽しさもなくなってきた。ドーパミンが出なくなったのかもしれない。


と、そんなある日、立ち上がれないほど腰が痛くなった。もともと足腰は強くないかも知れないが180cm以上もある身長で一日中前かがみの体勢でカリフォルニアロールを巻いているのはかなりきつい。そこで、休み時間を利用し何週間もかけて検査をした結果、背骨のディスク(骨と骨の間の柔らかい部分)が飛び出してきていて神経にあたっているということがわかった。特に効果的な治療法は無く、気長にフィジカルセラピーに通うことを勧められた。


そこで思いついたのが「休職」して「身体障害者」としての手当て金をもらうこと。といっても寿司職人はバイトなので休職するのはほぼ閉店状態の会社の方。もともと給料は自分で自分に払っていたようなものだから、それがなくなっても痛まないし、何と言っても何にもしなくて月々30万円近くもらえることになる!

なんてすばらしいシステム!!


結局寿司屋ではちゃっかり働き続けながら(我慢すればどうにかだいじょうぶなので)身体障害者ということで大金を手にし始めた。そうしたらどんどん働くことがバカくさくなってきて、どうやってこの状態をいつまでも続けられるかということを考え始めた。セラピーには週に一回くらい行って、バイトのことはひた隠しにし、いつまでも痛い痛いと言ってさえいればいい。なんなら本当にバイトも辞めてもいい。


毎日毎日、だらだらして好きなだけ寝て過ごそう。やっと趣味に時間をかけられる。これを機会に体でも鍛えてみるか…。これぞ今日本で流行っている「ニート」の生活!そんなバラ色の空想をしながらとりあえず寿司屋でのバイトは続け、数ヶ月が過ぎた。


そんなある日、たまたま家にいて昼寝をしてた時、身体障害者関係の役所かどっかから電話がかかってきた!電話に出た友人にもいろいろと聞いていたようだが、とうとう調査の対象になってしまったらしい。そりゃそうだろう、こんな大金をいつまでも黙ってくれるわけがない。医者の名前や現在の症状、治療方法など聞かれた。きっと医者やセラピーにも確認をとるんだろう。


気持ちよく昼寝していたのに一気に目が覚めた!しかし残念ながら「目が覚めた」といっても「自分の甘さに気がついて心を入れ替えた」というところまでは行かなかった。とりあえずぴっくりした。ホントは働けるんだってことがわかったら罰金プラス牢屋が待っている。


…これからは慎重にしよう。寿司職人の服を着て家から出るのはやめよう。半年は長すぎるかな?本当にバイトをやめて家でゴロゴロしてようか…。


ああ、いつまでも憧れのニート生活。でもそんな簡単に本物のニートにはなれそうもない。結局今回はプチニート事件ということでそろそろ終りをつげそうだ。


こんなことをやっている僕は世間では悪いやつなんだろうなぁ。こういう考え方ってADDと関係があるのかな?

最近「ニート」という言葉をよく聞くが、実は僕の憧れの生き方のような気がする(こんなことを書くと非難されそうだが。)


「金持ち」とか「知識」というものに興味がないわけではなくどちらかというと好きな方だと思う。でも、「責任」とか「プレッシャー」「義務」のようになってくるとそれすらからも逃げ出したくなる。


働かない、毎日好きなこと(寝ること、本を読むこと、音楽を聴くこと…)をして過ごす、地位も名誉もいらないから生活保護さえしてくれたらいい。そのためならどんな努力もおしまない。


そう、僕の変なところは、まともなことには努力をしないが、楽をするためには人一倍頭を悩ませ努力をする。それだけのエネルギーをまともなこと(仕事とか)に使えば充分に楽な生活ができるとは思うのだが、そう思った瞬間気持ちがなえてしまう。


他のADDの人達のために言っておくが、これがADDの特徴かどうかはわからない。たいていADDの人は、「努力が足りない」とか「やる気がない」「怠け者」と誤解されやすいものだ。本人は一生懸命なのにそう思われてしまう。それは真実だと思う。どんなに片付けたいと思っても、忘れたくない、と思っても、ダメなんだ。

だから、「ニート」に憧れる僕はADDの代表としてではなく、僕個人の希望として憧れていると思ってもらっていい。結局僕はADDでもあるけど「怠け者」でもあるのかも知れない。もしくはADDだからいつのまにか仕事や人間関係が嫌になって、「働かないで生きていきたい」と思うようになったのかも知れないが。


