長編小説「ミズキさんと帰宅」 31~笹島、動揺のとき~ | 「空虚ノスタルジア」

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「ミズキさんから付き合ってることは聞いていたけど、実際にツーショットを見るとすごく素敵なカップルね」
「そ、そちらも素敵ですよ。ね?ミズキさん」
「あ、ああ。そうだね」
誰もが目を引くほどに華やかで綺麗な杏里さんを前にするとどうしても私は委縮してしまう。
一緒に居る髭を伸ばしたガタイのいいワイルドな感じのイケメン男性は石井稔と名乗った。今日は高校の同窓会があり、10数年ぶりに再会して意気投合し、食事デートをすることになったらしい。
「この店の話は前にミズキさんから聞いてたから一度来てみたかったの。まさか2人に会えるとは思わなかったけど…」
杏里さんはほんの一瞬、こちらから目を背け表情が暗くなった。
「ナツミちゃん、色々大変だとは思うけど頑張ってね、私は応援してるから」

…色々大変というのはミズキさんのお母さんのことだろう、あそこに勤めて長い杏里さんなら、私と付き合っているのを快く思っていないお母さんの心情を知ってても不思議ではない。顔を曇らせているミズキさんを見てもこの推測は間違いではないはずだ。

「あ!そうだ!ナツミちゃんのメアド教えてくれない?何かあったら相談に乗るし女同士だから話せることもあるでしょ?」
「え、ええ。もちろん、大丈夫ですよ」

メアドを交換すると、ずっと立ったまま一向に席に着こうとしない杏里さんはどうしていいのかわからずただ立ちすくんでいる中也君に「ごめんなさい、席を替えてもらってもいい?私たちが隣に居るとナツミちゃんたちもデートを楽しめないでしょ?」と声をかけた。
「は、はい。それではこちらの席へ」
「じゃあお互い素敵な夜を」
絵になるほどの凛とした姿で杏里さんは私たちから離れた席に着いた。他の客が視界を阻んでここからでは様子は窺えない。
「お2人の時間を邪魔してしまい申し訳ありませんでした」
見た目の印象とは違って石井稔は丁寧に深々と頭を下げて杏里さんの後に続いた。

「ビックリしたー。杏里さんに会ったことよりあのドレス姿に驚いたわ。大人の女って感じね、私なんかじゃ絶対似合わないわ」
「あ、ああ」
どこか浮かない顔をしたままのミズキさんを見て、私は現実を思い知る。想像以上に彼のお母さんは反対を唱えているのかもしれない。その度にミズキさんは苦しんで…
「ナツミちゃん、君は何も心配しなくていいんだよ」
「えっ?」
その穏やかな声にスッと顔を上げるとそこにはいつものように優しく微笑む大好きな顔があった。
「言ったろ?君を守るって。誰にも邪魔させるもんか、僕らを引き裂けるものなんてないんだからさ。さ!ちょっと冷めたけど食事にしよう。おっと、その前に気を取り直してもう一度乾杯しようか。ほら、グラス持って。乾杯!」
「乾杯」

無理しないで…とはどうしても言えなかった。ミズキさんを守るって決めたのに彼に甘えてる自分が世界で一番情けなく思えてくる。
負の感情が体中を覆う中、私は何とか笑顔を見せてここでの時間を過ごすのだった…

「えっと…お会計は…」中也君が伝票を見ながら必死で教わった会計の仕方を口にする。
「そうだ。このご招待券って使えるのかな?」と、ミズキさんは財布からそれを取り出した。
「ご招待券?割引クーポンならあるんすけど…マスター!」
「どうした?レジの使い方がわからないのか?それなら他の奴にでも聞いて…」
中也君がご招待券を見せると笹島さんは唖然として立ちすくんだ。私とミズキさんは顔を見合わせて吹き出しそうな状況を堪える。
「マスター、これって会計どうしたらいいんですか?俺、何も聞いてませんけど」
「あ、ああ。中也、これは取引先の方とかに渡してるんだ。会計は無しだ」

明らかに動揺してる笹島さんには悪いけど「この券、やけにシンプルだな…」と、首を傾げる中也君と並ぶ姿は見ていて楽しい。まあ、そもそも笹島さんがあんな段ボールを置いてくからいけない、自業自得というものだ。

「笹島さん、段ボール取りに来てくださいよ。それじゃ、行きましょ。中也君、頑張ってね!」
「笹島、悪いな。全部バレちゃったんだ。じゃあまた。中也君、応援してるよ」
「あ、ありがとうございました。段ボール?バレた?何すかそれ?」
「お前はいいから仕事に戻れ」中也君をホールに戻した笹島さんは静かな声で「ミズキ、近いうちにお前ん家行くから。ナツミちゃん、このことは内緒だよ」と、人差し指を口に近づけた。

街灯の灯りだけが照らしてくれる道を手を繋ぎ歩いてゆく。これも大人への階段なのだろうかなどと考えていると私はふと杏里さんと石井稔のことが頭を過った。会計の前に挨拶しておこうと思ったのだが2人の姿は無くて「ついさっき帰ってったよ」と中也君に教えてもらっていたのだ。

私たちが居過ぎたのか向こうが早く帰ったのかはわからないけどキラキラ輝く杏里さんの姿が目に焼き付いて離れない。姉のドレス姿もなかなかのものだが、杏里さんの場合大人の色気を存分に醸し出している。確か30歳くらいだったと思うが、私がその年になってもあんな色気はとても出せない。

「笹島の顔、面白かったね。今頃は中也君の質問攻めにあってたりして」
「明日、大学で絶対中也君に聞かれるわ。黙っていられる自信ないけど、さすがに笹島さんが可哀想だものね、黙ってるわ」

私の家の前に着くと、ミズキさんは不意に私を抱きしめ「今日はありがとう。一日中ナツミちゃんといられて幸せだったよ」と耳元で囁いた。
「私も」と言って彼の背中に手を回す。周りはただの住宅街でも私にとっては今のこの場所は楽園みたいなものだ。完全に2人だけの世界。

彼は私の唇にそっとキスして「帰ったらメールするよ。おやすみ」と背中を向けて去っていった。夢から覚めてしまうような不安を感じながらも、これは夢なんかじゃない、いつだって彼と会えるんだから…と、ネガティブに蓋をして私は「ただいま」と家のドアを開けた…

(続く)


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