その後紆余曲折をへてついにホスピスが出来る事になりました。医療者や、関心ある人たちと共に自分たちはどのようなホスピスを作るのか研究と討論を重ねました。そして方針もまとまりホスピスの開業間近になったとき、仲間の一人で法律家でもあった人が突然異議を唱えだしました。先ほどのべたように医療は請負契約で、病気や怪我を治すという事を請け負った、つまり治療を目的として患者を受け入れるのが医療機関の役目である以上、病院の一角にホスピスがあるなら、治療をしないというのは不作為にあたるというものでした。
いまさらなにを言うのかという思いでしたが、しかしそれは大問題でした。それで私はすぐに政府機関に連絡をとりました。すると担当者はそのときすでに日本において2箇所ホスピスが開業しており、その事は問題となっており、まもなく結論が出るということでした。それで仲間の危惧はあながち的外れではなかったという事です。しかし私は楽観的でした。そして法的に問題がないという結論が政府関連機関において出されました。死が間近に迫っている患者に対し、治療を施さなくても不作為にはあたらないというものです。私などは当然と思いましたが、しかしホスピスケアに法的裏づけが付与されたことは、ホスピス運動にも意義のあることでした。
そしてついに関東地域にはじめてホスピスが出来ました。私は日本で最初のホスピスを作ろうと思ったのですが、浜松の聖隷福祉事業団の三方が原病院、大阪東淀川区のキリスト教病院に先を越されていました。しかし日本で数少ないホスピスであるし、何より日本の最大の人口密集地にホスピスが出来たことは意義深いと思っていました。
そして記念すべき第1号の患者が入院してきました。その方は大学の元教授で、針が横におちても痛みで飛び上がるといような典型的な末期のガン患者でした。新聞で関東地方初のホスピスが出来たという記事を読み、遠くから入院してこられたのです。ところがその夜コーディネーター(ソーシャルワーカー)から電話がありました。院長が患者の意向を無視して延命治療を行い、患者と家族がここはホスピスではなかったのかと怒っているというものです。そして院長に申し入れしてもらいたいというものでした。それで私はさっそく院長に電話をしました。院長は我々のホスピスは患者が希望すれば治療をするという方針ではなかったかと反論してきました。それで私は「そうです。患者が希望すれば治療を行うということです。ところで先生、患者の希望を聞きましたか?」と尋ねると院長は言葉につまってしまいした。1年近くも共にホスピスについて散々議論してきたにも関わらず、患者を見たとたん、医療者、医師としての本能的な職業意識はそれらの議論を吹き飛ばし、患者に対する治療をはじめさせたのです。特に院長はガン治療をライフワークのひとつにしていましたから、がん患者をみれば自然と体が動くのでしょう。ホスピスについて散々議論してきた人がそうですから、まして一般の医療者にホスピスを理解させるのは大変なことでした。しかしそれはホスピス運動の本質でもあります。この件であらためてホスピス内の医療体制が討議され、医師団の再編が行われました。
看護士達はみずから希望し、又良く勉強もしていましたから比較的順調にホスピスになじんでいきましたが、医師たちは傍から見ていてもこっけいなくらい、ぎこちないものでした。なにしろ患者に治療を希望しますか、などと聞く質問はあり得ないことだったからです。病院に患者は治療のためいにくるわけですから、そのような質問事態、いままではまったく無意味でありました。又患者にどのような治療を望むかなど尋ねることは医師のプライドにも関わるような質問でもあるからです。しかしホスピスに理解をもつ医師が集まり始め、時がたつうちにホスピスは順調に運営されるようになり、2番目のホスピスも出来上がりました。しかし私は逆にホスピスに対し失望し、関心が薄れてゆきました。
