こんにちは!

「男のストレスをアロマで癒す専門家」
アンスリールの星野知子です。

香りの歴史【鎌倉~室町編】です。

貴族が力を持っていた
平安時代が終わり


武士が力を持つ鎌倉時代へと
時代が移り変わっていきました。

貴族に逆らう
力がなかった武士たちも
だんだん
大きな力をもつ武士たちに合流し
武士団が形成されていきました。

あの有名な
【平家】と【源家】です。

農業の生産力が向上したことから
経済力を強めた日本は
ふたたび大陸との
交易が盛んになりました。

それにより
多くの産地より
多種の良質の香木が
流通するようになりました。

また、仏教界にも
中国から「禅宗」という
新たな教えが伝わりました。

権力闘争に明け暮れる武士達の心に
「禅宗」は
特別な意味を持って
受け入れられていったようです。

この頃
「鎌倉新仏教」といわれる
現代まで続く仏教の宗派が
出そろいました。

「刻んだ香料をつまんで
仏前の香炉にいれる」という
今の焼香のやり方は


この時代に「禅宗」を通じて
広まったようです。

その禅宗の影響もあり
武士たちの間に
「香」の世界が広がっていきます。

香木、なかでも
「沈香」だけを焚く
【一木の香り】
が主流になってきました。

力を失った朝廷貴族には
もう薫物を楽しむ余裕はなく
変わって

勢力を増してきた武士達には

優美な香りの「薫物」より
清爽な香りをもつ「沈香」が
武士の気風に
あっていたようです。

鎮静効果に優れる沈香は
戦の前の高ぶる気持ちを鎮めるなど

まさにアロマの心への作用を
活用していたと思われます。


鎌倉時代の末から
室町時代の中期にかけて

香木の香りを嗅ぎ分ける
【闘香(とうこう)】

という遊びが
公家・武家・裕福な民衆の間で

流行し

それが
その後、香道でお馴染みの

香木の香りを嗅ぎ(聞き)
鑑賞する
【聞香(もんこう)】や


香りを嗅ぎ(聞き)分ける遊び
【組香(くみこう)】の
下地になっていきます。



写真出典

室町幕府の8代将軍・足利義政は
将軍としての統率力は

ありませんでした。

幕府は弱体化し
農民や下級武士による

“一揆”などが多発し


さらに将軍家の跡目争いによって
「応仁の乱」が

勃発してしまいました。

世の中の
そのように不穏な空気をよそに

将軍義政は
独自の芸術の世界に
没頭していくのでした。

文芸・芸術・建築など
多くの文化にお金がつぎこまれ
それぞれが大いに発展しました。

「東山文化」といわれる時代です。

義政が築いた
京都の東山山荘を中心に
武家、公家、禅僧らの文化が
融合して生まれたとされています。

銀閣寺は東山文化を代表する
建築になります。

京都が戦火に見舞われたことで
多くの文化人・知識人が
地方の大名のもとへ身を寄せたため
文化の地方伝播が進行した
といわれています。

貴族的・華麗な
義満の「北山文化」に対して


「東山文化」は
幽玄、わび・さびに通じる美意識。

今日の日本文化の源流ともいえる
文化を築いていくことになります。

その中で
「茶道」の広まりと共に
「香」にも
一定の作法やルールが作られ

「香道」という芸道
として完成していきました。

三条西実隆
そして志野宗信は
現在の香道の様式を整えた
とされる二人です。

それぞれが
祖とされる香道の流派が


2大流派
【御家流(おいえりゅう)】
【志野流】として

広く知られています。

公家風の優雅さを重んじているが
【御家流(おいえりゅう)】


武家の礼法を重んじているのが
【志野流】です。

香道では
香りを「嗅ぐ」というのは

「不粋」


「聞く」と表現するのが
「上品」とされていました。

もともと「聞く」とは
中国語で「嗅ぐ」の意味ですが


日本語での「聞く」は
理解しようとする、心を傾ける
という意味も含まれて
使われていたようです。

香を聞く方法は
香炉に小さな炭団を埋め
その上に銀葉という雲母板を置き

そこに3ミリ角ほどの
小片に切った香木をのせて焚き
かすかにくゆる香りを聞きます。

「伽羅」への
権力者たちの執着が始まったのも
この頃で

権力をもった武将は
最高の香木を集める収集家
でもありました。

伽羅とは?→コチラ

その代表的コレクターが
南北朝時代の婆娑羅(ばさら)大名
佐々木道誉(どうよ)です。



写真出典

「太平記 巻三十九」には

「香風四方ニ散ジテ、人皆浮香(ふかう)世界ノ中ニ在(る)ガ如シ」

「1366年
大原野の勝持寺でひらかれた
花見の宴において
佐々木道誉はひと抱えもある香木
(名香、一斤600グラム)
一度に焚き上げ
その素晴らしい香りが風に乗って
辺り一面に立ち込め
あたかも芳香ただよう極楽浄土
にいるようであった」
と記述されています。