長くなったので続きはまたの機会に。今度は僕に実際に起こった「プチニート事件」を話そうと思います。

自分では自覚してないのだが、人によく「飽きっぽいね」「次から次と何でもやりたがるのはいいけど…」とよく言われる。考えてみれば、いつも新しいことに挑戦したいと思いながら、妄想を膨らませて考えていることが好きだ。もちろん、自分ではやり遂げつもりではいるが、結局は考えだけで終っていることがほとんど、とも言える。


ちょっと前のブログで「MBTのシューズ」のことは書いたと思うが、あればこれからウォーキングをしようという気持ちが大いにあったからだ。結局もったいないのと、朝起きるのが大変なのでかなっていない。


そのあとブログに書くほど続いていないが、パン焼きに興味を持ってパン焼機を買ってしまった。一回挑戦して押入れの中にある…。

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そのあとフードプロセッサーを買おうとしたが、友人に「パン焼機を使いこなしてから」と嫌なことを言われたので今は踏みとどまっている。


今、やりたいのは、スキューバダイビング。海に潜ってアワビやウニを捕ってみたい。その為には何週間かかけてライセンスをとらなければならない。もちろん今いろいろと調べてその気たっぷりである。

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しかし…。こんなに短い間にいろんなものに興味をもち、それなりにお金や時間をかけて調べたり手に入れたりしているが、どれも手に入れた時点で満足してしまうというか、飽きてしまう。一回やったら良い、買ったら良い、みたいな感じだ。もちろんそんなつもりはない。本当にやりたいと思っている。


ADDの人は皆こうなんだろうか?これってどうしたらいいのか?本能のままに進んでいけばいつか破産してしまうかもしれないし(そういう金銭感覚はあまりないが)、いずれはすべてのことに興味がなくなってしまうんじゃないか?一応寿司職人だけは半強制的なものなので(仕事なので)どうにか毎日通ってはいるが、今はそれすらも飽きてきた。まずい…。


このままでいいのか?

自分で社長になってみてわかったことは、「ADDの人は一人社長にはむかない」ということ。つまり、一人で何でもやらなくてはならないので、社長は会社の基本である「お金」「時間」「スペース」をきちんと管理し、対外的な社交術も身につけていなければならない。それらはもっとも苦手とすることばかり。


つまり「社長」になるのなら、身の回りのことやスケジュールを管理してくれる秘書がいて、お金の管理をしてくれる心強い会計士がいて、在庫の管理、書類の管理、営業などすべて他の人がやってくれるような大きな会社の社長ならだいじょうぶだと思う。そうすれば、持ち前の発想能力を活かしのびのびとやっていけると思う。もちろん、その場合は、いくら社長であっても他の人に任せたことには口をださないようにしなければならない。下手にお金のことやスケジュール、仕入れ、のことなどを自分でやろうとするとせっかくの秩序が乱れて皆に迷惑をかけてしまうだろう。…そんな社長にはちょっとなれそうもないので、僕はとりあえず会社はそのままつぶさずにおいておいて、


転職をすることにした。それが、このブログの最初に書いた「寿司職人」だ。

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しかもそれは「寿司屋の大将やオーナー」ではなく、あくまでも「やとわれ職人」である。一日一日が完結し、明日のことで悩まなくてもよい。企画書、営業成績、日報などとは無縁な世界。もくもくと寿司を握っていればいい生活。アメリカの寿司はアイディアメニューが豊富なので、僕もいろいろと新しいものを考えれる。ああ、何て気楽で楽しい職なんだろう!(こんな言い方をすると、日本で修行を積みながら苦労をしている本格的な職人の人達には怒られるかも知れないが。)


職人に転職してからの苦労話もいろいろあるが、少なくとも「手に技をもったこと」や「好きなことをやっている」という面から、ADDの僕にとってこの転職は正解だったと思う。



アメリカで独立して会社を作り社長になった、というと、すごいことのように思われるかも知れないが、実はそれ自体はたいしたことではない。如何に継続するか、儲けを出していくかということが大事で、作ってもすぐにつぶすことにもなりかねない。


しかし、僕はもともとお金に興味があるわけじゃないし、人を使って会社を大きくしたいという野望もない。俗に言う「地位」や「名誉」にはトンと興味がないのだ。そんな人間が社長になったとしてもたいしたことはしない。先にも書いたように、日報を書かないからと上司に叱られるのがいやで独立を決心したようなものだから。


