モリゾ


1841年~1895年 印象派


ベルト・モリゾ(Berthe Morisot)







<年表>


1841年 フランス、パリに生まれる。


1864年 サロン初入選


1874年 33歳のときにマネの実弟ウジェーヌ・マネと結婚、第1回印象派展開催。


1878年 娘ジュリー・マネが誕生


1874年に行われた第1回印象派展である。


1895年54歳のとき、肺炎にて死去。




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ベルト・モリゾは数少ない女性画家で、19世紀を代表する画家である。


度々マネの作品のモデルとなったことでも有名である。


裕福な家庭に生まれ育ったモリゾは、幼少期から姉エドマと共絵画を学んでいた。パリに住みながら、セーヌ川沿いのリゾート地で夏のヴァカンスを過ごし、冬は南仏ニースに滞在していた。


その後、パリに出てからはコローのもとで絵画を学び、戸外でも制作活動を始める。


当時は、女性が美術学校に入学するのは認められておらず、まだ開放的な社会とは言い難い時代だったが、そのなかでもモリゾは戸外で制作を行うなど、活発に活動していた。


モリゾといえば、エドゥアール・マネと交友が深かったとしても有名である。


マネとの出会いは、1864年にサロン初入選後、ルーヴル美術館で模写をおこなっている最中にサロン画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの紹介で知り合う。


彼から絵画の画法を学んだり、絵画のモデルを務めたりもした。恋仲の噂もあったが、結局1874年、33歳のときにマネの実弟ウジェーヌ・マネと結婚し、4年後の1878年には娘ジュリー・マネが誕生。


モネ、ルノアール、ピサロ、など後の印象派の画家たちとも交友を重ねるようになり、これらの仲間とグループ展を開催した。これが1874年に行われた第1回印象派展である。


結婚後も第4回印象派展(1879年)以外の全ての印象派展に参加するなど精力的に作品制作をおこなう。


この7回参加したという記録は、ピサロの全回参加に次いで多い参加回数である。


1895年54歳のとき、肺炎にて死去。


作品の特徴としては、身近な人の肖像画を描いたり、母子の様子を描いたりした女性ならではの優しい作品が多い。


モリゾの死後、マラルメ、ドガ、ルノワールは16歳で孤児となったジュリーの後見人となる。









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<代表作品>




ロリアンの小さな港


ソファーに座る2人の娘


モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人


ゆりかご


読書


蝶々捕り


ワイト島のウジェーヌ・マネ


夏の日


ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘


ニースの港


庭のウジェーヌ・マネと娘


立葵


マンドリンを弾くジュリー




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