私の頭のなかには欧米のホスピスがありました。死をやすらかに迎え、人生のしめくくりの出来るすばらし場所というイメージです。しかしそれには医療者のみならず、患者の死生感も大きく影響します。最近の米国の世論調査で人間の存在に神が関わっている(つまり神による人間の創造)と信ずる人が70%を超えるという調査がありました。それで欧米人の死生感にキリスト教の影響が多大にあります。キリスト教徒にとり死はすべての終わりではなく、細部に主張の差はあっても、ある意味で一つの始まりなのです。それでキリスト教徒にとり死も生の一部と言うことができます。それで死を受け入れる事が比較的に容易で、ホスピスへの入院にも比較的抵抗はありません。しかし日本人の大半が仏教徒とはいえそれは葬式だけの話であり、本気で死後、極楽にゆけると信じている人は多くはないでしょう。日本人の意識はむしろ儒教的なものですが、それで日本人の宗教信条は別のところにあります。日本人の宗教感については別の機会に論じるとして、日本人は容易に死を受け入れる事は出来ません。スタッフとよく日本的ホスピスという事を議論しましたが、ホスピスにいながらガンの告知を受けていない、あるいは家族の希望で告知をしないというのもめずらしくありませんでした。
ホスピスはやがて緩和ケア病棟として、診療報酬の対象となる医療の一分野となりました。
それとて政府、役人、政治家がホスピス運動に共鳴したというわけではなく、(無論運動の成果にはちがいありませんが)末期ガンに対する高額な医療費が注目され、その歯止めとしての役割の期待の方が大きい事は想像されます。事実米国のホスピスの普及は高額な医療費対策の側面があります。
最初に日本でホスピスが作られ20年近い年月が経ちましたが、いまだに欧米のように50床100床というようなホスピス専用の施設は作られていません。(小さな施設はありますが)殆んどが病院の一部として運営されています。しかしホスピスの思想とホスピスケアについては確実に医療者にも、患者にも広がりを見せました。単にがん患者だけではなく、老齢で亡くなってゆく人にもこの考えをあてはめてケアするという事が実践されるようになりました。これこそ私が当初目指したものです。
人間はいつかかならず死にますが、どれぐらい人間は生きられるものなのでしょうか。
日本人の平均寿命は男性で78歳ほど、女性で85歳ほどです。しかし最近は健康寿命ということが言われだしました。ただ生きていれば良いというのではなく、人間らしく健康でいられるのは幾つぐらいかというわけですが、日本人の場合男性で75歳、女性で80歳と言われています。
日本は世界一の長寿国といわれますが、人間は長生きできるようになったのでしょうか。
聖書のなかで“人生は70年、元気であってもせいぜい80年、ただ悲しみと苦しみを乗り越えてきたことを誇るだけだ”という一説があります。これをモーセが書いたのは3500年も前のことでした。彼はエジプトの王族として育てられ、エジプトの教養を身につけた人でした。エジプト人は人の死後、遺体をミイラにしましたので、現在何万というミイラが発見されています。そのミイラの研究によりエジプト人がどのような病気で死んだか、幾つぐらいまで生きたかということが分かってきています。それによるとエジプト人の平均寿命は50歳ぐらいであったろうと考えられています。昔日本でも人生50年と言われたものです。今でも平均寿命が50年くらいというのは開発途上国で多く見られます。エイズの蔓延している国や一部の国では30代半ばというのもめずらしい事ではありません。
でもモーセはそういう統計の話ではなく、色々な病気や事故などをくぐりぬけてきても、せいぜい人間は7,80歳位生きるのが限度であろう、いいかえれば人間の寿命は神が7、80歳と定められたのだと言っているのに等しいのです。人が人らしく生きるのは7,80歳ぐらいなのでしょう。
現在日本人で100歳を超える人は1万人を超えました。以前であれば100歳になったことは奇跡に近く、大変なよろこびでしたが、しかしそれほど生きて完全に自立できる人はわずかでしょうから、最近の論調は、老老介護(老人が老人を世話する)の問題とからめ悲観的な記事が増えました。
人の死は事故や急激な症状の病気などを除いて序々に進行します。人間の死とは何でしょうか。何をもって死というのでしょうか。これは単純なようでむずかしい問題です。
