『美術商の鑑定日記』

『美術商の鑑定日記』

美術・骨董アンティークモールを運営する
店主が綴る日記です。

美術・骨董品の真贋について


おそらく美術・骨董品を収集する方々が、もっとも興味があり、かつ心血を注ぐのが、真贋の話題だろう。



数億の価値がある代物でも贋物であれば二足三文、その逆に何の値打ちもないだろうと物置の片隅にほっておいたものが真物で一財産ということもある。真贋はまさに“明暗を分ける”ものなのだ。そういえば先日、骨董屋かフリーマーケットで買い求めた7ドルのルノアールの絵が本物だったという海外のニュースもあった。結局は、数十年前に美術館から盗まれた盗品で、購入者に返還要請が出たらしいが。



所有する美術・骨董品が本物なのか?偽物なのか?

は、一般の方々には判断が至極難しいと言い切ってもいい。理由は簡単。そうでなければ我々のような鑑定士は存在しないからだ。



ただ、手元にある品々に愛着があれば真贋を気にする必要はないだろう。ものには情が移る。そうなれば、きっと所有者は、そのものの価値以上の価値を手にしていることだろうから、鑑定は野暮である。



しかし、少しでも「ものの価値」にこだわるのであれば、ぜひ鑑定士に依頼をしていただきたい。鑑定士は上述した想いや、愛着には一切考慮しない(シビアに感じるかもしれないが)。その代わり、○○○万円で購入した掛け軸が、茶碗が、絵画が、本当にその値なのか? または先祖代々受け継いできた家宝が本当にお宝であるのかなどを、正確に知りたいのであれば、我々の出番である。



さて、今回はこのように真贋の話で進めようと思うのが、話というよりも今の世に出回っている贋物、写しが多い作家や美術・骨董品をランキング形式で記してみたい。特に蒐集家の方々の不安を煽るわけでも、絶対に偽物だというわけでもないが、ひとつの知識として参考になればと考えている。



贋物ランキング10選



第1位 谷文晁 (日本画)

谷文晁(1763~1840)は、江戸時代に活躍した南画の巨星。四条派、土佐派、西洋絵画などから、さまざまな技法を吸収した絵画のオールラウンダーである。



真物相場:3,000万円~数億円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★★

(最大★5つ)



第2位 円山応挙 (日本画)

円山応挙(1733~1795)は、円山派と称される近代京都画壇の開祖である。対象を的確に捉え、詳細に画面の中で表現する写実画様式を確立した。現代、日本絵画のリバイバルとして人気の高い伊藤若冲や曾我蕭白と同時代を生きた絵師であるが、当時から応挙の人気は圧倒的なものだった。



真物相場:3,000万円~数億円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★★



第3位 草間弥生 (現代美術)

草間弥生(1929~)は、現代の日本を代表する前衛芸術家である。奇抜な出で立ちと、油絵やオブジェをはじめ不可思議な作品群は、まさに芸術家のアイコンだ。オークションでは現役の芸術家として世界最高峰の高値(約6億円)がつくなど、全世界から注目を集めている。



真物相場:100万円~数億円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★☆





第4位 唐三彩 (陶磁器)

唐三彩は、漢時代(前202~後220年)に誕生した中国のやきもの。土台となる土の白、釉薬として用いる銅の緑、そして鉄の黄色の三色を基調とした柔らかい風合いが特徴で、日本でも非常に人気が高い。馬、人物俑や壷、置物などそのバリエーションも豊富。



真物相場:10万円~数百万円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★☆





第5位 狩野探幽 (日本画)

狩野探幽(1602~1674)は、400年の歴史を誇る狩野派の中でも比類なき才能を持った絵師として知られている。それまでの絢爛豪華な桃山式から脱却し、軽妙かつ詩情深い独自の画風を確立した。円山応挙や尾形光琳などにもその影響を与えたと云われている。



真物相場:数千万円~数億円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★☆





第6位 野々村仁清 (陶磁器)

仁清焼は、江戸前期に京都で活躍した野々村仁清(不詳)といわれる陶工が制作したやきもの。絵付けに狩野派や土佐派の絵画技法や漆の蒔絵技法を取り入れており、日本的な絢爛豪華さにあふれるのが特徴である。このデザイン性は後の京焼に受け継がれ、京焼の源流としても知られている。



