有川浩と覚しき人の『読書は未来だ!』

あくまで一作家の一意見であることをご了承ください。
お問い合わせは、角川・幻冬舎・講談社各窓口へ。
Twitterアカウントはhttps://twitter.com/arikawahiro0609
悪意ある無断リンク・無断引用、ネットニュース等報道の無断引用は固くお断り致します。


テーマ:
私の育った高知県には、現代でも陰陽道と似た要素を持つ民間信仰が生きている村があります。(陰陽道と要素は似ていますが、独自の信仰体系です)
物部村の「いざなぎ流」という信仰です。

ざっくり言うと、村には「太夫」という陰陽師のような役割を果たす術者がおり、村人は太夫に依頼していろんな祈祷をしてもらいます。
その依頼の中には「さる人物を呪ってほしい」というものもあり、太夫は依頼を受けると呪詛をかけます。
そして、その呪詛は、実際に効くとのこと。
実際に呪詛を受けた人が体調を悪くする、というようなことが発生するのです。
しかし、呪詛が効くための条件があります。

・同じ村の住人であること(都市部に居を移していても、定期的に里帰りしている者は住人と見なす)

呪詛が成立するシステムは、ざっくり言うと以下のようなもの。

①太夫に呪詛が依頼される。(呪詛対象の発生)
②太夫が呪詛を執り行う。(呪詛の実行)
③村の何某が呪詛された、という風聞が呪詛された本人の耳に入る(呪詛の認知=太夫に呪詛を依頼するほど自分に悪意や敵意を持っている人間が同じ共同体の中に存在する、という事実を呪詛された本人が知る)
④ストレスにより心身の不調を来たす。(呪詛の成立)

すなわち、言葉や文化、習俗を同じくする同じ共同体の人間同士でないと、呪詛は効きません。
物部村の太夫が、顔も知らないアメリカ人を呪うことはできません。
しかし、同じ共同体の人間同士には、呪詛は一定の効果を上げるのです。
そして、文化の根幹を成すのは、言葉です。
言葉というのは祝いも呪いも司ります。
言葉一つで、誰かを不調に追いやることができる。
逆転させれば、祝うこともできます。
言葉は人を精神的にも物理的にも操作できる。
それを共同体内でシステム化したものが、「いざなぎ流」の各種の術法なのではないかと(私はあまり詳しくありませんが、陰陽道の基本もこういう感じかと)
物部村、合併で香美市になったので、現在の「いざなぎ流」の効力範囲がどうなっているのか興味深いところです。

そして、現代のインターネットは、古来からの「言葉による術法」が蘇った場所なのではないかと思います。
古来、それは太夫や陰陽師のように、人々から術者として認められた人々だけが行える術法でした。
インターネット発生以前の現代も、政治家やマスコミ、文筆業の人間しか「言葉」(=言葉による術法)を社会に発することはできなかった。
しかし、インターネットの発生によって、全ての人が簡単に社会に「言葉」を発することができるようになりました。
そして、言葉によって人を操作できる、ということを感覚的に知った人たちが、無秩序状態で術法をばら撒いている状態が、今のインターネット社会ではないかと思うのです。
「自分の言葉で人を操作できる」という可能性には、麻薬のような中毒性があります。

冒頭の呪詛の発生になぞらえると、

①太夫に呪詛が依頼される。(呪詛対象の発生)
→ネットという共同体の中に攻撃対象を発見する。
②太夫が呪詛を執り行う。(呪詛の実行)
→ネット上で相手を誹謗中傷する言葉を発する
③村の何某が呪詛された、という風聞が呪詛された本人の耳に入る。(呪詛の認知)
→誹謗中傷が本人の目に触れる。
↓↓↓↓↓
④ストレスにより心身の不調を来たす。(呪詛の成立)
という結果は同じ。

