長編小説「零度の荒野」 47~「真実」の選択肢~ | 「空虚ノスタルジア」

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「ボーダーライン」

帰りの車の中、相変わらずFMラジオだけが時を刻んでいるような静かなる空間で澤村は俺の横顔の軽く目をやると独り言みたいに呟いた。

「俺は記者の仕事の範囲をとっくに越えている。どんな真実がそこにあったとしても俺には記事を書く資格は無い。君に肩入れし過ぎて客観視する事を忘れてしまったからな」

「…あんた、甘っちょろいんだな。別に俺を擁護しなくていい、むしろ、ここまで俺に付き合ったんだし徹底的に書けばいいじゃん。もし、俺が犯人なら[当時、小学五年生の息子が義父を事故に見せ掛け殺害!]あんたが黙っててもマスコミは大騒ぎだぜ」

軽く笑いながら挑発すると、澤村は路肩に車を停めて「ふざけるな!」と、俺の右頬を軽く叩いた。その険しい表情は普段のコイツからは全く想像が尽かないもので俺は反抗も出来ずに硬直状態で在るしかなかった。

「ヘラヘラ笑って言うような事じゃないだろう!何が…何が君をそこまでさせる…」

澤村の両手が俺のシャツを掴むと涙ぐむような情けない顔が視界に入った。鈍い痛みが残る右頬を軽く撫でながら俺は俯き「あんたにはわかんねーよ…」と、敗者の戯言みたいな台詞を吐く。

「家まで近いし、ここで降りるよ。ありがとな、あんたと話せてよかった」
「過去形にするな。俺は必ず真相に辿り着いてみせる。スクープの為じゃない、君たち兄弟を救う為だ」
「それはどうも。それより斉木の婆ちゃんの事、よろしくな、退院したら俺もなるべく気に掛けるからさ」

ゆっくりと解かれる腕に笑みを浮かべて俺は「今度いらねーAVくれよ」なーんて言い残してその場から走り去った。ったく、何でアイツまで泣くかね…俺らは友達でもねーのに。


…今までのようにアイツと会話することはもう無いだろう。振り返った先に澤村の車がまだ停まっているのを確認すると俺は「悪いな」とだけ呟きそれ以上振り返る事はなかった…


温い風が水を得た魚のようにはしゃぐ薄暗い住宅街は澤村のとこと引けを取らないくらいの静寂さに包まれて少々寂しげな気分にさせる。澤村との勝負は何とか乗り切れたものの、達成感みたいなのは何も無く、寧ろ虚しさだけが残った。

澤村大吾が真相に辿り着くのを俺は望んでいる。
その意思に変わりはないが、アイツに叩かれた時、俺はコイツが「筋書きの真実」ではなく「正真正銘の真実」に気付くんじゃないかと不安と焦りと恐怖が頭を過ぎったのだ。

筋書きの真実への導き方は完璧だった。アイツとの会話はアカデミー賞並みの演技だったと自負している程だ…ちょっとオーバーだな。

アイツによって揺さぶられた感情さえも俺は味方に付けた。斉木の婆ちゃんの遺書だって、勿論そんなものの存在は知らなかったが、アイツなら公にすることは無いという確信はあったし、俺が提示した交換条件もその後押しをしたと思う。約束した以上、アイツが筋書きの真実を暴いた時には…というか、俺に口を割らせる事が出来たなら、独占インタビューに応じるくらいは構わない…

まあ、今日のアイツの推測は見事だったし、当時の状況が目の前で蘇る感覚さえしたけど、まだパーツは足りない。奴は重要な点を見逃しているのだ。

だが、アイツは俺の意図するものとは違う点に気が付いてしまった、頬を叩いた意味が俺の予想通りなら左の「筋書きの真実」ではなく、右の「正真正銘の真実」にそう遠くない将来、辿り着いてしまうだろう。

どちらにせよ、あと2年経てば俺の口から話すつもりでいたのだが、そう長い時間逃げ切れはしないらしい。まあ、仕方ねえよな、5年もの間逃げ続けてきたんだし。
とは言いつつも、高校を卒業したら一緒に暮らそう、なんて叶わない夢を圭太に見させてしまった。アイツを笑顔をする為の言葉だったが、先にあるものが絶望ならば最初から希望を差し出す方が酷だ。