真物相場:数十万円~1,000万円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★☆





第7位 伊東深水 (日本画)

伊東深水(1898~1972)は、昭和の時代に活躍した美人画絵師。近代日本画の巨匠・鏑木清方に入門し江戸浮世絵を学び、伝統の絵画技法に則りながら現代の女性を描いた。深水作品のどれもが、艶やかさと叙情性にあふれ、なんともいえない魅力を放っている。



真物相場:数百万円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★☆





第8位 元染付

元染付は、中国・元時代(1271~1368)に製造され、白地にコバルトブルーの色彩が特徴のやきもの。その深い美しさと品格は比類なきものである。染付自体は幅広い時代につくられているが、元時代にもっとも大成したことから元染付と呼び区別している。



真物相場:数億円~数十億円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★★☆







第9位 横山大観 (日本画)

横山大観(1868~1958)は、誰もが一度はその名を耳にしたことがある、日本画の大家。荘厳で力強い画風で知られ日本画の中でもとりわけ人気が高い。同胞でありライバルでもあった菱田春草と朦朧体と呼ばれる画法を試み、近代日本画への礎を築いたことでも知られている。



真物相場:100万円~数千万円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★☆☆





第10位 東郷青児 (洋画)

東郷青児(1897~1978)は、昭和の時代に活躍した日本の洋画家である。少女・女性をモチーフに、幻想的で憂いを帯びた画風の油絵作品が特徴であるが、当時、雑誌の表紙や包装紙のデザインにも使われ一世を風靡している。



真物相場:数百万円

贋物相場:約5,000円~10,000円

贋物の多さ:★★★☆☆



以上が 贋物・偽物・写し の多い作家・美術・骨董品のランキングである。
他にもたくさんあるのだが、キリがないのでトップ10のみ紹介した。
統計はとってないが、過去20年以上、数百万点の鑑定依頼・経験から出てきたものである。

補足すると ニセ鑑定書 が多いランキングでもあるので、鑑定書があるから大丈夫!
という事はない。

今回の話には関係がないのだが、一般的なイメージでいけば毛嫌いされる贋物も、江戸の昔には結構、愛好家がいたりした。その贋物は「写し」と呼ばれる作品群のことだが、それはまた機会があれば、ご紹介しよう。

中国語で言うと「明成化闘彩鶏缸杯」。

通称 「チキンカップ」。
高さ3.8cm 径8.3cm程のこの盃は、約500年前、皇帝御用酒杯として作られた。

 

この酒杯、最高品質のものだけ宮廷に入り、選抜されなかった品物は全て粉砕された。



明の皇帝、万暦帝は、御前に必ずこの酒杯一対を置いて楽しんだという。


15世紀に作られたこの酒杯が、2014年、サザビーズが、香港で開いたオークションで中国人実業家の劉益謙氏に2億8100万香港ドル(約37億円)で落札された。


中国古代磁器としてはオークションでの過去最高値を記録。

実業家・劉 益謙氏は、電話で落札。ハンマーが振り下ろされると満員の会場に拍手が沸き起こった。

劉益謙氏はアート業界では有名な人物だ。

 

20代の頃、タクシーの運転手から不動産・建築・製薬業を興し、巨大グループへと発展させた実業家である。

 

またイタリアの画家モディリアーニの『裸婦像』を210億円で落札した人物としても有名だ。

 

さらに このチキンカップ37億円の支払いをAMEXブラックカードで払い、ポイントだけて2億円分 付与された話は余談としてアート業界で語り継がれている。



この酒杯、世界中記録に残っているのは、約19点しかない。其の内3点だけ個人収蔵品となっている。

他は、北京、台湾、ロンドン、ニューヨーク等の博物館に収蔵されている。
台湾の故宮博物館には、最も多く、6点を持ち、常時展示されている。
  既存流通できる数が極めて少ない為、オークションに出される度に最高値記録を更新している。


