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体・心・人生さえ変わるアロマセラピー隠れ家サロン@呉

こころとからだのパーソナルサロン「my story」セラピスト 万有見のブログです。




何となく、また

躰が少し変化したかな?

どのくらいなのかな?

を試すため

今日は、

午前ジム~午後3時の


クリニックなるスケジュールを


たててみたのですが

ジム終わって

クリニックは素通りしました。


自分の強化しないと

いけないところ

よくわかりました


じっくりじっくり


取り組みますわ











昨日は、週2のレッスン


初回日で、どちらかというと


鍛えるという日でしたのですが


ちょっとハードなヨガ


最後は、まとめるため


呼吸、瞑想で終わる


コースとしました。


呼吸は、ちょっと

呼吸でも遊びたいなあ


と思ったので


あ~の呼吸で胸をほぐす


ことにしました。


ため息呼吸でも


はあ~と繰り返すうちに 


長く吐けるようにもなりますし


呼吸法って言い方好きじゃない


ので、しっかり呼吸が

できる準備にもなります。

そう

呼吸で遊べるようになるし

楽しいです。


で、遊びました。


で、瞑想します。と言わずに


瞑想に入りました。


あまり、まあ、躰を動かして

いくうち


瞑想には、入ってますから


~言葉つて素晴らしいけれど

固定観念やそれぞれの

イメージが動いてしまうから

う~ん、まあできれば


そこからも自由に~

いろいろなものが あるけれども

自由スタイルが

結局、私かな?


そんなこんな  


夜、世界一受けたい授業

みていて~途中から


高野山 の犬に感動していた




なんとか瞑想法   


阿息?

 
あ~という音にのせて  

ストレスや

いらないもの出して行く


というのをやっていて


びっくりポン


へえ~


今日やったのと


似てるわ


私は、スピリチュアルでは


ないけれどもね


胸が苦しくなること


あると思います


そんな時、


あ~や

はあ~やため息を


胸に手をあてても


なでながらでも


長く吐こうともせず


何かを吐こうともせず


細切れでも

声がかすれても

声が出なくても

出してみて

躰を感じながら


まかせて


胸や、背中や楽になるのを


感じても


辞めたくなったら辞めて


でも、自分を責めず


そっと抱きしめて


あるがままに


おっ、時間だ、行ってきまあ~す
















たぶん、肉親や親しい方を

看取った方なら

今日の日のことは気づいて

おられたのではないかと

それでも

最後の最後まで希望を

それは、生き死にを

越える何かを、、、、

小林真央さんの

ブログは読んでいたのですが


ここ最近のブログは

壮絶というか気迫というか

ここまで、あるがままで

生きる姿を

素直にたおやかに

自然に、できるの?すごい

衝撃というか
 
言葉がみつからないけど

本当は、アップするのも

きつかったでしょうに

そういえば

昔、おばがホスピスにいた時

大部屋だったのだけれども

まわりの人も

ただ、淡々と静けさと

そこに日常があった姿に


あ~これも日常なんだ

死も生なのかな?

今があるだけかな?


生きるの死ぬのではなく


おばちやんと、普通に

今を一緒にいるだけ


今思い出しましたが


その時感じたことと

同じです。でも、どんな


表現もあてはまらず


陳腐なものになりそう


ちょっと亡くなったと知った時は

とてもじゃなく


あれこれ、ブログとか

書けないよ

って、でも


ニュースで、ブログで賞を


もらった時のコメント


がんになって可哀想にではなくて

がんが私ではなく

人生の一部で

輝く人生です。

超簡略ですが、

これ、すごくよくわかる


私は、可哀想にって

言われないくらい

あるがままできたけれども


それでも

悪気なくですが


可哀想にって言わると

え~って

心で

いや、私は、可哀想な人で

はない

幸せな人だし恵まれている、そりゃ

穴があったら入りたいくらい

ひどいこともしたりしたけど



私は、人間だから

可哀想じゃないのにな

そう、病気も人生の一部

年配の方でやさしくて

悪気ない方が多いので


何とも、向きなる必要は無いけれども


まあね~なんて流してた


今回、入院中、

そう悪気ないのですが

わざわざ私が入院したことを

昔、少しお会いしただけの方に

知らせた方がおられ

噂話し的に

そうしたら、その方

突然

電話がかかってきて

お見舞いに来て下さったのですが

可哀想にって

どうしてそんな可哀想に

連発され


どう反応してよいか

これまで


結構、言われてきたけれども


この可哀想って言葉ほど

残酷なものはないかな?


つて、正直悪い方ではなく

素晴らしい方


なのですが、私、折れそうに


なったんだと


この言葉がつっこみいつもは

するくらい余裕だったけど


今回、この方には


もう会いたくないって


思いました。


お見舞い来て下さった方には


とても素直に感謝して


嬉しくて

ありがたかったのですが


この方だけ


退院したことも、お電話する


べきなのだけど、できなくて


この感情ははじめてだつた


まあ、それだけ余裕はなかったのだけど



慈悲からくるものも


たしかにある


哀れみの心もたしかに

必要だけど

それとは違う




若くて脳出血した子は


退院してからも

頑張って買い物も


行ったり


歩いたり


でも、先日電話かかってきた


時、こんなに頑張ってるよ


でもね、入院中も


そうだったけど


可哀想にね
若いのにね

嫌だ 


病気や障害もってるから


可哀想じゃない


人生の一部だから


何にもない人なんていない


明るい人も


暗い人も、どんな人も

精一杯

生きてる


そして、精一杯


自分自身を


ふるいたたせ


支えて


生きてるから


できれば、素晴らしい人生


真摯に感じながら


今を

生き抜きたいな


冥福祈ります。


というよりは、かなり


言いたくても


言えないことや

世の中に

投げかけていることも


多かったので





この、小林真央さんは


生きつづけて


世の中変わるようになる


そんな気がします。