人によく言われた。「こんなに条件がそろっているんだからこれからは何でも好きな商売をしたらいいよ」。でも実際、何をやってもいいといわれても困ってしまう。単にアイディアとしてはいろんなことが浮かぶ(ADDは発想名人)。

サムネイル 風見 カモメサムネイル   サムネイル

アンティークやマニア製品でも輸出してみようか、中国から何か輸入しようか、いや、木製の風見鶏でも作って売ろうか、近所でクラムチャウダーのお店をやろう、もしくは、蕎麦うちの修行でもして蕎麦の店でも開こうか…。次から次とアイディアは湯水のごとく湧き出るが、本当のところ「次の一歩」にはいかない。考えを暖めているだけで満足してしまう。


結局一年間くらい何もしないまま過ぎてしまった。資金はなくなり、やる気もなくなって、会社も持っていること自体がプレッシャーとなった。このまますべてを捨ててどこかに行ってしまいたい、すべてゼロになればいい、と思った。


結論、   目的がないうちに社長になってもろくなことにはならない。


そして僕は転機を迎えた。


…つづく

時はちょっとさかのぼりますが、アメリカに駐在員として送られてからの約7年間、毎日毎日プレッシャーの中でやりたくもない仕事をやっていたと思う。何が嫌かというと、売り込みのために会社を訪問したり電話をかけたり、注文書や請求書などの処理も嫌だったが、何よりも日報を毎日日本の本社に送るのが嫌だった。何を書いたらいいのかわからないので、毎日適当なことをでっちあげて適当に書こうと思ったのだが、それすらも忘れて書かないので、いつも本社から「日報を出せ!」と言われ責められていた。結局日報のために毎日を過ごしているような気がして意味の無い苦しい日々を過ごしていた。

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そして考えた。どうしたらいちいち本社に報告をしなくていいのか?自分が社長になればいい。もちろん、そんな簡単なことではないが、友人たちの勧めもあり、思い切って独立することにした。仕事内容はほとんど同じ(同じ製品の販売、マーケティング)だが、日報は書かなくて良くなる。しかし、その代わり今まで湯水のごとく自由に使ってきた経費は自己負担となる。


でも、これからは出張もしなけりゃいいし、電話もかけなきゃいい。経費は使わないようにすれば社長として誰にも文句を言われず悠々とやっていける。…と思った。

サムネイル ← 一人社長 (注:その辺から見つけた画像ですので、僕が書いたものでも、僕に似たものでもありません。あくまでもイメージです。)


実際、経費はかからなくなったが、それと同時に売上げも激減した。何もしないんだから仕方がない。だまっていて儲かればいいな、と思っていたがそうはいかないようだ。その上、だれもチェックしてくれないので、請求もれ、支払いもれ、出荷もれ、が続き、信用もがたがた、資金もピーピーになってきた。何度思ったことか、このまま会社がつぶれてしまえばいい、と。


しかし、会社をつぶすのにも手続きがいるし、整理、処分、清算、ということがつきものだ。それはもっとも苦手なこと。泥沼にはまったようなもの。


と、ここまで過去の苦しいことを思い出しながら書いて、疲れてしまったのでこの続きはまた明日以降にします。中途半端ですみません。


僕を良く知らない人達には、「もてるでしょ」とか「頼りがいがありそう」と言われることがある。単に背が高くて無口だからそう見えるらしい。人の話を聞いてないのと、何を話したらいいのかわからないから黙っているだけなのに、「思慮深い」「男らしい」と見えるようで、…ますます何も言えなくなる。


しかし僕は基本的に見栄っ張りらしいし(あまり自覚はないが)、本性を見せないたちなので、他人に良く見られることは悪い気はしない。ずっと誰とも親しくならないまま尊敬されていたら気が楽だとも思う。


しかし世の中そうは行かない。新しい仕事に就いても、新しい友人ができても、ちょっとすると皆「あれ?」と思うことがあるようで、徐々に本性がバレていく。今やっている寿司屋でも、最初は期待や憧れのような目で見られていたと思う(たぶん)。自分でも格好悪いところを見られないよう、変だと思われないよう必死にやっていたつもりだ。


…でもいつしか僕は「ケンちゃん」と呼ばれていた。名前にケンなどつかないし、心当たりが無い。理由を聞いて愕然とした。   ケンちゃんのケンは「健忘症」のケンだと… 

やっぱりここでも調子の良い状態は長く続かなかった。これからは二枚目転じて三枚目的存在でバカにされながらやっていかなけりゃならないのか…。でも反面、もうオドオドしながら気を張ることはないと思ったらちょっと楽になった。そうそう、開き直ればいいんだよ。そう、それだけのこと。