闘彩(とうさい)、日本では、色絵付が青豆に似た瑞々しい淡緑色を主とした彩釉を使われている為、【豆彩】と呼ばれている。
中国では、その焼き方から、まず青花で細い線の輪郭を描き、透明釉を施し、1300度の高温で、形を作り、再び赤、緑、黄色を透明釉の上で添色し、低温焼成で完成品になる。完成品に釉上彩と釉下彩の諸色が鮮やかに表れ、まるで綺麗さを争うようになっていることから、【闘彩】と呼ばれている。
闘彩の技法は、明成化年代初期に誕生したが、その技術の要求がとても難しく、なかなか良いもの出来ない、「明成化闘彩鶏缸杯」は、最高傑作品とされている。



成化以降二百年間余り、明、清各年代の皇帝がその時代の官窯に命じて、模倣品を作らせたが、いくら出来が良くても、「明成化闘彩鶏缸杯」に使われていた原料の陶土は、成化年代で使い切り、同じ原料が無い為、二度と同じものができない。

焼き物を愛した清朝の乾隆帝が作った詩の中で、「寒芒秀采総称珍、就中鶏缸最為冠」という句があり、古来、宮廷の中でも、チキンカップが珍重されていることが分かる。

作られた経緯は、諸説があり、一説だと成化元年が干支の鶏年で、それに、中国語の発音が、「鶏」と「吉祥」の「吉」と似っているから。これは、一番有力な説だと言われている。

 

自宅にて過ごす時間が増えた昨今、チキンカップは無いと思うが 一度、押入れの中の探索されてみてはいかがでしょうか?

 

無料鑑定はこちら 

 

 

 

 

                             writing by 染谷尚人

※追記:報道2001にてチキンカップ等のことがが放映されました

 

駅に降り立ったとき、好きな石川さゆりの歌を思わず口ずさんでいた。だが、改札から外に出ても、青森駅は雪の中ではなかった。その年は東北も暖冬で、初春ということもあって、雪は残っていなかった。

 目的地の五所川原市まではレンタカーだ。青森駅からは1時間程度らしい。

「染谷さん、これが簡単な資料です」

 後部座席の隣に座る今野ディレクターがクリアファイルを手渡してきた。東京からの電車の中、私が朝食の駅弁を食べるや寝込んでしまったので、打ち合わせは車の中になったのだ。

羽柴秀吉

 


また、すごい名前をつけたもんだ。もちろん、テレビなどで名前と顔くらいは知っていたが、会うのは初めてだ。そう、羽柴秀吉に会いに、テレビ局の取材チームに同行して私は五所川原市に向かっているのだ。

■青函トンネルで財を成し自宅にお城や国会議事堂

「本名は三上誠三さんといって、1949年、えーと昭和24年生まれですね。中学を卒業してから出稼ぎで金を貯め、21歳でダンプカーを買って始めたのが運送会社。これが当時の青函トンネル建設にぶつかり、ドカーンと儲かったようです。このころに近くの寺の住職から、おまえは羽柴秀吉の生まれ変わりだといわれ、本人は秀吉を名乗っているそうです。27歳の時には青森県の長者番付に名前が載り、その後、建設業や旅館業に手を広げ、今や総資産は200億円とも300億円ともいわれています」

「300億円!?」

 運転手を買ってでたカメラマンが大声をあげたが、今野ディレクターは説明を続けた。

「まあ、それでもって、金を湯水のごとくというか、自宅にお城や国会議事堂を建てたり、あっちこっちの選挙に出ているわけですね」「ほらほら、染谷さん、あれが歌手の吉幾三さんの自宅です。すごい家でしょう。このあたりは有名人の宝庫だな」

 そうこうしているうちに、目の前にお城が見えてきた。目的地到着だ。

 小田原城を模した自宅で出迎えてくれた羽柴秀吉は、テレビで見た通り、豪快な顔つきだった。

 その日の私の役割は、彼が所蔵するお宝を鑑定することだった。東京のテレビ局が全国各地の有名人の自宅を拝見し、秘蔵品を鑑定する。その鑑定役として声をかけられたのだ。

 自宅といっても敷地は果てしなく広い。私たちはトラクターに乗せられて移動した。カメラマンは、実物の3分の1ほどの国会議事堂やお城を丹念に撮影していたが、私が思わず噴き出してしまったのは、巨大なミサイルの模型だった。秀吉さんは、「核を撃ち込まれたときに迎撃するパトリオットミサイルだ」と説明したが、よく見ればベニアにペンキを塗った張りぼてだ。しかしアメリカの偵察衛星にキャッチされ、「日本の田舎でこっそりミサイル基地をつくっている。テロリストか!」という情報が日本政府に伝わり、自衛隊が駆けつけ怒られる騒ぎになったらしい。それで爆笑となったのだが、ともあれ、この張りぼてを見て、私は嫌な予感がしていた。