…果たして圭太が受け入れてくれるのか、そこだけは俺にも断言出来ない。


すっかり汗を吸収してしまっているハンカチを手錠のように手首に掛けてアパートに着くと、俺の家の明かりが消えたままの状態である事にホッと溜息を付いた。とりあえず圭太から「こんな時間まで何をしてたのか?」という質問はされずに済みそうだ。

「こんばんは」

背後から突然温度の無い機械的な声が響いて、身体がビクッとなりながらも恐る恐る振り返るとそこに立っていたのはいつもと同じ作業着姿の隣人のおっさんだった。右手にぶら下げているコンビニ弁当や缶ビールが一人暮らしの哀愁を漂わせ…って、余計なお世話だが、よくもまあ、いけしゃあしゃあと今まで普通に挨拶を交わしたり、亜美のおばさんに叱られた時に心配するような言葉が掛けられたものだ、なんて思うと意地悪な思考を巡らせたくもなる。

「こんばんは。あの、ちょっと話があるんすけど」
「えっ!?」

挨拶以外ロクに会話などした事が無いので戸惑うのも無理はないだろう。だが、俺が「例の件です」と丁寧に手を添えて耳元で囁くとおっさんは頷くより他に無かった。目で合図して鍵を開けさせると俺はおっさんの後に続いて家の中へと入ってゆく。泥だらけの汚れた靴が散乱した玄関にはビールの空き缶だらけのゴミ袋やら弁当や刺身の空きパックやら、一目でこの男の偏った生活振りが窺える。

「散らかってるけど…」
「すぐ済むんで大丈夫っすよ」

別に俺の家でも良かったのだが途中で圭太が帰って来ると厄介だ。不倫中に妻と鉢合わせになった旦那の気分に似たような気分が味わえるかもしれないが、今はリスクに手を伸ばせる程の余裕なんか無い。
雑誌やダイレクトメール、ピザ屋のチラシに紛れて消費者金融からの督促状が無造作に部屋に散らばっていて、そこに書かれた宛名からおっさんの名前が「佐藤晃教」であることを知った。常識的にそんなものを見るべきではないと重々承知しているが、あまりにも無防備に放置されているので名前くらい覗き見たところで文句は言われないだろう。

それに、この督促状の存在は俺にとって有利な物証だ。

「適当に座って。座布団無いけど…烏龍茶でいいかな?」
「お構いなく」

佐藤がキッチンに立っている間、俺は部屋の中をゆっくりと見渡してみた。元々、このアパートは大家と俺の家と両家の上の階だけが二部屋の造りになっており、他の家は単身用、つまりは佐藤にしろ、斉木さんにしろ、河野莉緒にしろ、全員1人暮らしというわけだ。なので、この一部屋に佐藤晃教の生活の全てが在るわけだが、積まれた段ボールやらバイクのヘルメットやら洗濯前なのか後なのかよく分かんねー服の山やら、こうも散らかっていては把握したいとすら思えなくなる。テレビ付近にあるコンセントはプレステやらパソコンやらの配線でコードが絡むに絡み合っており、近くない将来、火事が起きるのではないかと本気で不安になるのだった。

「で、話って?」

テーブルの上も大変な散らかりようだが、佐藤は器用に空きスペースを判別し俺の前にグラスを置いた。このグラス、ちゃんと洗ってんだろーな、と、渋い顔をしながらも烏龍茶に口を付け、俺は早速本題に入るのだった。

「あの夜、俺が煙草を窓から投げ捨てたとこ、あなた、見てましたよね?」
「へ?な、何?何?なんのことかさっぱり…」

これだけ分かり易く動揺する奴も今時珍しい、俺はナイフのように尖った眼差しを佐藤に向け、続ける。

「直樹が死んだ夜、斉木さんは入院してました。なのにどうして直樹が事故死でないことを知ったのか…あんたが煙草の事を喋ったんだろ?」

狂ったような笑みを浮かべると完全に佐藤の顔は凍て付き、全身から汗と体臭が放たれていた。そのむせ返るような臭いに怯むことなく俺は狂気の表情を維持したままこの男の返答を待つのだった…


(続く)




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