通常
「馬尾蚊足(ばびぶんそく)」
といって
貴重な香木は
馬の尻尾や蚊の足のごとく
細かく刻んで使用します。

むしろ、それほど少量でも
香りを楽しむことができるのが
香木なのです。

伽羅(きゃら)の価格は
現在でも
1グラムが2万円~4万円
ほどですから

価格に換算すると
何千万円分もの香木を
一気に焚いてしまった
ことになります。

佐々木道誉はなぜこのような
ぶっとんだことを
行ったのでしょうか?

実は
政治的なライバルであった
斯波高経(しばたかつね)が
花見の会をひらくことを知り

同じ日に豪華絢爛な花見の会を
開くことで

京都中の文化人たちを
自身の花見の会に集め

斯波高経の花見に
参加させないようにしたのです。

つまり
斯波高経の面子を潰すための
政治的なパフォーマンス
だったのです。

そんな佐々木道誉ですが
文芸や立花、茶道、香道
笛、猿楽など

様々な文化を保護した
文化人でもあり

これらの発展に
大きく寄与したと言われています。

香の世界においても
佐々木道誉の
香木コレクション177種類は

のちに義政に引き継がれ
香道の成立に
大きく貢献しました。

義政は
佐々木道誉から受け継いだ
膨大な香木177種を
三条西実隆と志野宗信らに命じて
体系化させました。

そうして完成した分類法
「六国五味(りっこくごみ)」は

香木を「産地」と
舌で感じる「味覚」で
選別するという
画期的なものでした。

六国は
●伽羅 (キャラ) 
ベトナム 東南アジア
其(その)さまやさしく位ありて
苦味を立るを上品とす。
自然とたおやかにして
また、辛味あり。
酸味・鹹味も有。
其一は苦をたつるをいう。
また優美なる事
譬(たとわ)ば宮人の如し

●羅国 (ラコク) 
タイ 東南アジア
前後に自然と酸味をつかさどる。
伽羅にまがうなり。
しかれども、位うすうすとして
賎しきなり。
其さま武家の衣冠を粧いたる
風情と知るべし

●真那賀 (マナカ) 
マラッカ マレー半島南西
匂いかろく艶なり。
其香のうするを上品とす。
香に僻有。
仮令ば女のうち恨みたがる如し 

●真南蛮 (マナバン) 
マナンバール インド南西
マラバル海岸地方
甘えおたつるもの多し。
銀葉に油つくこと
真南蛮のしるしとす。
然れども外にあり。 

●寸聞多羅 (スモタラ) 
スマトラ島
上品にいたりて
しぜんと匂いすることなり。
仮令ば白檀のごとき匂いあり。
おおかた是も苦味を立る。
其さま商人のよき衣著たるが如し

●佐曽羅 (サソラ) サスバール 
(インド) チモール島
匂い冷ややかにして酸味あり。
上品は焚出しに
伽羅まがう聞あり。
しかれども自然と軽くして
余香に潜れり。其さま僧のごとし。

五味は、味によって
香りの相違を知るものです。 

(カライ・丁子の辛味)
(アマイ・蜜を練る甘さ)
(スッパイ・梅の酸っぱさ)
(ニガイ・黄伯の苦さ)
(シオカライ・汗をぬぐった
手ぬぐいの匂い) 

ひとつの香木でも
必ずしも一味ではありません。

 いくつもの味を兼ねるものが多く
五味の強弱や組み合わせにより
えもいわれぬ香りに
なっているそうです。

これら五味の全ての特徴をもつ
最高品位の沈香が“伽羅”なのです。


義政は遊戯的な要素の濃かった
「香」の世界に
一定の作法を取り決め

用具や聞香方式も様式化し
芸道「香道」が
確立されていきました。

香道が
現代に伝えられる形式として
確立したのは

その後200年ほど経った
江戸時代前半の元禄期になります。

次回は
武士とアロマに
スポットライトを当ててみますね!


参照
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