私は以前臓器移植をめぐり思想的に臓器移植に反対する人たちと議論を戦わした事がありました。そして実際に臓器移植に携わった医師や看護師の話を聞き、それまで臓器移植に肯定的であった私の意見は変化しました。何故かというと、死んだ人間からは臓器移植が出来ないという私なりの結論からです。そして国により死の定義が違い、ある国では死んだとされてもある国では生きているとされるのです。いずれにしろ死んだ臓器は移植できないのです。死んだと診断されても、髪の毛や髭が伸びることは良く知られたことです。死亡と診断されても体のどこかの細胞はまだ生きているのです。それで絶対的な死は人間の細胞すべてが死にたえる事を意味します。それでそこに達するまで幾多の過程をたどります。
一般に安楽死は安易に認められませんが、尊厳死はだれしも認めると思います。(もっとも安楽死を安易に認める国が最近出てきましたが)この二つはどのように違うのでしょうか。安楽死は苦悶する患者に薬物などで積極的に死を早めることです。しかし尊厳死はあえて延命治療を行わず自然にまかせることです。臨終とは死の瞬間をさすのではなく、文字通り終わりに臨む、つまり死に至る過程を指す言葉です。それで機械装置による無理な延命は延命ではなく、臨終を伸ばすにすぎないという医療者もいます。
死ぬことが人間にとり必然であれば、死も生きることの一部であり、人間が人間らしく生きるためには、人間らしく死ぬこともより良く生きる事の一部ではないでしょうか。
年をとればやがて人は臨終にむかって進んでいきます。体の機能のあちらこちらが失われてゆきます。咀嚼のための歯、目の衰え、耳の衰え、足腰がたたなくなる、糖尿病などのため腎臓が機能しなくなる等々です。それらに対しその機能を補佐し、あるいは代替として色々なものが使われます。補聴器や入れ歯、あるいは透析機などが使われますが、それと延命につかわれる高度な機械と同じにするわけにはいかないでしょう。
70、80をすぎて尚若い人と同じように医療を受ける事が絶対必要だと考える必要はないのではないでしょうか。苦痛を取り除くことそれは死の瞬間まで必要なことです。しかし苦痛がなければ臨終に向かい体の機能が損なわれていくのを良しとするなら、もっと具体的にいうならば老人が医療を受けることを拒否しても容認してもよいのではないでしょうか。今日本人の大半は病院で死にます。なかには自分の死を医療者にゆだねたいと思う人もいるかも知れませんが、多くの人は愛する家族に看取られて死にたいと思うのではないでしょうか。それであれば充分な医療を受けることが出来なくても、患者が自宅にいることを望み家族がそれを良しとするならそれを受け入れるべきではないでしょうか。
もちろん患者が望むなら、どのような医療を受けるか決めること、それは患者の権利です。
では認知症の進んだ患者はどうでしょうか。脳の機能が失われ、あるいは退化した老人は自己決定能力が極度に低下します。それはまるで子供のようです。子供の医療に関する決定権はだれがもつのでしょうか。それは一般的には親です。しかし親があまりに非常識な態度をとれば法的な手続きにより司法が介入することがありますが、普通は子供の医療に関する決定権は保護者にあります。そうであれば自己決定能力の失われた、あるいは低下した老人の医療に関する決定権はその老人にかわり日常の決定を下している保護者にあるとしても違和感はないのではないでしょうか。実際のところ痴呆老人を食い物にする商売などがはびこったり、詐欺まがいのことが社会問題として増えたため、成年後見制度と言う制度が作られました。それは主に経済上の問題を本人に代わり決定します。お金の問題は法律上の制度が完備されましたが、命や人間の尊厳に関する問題は法律ですべて規定出来るものではありません。又人間の行動すべてを法律で律しきれるものでもありません。人間に与えられた良心、倫理感、自然(あるいは神)への畏敬、それらが相俟って決定されるものです。介護を受ける老人、あるいは認知症の老人にかわり決定を下す人が、老人の受ける医療につき、あるいは死に様(生き様)について、老人の望む事あるいは望んでいた事を最大限尊重しつつ、医療につき選択を行うよう誘導し、ホスピスの思想にそった介護、看護を行う事、それが我々に課された使命ではないでしょうか。