自由制作② 石膏デッサン② | しもりえにっき
 徐々に本格的な冬の寒さとなってまいりましたが、みなさんお風邪などひいていませんか? 私は気管支炎になりかけでゴホゴホしております。
 さて、いよいよ年の瀬も迫ってまいりました。先日、我が下落合アトリエも年内最後の授業を滞りなく終えることが出来ました。生徒のみなさんの制作に対する真摯な姿勢と旺盛な意欲に支えられ、この一年もたいへん活気ある授業をすることが出来ました。ありがとうございました。
  
 
 それではこの一年の集大成である今年最後の講評会の様子をご紹介いたしましょう! 基礎コースは「石膏デッサン」、上級コースは「自由制作」、受験コースは「静物着彩・デッサン」というカリキュラムです。

 今回の講評会は「目に見えるもの、見えないもの」というテーマで進行させていただきます。唐突ではありますが、まず最初に質問します。次の問いにお答え下さい。
    【雪が溶けたら何になる?】
 
 答えが思い浮かびましたか? 答え合わせは後ほどしましょう。 では、次にこちらの画像をご覧下さい。

      
 女性が回転しています。みなさんにはこの女性がどちらに回っているように見えますか? 右回りですか?
それとも左回りですか?

 どうですか? 「何を当たり前のことを聞くんだ!」とお思いですか? でもこれ、教室の生徒さん達の中でも意見が二分したんですよ。右回りに見える人もいれば、左回りに見える人もいる。
   
みんなで画像を見てるとこ
 どうしてそのようなことがおこるのでしょう? 実はこれ、右脳と左脳の働きに関わっています。画像自体は右回りにも左回りにも見えるように巧妙に作られています。しかし、左右の脳のどちらを主に使っているかによって、見え方が変わってくるのです。
 右回りに見えた人は「右脳派」です。そして左回りに見えた人は「左脳派」です。
 
 でもここで私がみなさんにお伝えしたいことはそういうことではありません。右脳左脳はどうでもいいのです。
重要なのは同じものを見ているのに、人によって見え方が違うという事実です。とかく人は目に見えるものを信じます。しかしそれは本当に正確なのでしょうか?
その答えは「NO」です。今の実験でもうお解かりですよね。人の視覚というのはとてもあやふやなものなのです。
 
 前述で右脳左脳は特に重要ではないと書きましたが、せっかくですから一応おまけとして、それぞれの特徴を記しておきますね。

右脳派:直感脳と言われ音楽感覚や空間感覚に優れています。イメ      ージ力・独創力に長け「文化・芸術」に携わる方に多くみられ     ます。性格は情緒豊かで柔軟性が有り、ユーモアのセンスに     あふれる方が多いようです

左脳派:論理脳と言われ計算処理や時間連鎖的思考に優れていま      す。言語力・分析力・思考力に長けこれまで「文明・科学技術     」を司った方に多くみられるそうです。性格は責任感が有り、      まじめで、集中力があります。

 冒頭の質問【雪が溶けたら何になる?】の答えを「水」と答えた人は「左脳派」、「春」と答えた人は「右脳派」です。

 他にもいくつか錯視画像をお見せしますので、ご自分の目の不正確さを存分にお楽しみ下さい!
   
白い直線の交点がうっすらグレーに見えませんか? 実際は純白です。

  
横線は全て直線・平行です。でも歪んで見えませんか?

       
赤い二本の線は直線・平行です。ふくらんで見えませんか?

  
斜めの長い直線は平行なんですよ。

   
オレンジの丸二つ。どちらが大きい? どちらも一緒。

   
なんだか画面がうねうね動いて見えませんか? これ静止画なんですよ!

   
螺旋にみえますよね? でもこれ同心円の真円なんですよ。

 
 それでは、生徒さんたちの作品をお見せしましょう!
「目に見える世界」を忠実に描く訓練の石膏デッサンと静物画。「目に見えない世界」を表現しようとする自由制作です。

【石膏デッサン】

Yatagai Sakiko


Ishimori Yui


Murao Masanori

【静物画】

Hirose Maaya


Nakamura Akari

【自由制作】

Takahashi Yumiko


Ozono Teturo


Suwa Noriko


Suzuki Makumi


Tomotune Atushi


Kakiuchi Tetuo


Takeda Mariko

 観察力を養い「見る」ということを探求すると、
「目に見えないもの」が大切であるということに気づく
パラドクス。

 サン・テグジュペリの著書「星の王子さま」の一節に
このような言葉があります。

『本当に大切なものはね、目には見えないんだよ。』
« l'essentiel est invisible pour les yeux » 直訳は「本質は眼では見えない」
*本作の言葉は、生命とは、愛とはといった人生の重要な問題に答える指針として広く知られている。

 また、童謡詩人である金子みすずの詩にも、同様のテーマを扱ったものがあります。

星とたんぽぽ

 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

 ちってすがれたたんぽぽの、
 かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、
 つよいその根はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。


 ちょうどこの日はクリスマス。子供たちはサンタさんからお望みのプレゼントを貰って幸せいっぱいの一日です。最後に心温まるエピソードをご紹介して終わりにしたいと思います。
 みなさんも子供の頃に「サンタクロースなんていないよ!」なんて言われたり、言ったりした覚えがあると思います。すでに大人になられたかつては子供であったみなさん、「サンタクロースはいるの?」という問いに答えは出ましたか?
 19世紀のニューヨークに同じ疑問を抱いた8才の少女がいました。その少女の問いに真摯に答えた新聞記者のお話です。


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1897年9月21日 ニューヨーク・サン新聞「社説」より

