時間感覚 | asobeの音

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書きたくなったら書く。気が付いたことを、徒然と書いていきます。

ツイッターで語ってたら長くなるわーで、ちょっとここの所、フニフニ感じていた「時間の感覚」の話。

無意識に時間への焦りがあったころって、周りの人もそうだと思ってたのか、「不幸に入り浸ってる時間もったいないってば」とか、思ってた思ってた。

命に関わる事にひっかかるのも、本人が「これからの時間をどう使うか」を自分で決めるのはあり。でも、外の誰かが「あれはだめ、これはだめ、それはいい」みたいに、ただでさえ不安で弱ってる相手の選択意志や思考を奪ったらだめだよねえっと。

 

で、結構、面白いのが「生きたい」と思ってる人と「死にたい」と思ってる人の選択構造が、「自分由来」か「他人由来」みたいな感じで、選択の仕方が変わってくる感じはある。

 

満たされてる時間は積み重なっていくもの、満たされない時間は削られていくもの。海にたとえて、海の上を道があったとしたら、満たされてる場合は、どんどん道が広がって行く。一緒に歩いて行ける人数も増えていく。満たされない道は、荒波がどんどん道を削って行って、歩く人数も最終的に一人で歩くことになったり、道が途切れてしまうことになる。

 

満たされてないなりに、なんとか道を修繕したりいろいろしてはいてもね。運命の海ってごりごり削ってくるよなあっと。

 

他の皆さまのブログタイトルで、結婚というキーワードをいただきつつ。(結婚しましたとか、そういうんじゃなくてね)ともに歩く時間があるとしたら、その道はどんどん広がって行く満たされた時間でになる。ともに歩かないとしたら、それは、どんどん削られていく。いずれ道も無くなる。

 

幸せのふりでも、こうすればどーのこーのでも、足元を見れば、でも、あなたは満たされてないよね。なんで、足元の道はそんなに削れてるの。みたいなさ。

 

もちろん、削る人がいるとか、そういうんじゃなくて、それぞれの相性の問題。相性がよくて、満たされる関係なら、道は広がるし、相性が悪い場合は、お互いに道が違った方が良かったりする。

友人でも知人でも一緒。相性良ければ道が広がるし、悪けりゃ狭まる。

 

で、時間っていうのは、それぞれの道の長さもあるよなあっと。当たり前に道が長い人もいれば、短い人もいる。長くても突然ぷつんっと橋が落ちることもあれば、短くても修繕して何とか頑張る人もいる。

 

それぞれの時間は限りがある。その時間をお互いにどう使っていくか。っていうのが大事かなあ

 

アトランティス