 

 

 

こっそり依頼された鑑定品は5億円の国宝だったが…

 お宝鑑定は、お城の天守閣の金粉張りの茶室で収録が進んだ。秀吉さんが最初に持ち出したのは100万円で買わされたという中国の壺。しかし、じっくり見るまでもなくニセ物だった。次は大きな貴婦人像の絵画だった。画家はアンソニー・ヴァン・ダイク。400年近く前、イングランドの上流階級の肖像画を専門に描き、今でも根強い愛好家が多い。

 秀吉さんは、知り合いの画商に連れられ、ニューヨークのサザビーズのオークションで競り落としたと言った。いわば、この作品がテレビ収録の目玉作品のようだ。私はじっくり鑑定した。カメラがその様子をなめるように撮っていく。本物だ。それは間違いない。値段は? 私の値付けは5000万円か6000万円だった。しかし、それではテレビ的にイマイチかと思い、「いい作品です。価格は1億円!」と声を張り上げた。秀吉さん、ニンマリするかと思ったのだが、「1億円? バカヤロー。俺は4億円で買ったんだぞ!」。顔が真っ赤だ。これもテレビ的にはいい絵が撮れたはずだ。

 最後に秀吉さん、茶室の金箔のテーブルを指さし、鑑定しろと言ったので、私は手で感触を確かめ、「噛んでみたらどうですか」と返すと、秀吉さん、テーブルの脚に噛みついた。そこには、きれいに歯形が残っていた。ここで一同大笑いとなり、収録は終わった。

 予想外のお宝は出なかったものの、数千万円のフェラーリ(これは本物)も収録でき、笑いあり怒りありで、それなりにいい番組ができたと、今野ディレクターは機嫌がよかった。

 だが、実はメインイベントはそこからだった。夫人が用意した夕食をわれわれが楽しんでいるとき、秀吉さんが私を手招きして、お城の奥の小さな部屋に招き入れた。そこは億万長者の寝室とは思えぬ4畳半の粗末な寝床で、せんべい布団が2組敷かれていた。

「実は、内緒で見てもらいたいものがあるんだ」と、秀吉さんは奥の押し入れの中から木箱を持ち出してきた。紐をほどき、蓋を開け、黄金布を解くと、直径15センチほどの茶碗が出てきた。中国の天目茶碗だ。

「これ、本物かな?……日本にある同じ3点は国宝で、これが4点目だと言われたんだが……」

 国宝? それならば天目の中で最上級の曜変天目だが、私は裏の高台を見終わると、首を振りながら茶碗を戻した。



「どこから買われたのですか」

「知り合いが持ってきたんだ」

「いくらで?」

「……5億円を貸してほしいと、置いていった」

「程度の悪いニセ物ですよ。一目で分かります」

「……そんな。だって、〇〇銀行の頭取が持ってきたんだぞ。鑑定書だって、ほら……」

 声を振り絞り、それだけ言うと、秀吉さんは黙り込んでしまった。

 戦国時代、大名たちが競って手に入れようとした唐もの最高峰の曜変天目茶碗。それに、今太閤の秀吉さんがコロッと騙されるとは、歴史の皮肉を感じたが、目の前で肩を落とし、打ちひしがれる男に、私は不憫と同情を禁じえなかった。人のいい成り上がり者を、銀行の頭取までが寄ってたかってしゃぶり尽くす。まるでハイエナだ。

 骨董品の場合、訴えたところで、相手が「本物だと思っていた」と言い張れば、詐欺罪に問うことはできない。それもハイエナたちは知っていて騙すのである。

 1時間後、気を取り戻した秀吉さんは、何事もなかったかのように、お城の門で私たちを見送ってくれた。暗闇が迫り、凍えるような寒さだ。

 車の窓から、流れる景色を見ながら私は、♪風の音が胸をゆする、泣けとばかりに~、あ~あ、津軽海峡……と、また好きな石川さゆりの歌を口ずさんでいた。