 ニューヨーク・サン新聞社に、このたび次のような手紙が届きました。さっそく社説でとりあげておへんじしたいと思います。

 この手紙の差出人が、こんなに大切な質問をするほど私達を信頼してくださったことを記者一同たいへんうれしく思っております。




バージニア、おこたえします。

 サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友達は間違っています。
きっとその子の心には、今はやりのなんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものがしみこんでいるのでしょう。
うたぐりやは目に見えるものしか信じません。
うたぐりやは心のせまい人たちです。
心がせまいために、よくわからないことがたくさんあるのです。
それなのに、自分のわからないことはみんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、大人の場合でも、子どもの場合でも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
私たちの住んでいるこのかぎりなく広い宇宙では、人間のちえは一匹の虫のように、そうそれこそアリのように小さいのです。
その広く、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことを全て理解し、
全てを知ることのできるような、大きなふかいちえがひつようなのです。

 そうです、バージニア。
サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。
この世の中に愛や、人への思いやりや、まごころがあるのと同じように
サンタクロースもたしかにいるのです。
あなたにもわかっているでしょう。
世界に満ち溢れている愛やまごころこそ、あなたの毎日の生活を美しく楽しくしているものだということを。
もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中はどんなに暗く、さびしいことでしょう!
あなたのようにかわいらしい子どものいない世界が考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて想像もできません。
サンタクロースがいなければ、人生の苦しみをやわらげてくれる子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも無くなってしまうでしょうし、私たち人間のあじわう喜びは、ただ目に見えるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また子ども時代に世界に満ちあふれている光も消えてしまうことでしょう。

 サンタクロースがいないですって!

 サンタクロースが信じられないというのは妖精が信じられないのと同じです。
ためしにクリスマス・イブにパパにたのんで探偵をやとって、ニューヨーク中のえんとつを見張ってもらったらどうでしょうか?
ひょっとするとサンタクロースをつかまえることができるかもしれませんよ。
しかし、たとええんとつからおりてくるサンタクロースのすがたが見えないとしても、それが何のしょうこになるのです?
 サンタクロースを見た人はいません。
けれどもそれは、サンタクロースがいないという証明にはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも大人の目にも見えないものなのですから。

 バージニア、あなたは妖精が芝生で踊っているのを見たことがありますか?
もちろん、ないでしょう。だからといって妖精なんてありもしないでたらめだなんてことにはなりません。

 この世の中にある見えないもの、見ることができないものが、何から何まで人が頭のなかでつくりだし、想像したものだなどということは、けっしてないのです。
 赤ちゃんのガラガラをぶんかいして、どうして音がでるのか、中のしくみをしらべることはできます。
 けれども目に見えない世界をおおいかくしている幕は、どんなに力の強い人にも、いいえ、世界中の力持ちがよってたかっても引き裂くことはできません。
 ただ、信頼と想像力と詩とロマンスだけが、そのカーテンをいっとき引きのけて、幕のむこうのたとえようもなく美しく、輝かしいものを見せてくれるのです。
そのように美しく、輝かしいもの、それは人間のつくったでたらめでしょうか?

いいえ、バージニア。
それほど確かな、それほど変わらないものはこの世には他にないのですよ。

サンタクロースがいないですって?

とんでもない! 
うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。
それどころか、いつまでもしなないでしょう。
一千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは子どもたちの心を、
今と変わらず、よろこばせてくれることでしょう。


                            フランシス=P=チャーチ

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 この心温まる社説は、以後50年間サン紙が無くなるまで毎年クリスマスになると同紙に掲載され、世界中の新聞雑誌にも幾度となく取り上げられてきました。

 この社説を書いたフランシス=P=チャーチ氏(1839-1906)は当時の編集長の回想録によると、「人間生活のあらゆる面において、深い洞察力と鋭い感受性をそなえた人物だった」そうです。

 社説を書く要因となったニューヨーク・サン紙に手紙を送った女の子、バージニア=オハンロンはやがて教職に就き、引退する前の三年間はブルックリンの公立学校の副校長を務めました。
 バージニアは1971年81歳で亡くなりましたが、この時ニューヨーク・タイムズ紙は「サンタの友達バージニア」という記事を掲載して、彼女を「アメリカのジャーナリズムにおいて、最も有名な社説が書かれるきっかけとなった、かつての少女」と評したということです。

そうこれは、ひとりの少女とひとりの記者との永遠に語り継がれるべきお話・・
大人たちが、子どもに対して何を伝えなければならないのかを問いかける、
ひとつのお話・・・

あなたは子どもの問いかけに、どう答えていますか?

「ねえ、サンタクロースって本当にいるの?」

この "Yes, Virginia, There is a Santa Claus" というフレーズは、現在では「信じられないことかも知れないが、それは確かに存在しているのだ」
という意味で使われるようになっているそうです。


   



 確かなこととは何でしょうか?
 かつてソクラテスは「私は無知であることを知っている」という「無知の知」という概念を打ち出しました。それは自分が持っている知識に驕ることなく、自分はまだまだ無知であることを自覚することで、更により深く学問や自然の摂理を追及する姿勢をとるということです。
 
 普段アトリエで絵を描くときも、目に映っているものを当たり前と思わず、疑ってみましょう。自分はまだ本質が見えていないと思うことで、より深く対象を見つめることができるはずです。

 「目に見えないもの」を表現して、鑑賞者に感じさせること。これは美術が担う非常に重要な事柄なのです。

  

  

 さあ、今年はこれで終わりです。このアトリエでの
一年がみなさんにとって充実したものであったのであれば幸いです。
 
 また来年もどうぞよろしくお願い致します。みなさんとみなさんのご家族にとって幸多い年となりますように!

 

絵画教室 下落合アトリエ www.shimorie.com
講師 村尾 成律