アメリカでは薬の宣伝がなんたって多い(と思う)。しかも新しい薬の実験台になりませんか、という怖いお誘いも多い。


そんな中、ADD用の薬のコマーシャルがあった。子供ではなく大人をターゲットにしたものだ。

Image: Strattera; Stock Bottle


会社の会議に出ている女性は頭の中で走馬灯のようにいろんなことを考えている、いや考えているというよりただ単にどんどん浮かんでくるような感じだ。コマーシャルの中では「リモコンでTVのチャンネルを次から次と変えていっているような感じ」と表現していたが、まさしくそうだと思う。自分の意志で見たい画面を選んでいるんじゃなくて、パッ、パッと思いがけないものが浮かんではすぐに消えていく。彼女の頭の中では、今朝見た犬のこと、同僚の変な顔、怒っていた誰か、溜まっている机の上の仕事…


と、そのとき、会議の進行役に意見を求められた!頭の中は一転して真っ白!まじめな顔して「聞いていませんでした」なんていえない。子供じゃないんだから。ああぁ、ひとごとながら、嫌なものを見たような気がした。このあと彼女はどうなったのか?(…CMなのに)


…で、薬の宣伝。 薬で本当に治るのかなぁ?それならすばらしいことかも知れないけど、それってもしかしたら、自分のためというよりまわりの人のためにのむような気もする。時間にルーズ、お金にルーズ、整理が苦手、でも、自分がそれでもいいやって思ってしまったらあまり困らないと思うんだが。しかし、まわりの人間がいつもイライラして怒って、僕の尻拭いやら肩代わりやらして嫌な思いをしているようだから、そのとばっちりを受けないために薬を考えたほうがいいのかな、と思ったり。


食べ物や音楽でADDが和らげられる、なんて時代が来ればいいのに、と勝手なことを思っている。

人によく言われるのは、「人の顔や名前を覚えること」が得意らしい。僕は人と話をしていても実はほとんど話を聞いていないということが多い。それよりもその人の顔つきやおもしろい部分を探している。無表情で話を聞いているふりをしているが、実は心の中ではゲラゲラ笑っていたりするのだ。それでもやはり聞いていないと思うのか、よく「ちゃんと聞いてる?」と言われてしまうのでまだ修行が足りない。


というわけで僕は人の話は覚えていないが、どうやら顔はよく覚えているほうらしい。名前を覚えれるのはどういう理由かはわからないが、受験勉強の時にまる暗記の方法を詰め込んだからかな?


一方、営業時代の僕の仕事仲間は、話の内容はよく覚えていて交渉能力もあるがまったくといっていいほど人の顔と名前を覚えていない。一時間も目をしっかり見て話し込んでいたわりには、部屋を出た途端どの人と話をしていたかわからないほどのオトボケぶり。だから一緒に会社訪問をする時は、先方の担当者がやってきたら僕が小声で「○○部署の△△マネージャーが来たよ」と教えることになっている。そうするとヤツは「いや~△△さん、お久しぶりです!」と堂々と挨拶をするという段取り。


こんな僕でも役に立っていた、と思えることの一つです。

僕が営業でアメリカを飛び回っていた頃は、準備をするのにほとんど前の日は徹夜だった。いろんなものを持って行かなければならないのはわかっているのにギリギリまでやる気はしない。結局どうにかなるって思っているところがあるからだろう。


しかし、製品を売り込みに行っているのに価格表がなかったり、かばん一つの中から資料を探すのにとてつもなく時間がかかったり。ある時は飛行場で航空券をなくしてしまったこともある。どうして事前に準備をしたり、整理したり、なくさないように気をつけることができないのかと思うが、そこに頭がいかないんだから仕方がない。


今は寿司職人としてシンプルな生活をしているので、忘れ物はほとんどなくなった…といいたいところだが、実はそうでもないのだ。持って行くものはいたって少なく、包丁、職人服、携帯、車の鍵くらいのものなのだが、結構毎朝あわてている。一度ドアを出てから忘れ物を取りに戻ってくることがよくある。車の鍵はなければ出かけられないので最終的には忘れないが、包丁を忘れたときには職人としてちょっと情けなくなった。…侍が刀を忘れたようなものだ。


といっても結局、昔と比べると忘れるものの絶対数が少ないのでだいぶらくになった。やはり僕みたいなやつにはシンプルな生活があっているんだろう。