全ての人が「言葉」によって術者となれるネット社会においては、①②の依頼者と術者が同一化される分、呪詛は発動しやすくなっています。呪詛を相手に届けるのも簡単。
そしてまた、簡単に発動できる呪詛の力に酔っている人も多いように思われます。
自覚なしに呪詛を放っている人も多いように思われます。
インターネットは世界を一つの「共同体」に変えてしまい、呪詛が届く範囲はもはや世界中です。
言語の壁さえ乗り越えれば、顔も知らない外国の人を呪うことさえ可能になってしまいました。

ちなみに、古来は呪詛は違法でした。
違法な呪詛を頼むほど自分は憎まれているのだというストレスが、呪詛された人を病ませたのだと思います。
そして、呪詛を受けた人は、別の術者を雇って、「呪詛返し」をします。
この「呪詛返し」を受けた術者は、死ぬとされています。
これは、「社会的な死」を示唆したものではないかと思います。
違法な呪詛を引き受けたことが露見し、術者としての社会的信用を失ったことを指して「死」としたのではないかと。
(だから太夫は、自分が呪詛を執り行うとは絶対に言いません。「そういう術法もある」「呪詛を引き受ける太夫もいる」と話します。平安時代の陰陽師もきっと同じだったでしょう)

さて、再び現代ネット社会。
匿名で人を中傷しまくっていた人の「個人情報」が露見したら、その人は現実の人間関係の中で著しく信用を損なうでしょう。
それもまた「社会的な死」と呼べるのではないでしょうか?
現代、インターネットという共同体で、「死」を覚悟して呪詛を行っている人は、一体どれほどいるのでしょうか?

ネット上の誹謗中傷や悪口は、呪詛です。
(相手を柔らかく操作・束縛しようとする言葉も、呪詛の一種です)
現代、ネット上は呪詛が溢れかえっています。
(発する本人が正義の鉄槌であると信じている言葉も、四方八方から行き過ぎた数が重なれば、社会的な嬲り殺しでしかありません。言葉で人を殺してしまえば、それもまた呪いです)
インターネットという共同体で、呪詛の標的になりやすいのはやはり著名人で、私もそこそこ売れている作家の一人として、常に呪詛を受け続けています。

しかし、言葉は呪詛ではなく、言祝ぎも担います。
太夫は、家内安全や平癒祈願など、善き祈りも担うのです(むしろそちらが正業です)
「嫌いの主張ではなく、好きの主張を」と私が繰り返し言うのは、ネット上に呪詛が蔓延する世界ではなく、言祝ぎが蔓延する世界を望むからです。
自分の「嫌い」は、誰かを必ず傷つける。それは数重なれば、呪詛になるのです。
ネットは、便利なツールです。
言葉の術法を簡略化し、万人に使えるようにしたツールです。
便利なツールを、呪詛のツールにするか、言祝ぎのツールにするか。
選ぶのは私たち自身です。

私は誹謗中傷から柔らかな操作・束縛まで、多くの呪詛を受けてきました。
しかし、同時に、言祝ぎもたくさん受けています。
私に向けられた呪詛を、言祝ぎが癒してくれました。
だから私は、一部ゴシップ媒体から信じられないような悪意の呪詛を受けても、揺らがず作家として立ち続けていられるのです。
多くの呪詛を受けてきた身だからこそ、言祝ぎの力も身に染みています。
海外の読者さんが、拙い日本語で懸命に励まそうとしてくれることさえあります。
だから私は、人は呪詛よりも言祝ぎに生きることができると信じているのです。

(今日の記事の参考文献は、『憑霊信仰論』を始めとする小松和彦氏の著書です。若い頃に読んだ上での個人的な解釈なので、「いざなぎ流」についての詳細を正確に知りたい方は、各種文献を当たってください)

【blogの注意書きにも書かせていただいておりますが、当blogの個人様・書店さん以外の悪意ある無断リンクや無断転載は固くお断りいたします。悪意を感じられるかどうかは、私と出版社の判断に依るものとさせていただきます。また、blog内容は、あくまで一作家の一意見であることをご了承ください】
【blogの注意書きを変えてほしい方がおられるようですが(特に「悪意ある無断リンク禁止」の部分)、悪意を拒否する意志を発することは自由だと考えておりますので、ご了承ください】
AD
いいね!した人

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。