赤子さん、この世に生を受け半年がたったにて相成りまする、じゅらるみんです。

 

 

 

 

※今日の(も)ブログは長いです・・・いろんな想いがほとばしりました※

 

 

 

 

 

2016年11月25日。

 

 

我が赤子・太郎(仮名・0歳6か月)の誕生日です。

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

本日

 

 

2017年05月25日。

 

 

太郎のハーフバースデーです。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

産まれたときは

 

 

身長51cm

体重3.3kg

 

 

でした。

 

 

 

 

里帰り出産をせず、

 

産院と産後院に入院をした1週間をすぎて自宅に戻り。

 

 

そこから夫婦二人だけの

怒涛の半年だったきがします。

 

 

ふらふらになりながら、日々をすごしていた最初の2カ月。

 

 

夫と毎週のように喧嘩をして。そして話し合い。

 

 

 

 

 

 

 

親が親になるスピードよりもはるかに速く遠くに

 

 

赤子さんは毎日たくさん成長をしてきています。

 

 

親の顔を認識しはじめて。

 

 

あうあうーとしゃべるようになり。

 

 

 

 

手をにぎにぎできるようになったり、

 

 

笑顔ができるようになったり。

 

 

おもちゃをもって遊ぶことができるようになり。

 

 

 

 

毎週、毎週

 

彼ができることがたくさん増えていき。

 

 

 

 

 

そしていまでは

 

 

寝返りをしたり、おすわりがすこしずつできるようになったり。

 

 

自分なりにずりばい?をしようと懸命に動いてみたり(笑)

 

 

 

 

 

 

そんな太郎は

 

 

 

身長68cm

体重7.7kg

 

 

となりました。

 

 

 


 

 

 

 

ほんとうにあっというまに大きくなって。

 

 

 

そして彼は日を増すごとに、にこにこ笑顔が多くなり

 

 

夫と私、また私たちの家族(私たちの親兄弟)にも

 

 

大きな喜びと幸せを与えてくれています。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

ちょっと

 

不妊治療のことを思い出しました。

 

徒然なるままに・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、慶愛クリニック友の会(当クリニック出身でご出産された方)な友達と

 

しみじみ話してたんです。

 

 

 

 

 

不妊治療、とくに体外受精をしていたあの頃、

 

 

 

私たちは「子を持つ人生」が想像できなかった、と。

 

 

 

「子を持つ人生」を得ることはできないのではないか、と。

 

 

 

 

 

ずっとそうおもいながら、不妊治療をしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶愛クリニックは池袋にあります。

 

 

ときどき所要で池袋に立ち寄り、そして慶愛クリニックの前を通ります。

 

 

その時、わたしはクリニックがはいってるビルを見上げるのです。

 

 

そのビルの4階にクリニックはあるのです。

 

 

でも、ビルの外側からはその4階が何かはわかりません。

 

 

窓にけっして開けられることはないカーテンが引かれており、

 

クリニックの名前も記載していません。

(ビルの1階部分のフロア案内のところには小さく記載はありますが)

 

 

 

そのビルを、決して開くことのないカーテンを見上げて

 

 

なんとも言えない気持ちになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

そして、そのカーテンの向こうで

 

 

治療に励む同志たちをよこに

 

 

診察室にいる竹原先生から呼ばれるのを待ち

 

 

体外受精をはじめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのクリニックの門戸をたたいた2015年10月。

 

 

そこから体外受精を初めて約半年。

 

 

 

 

 

 

体外受精を始めると、

 

 

「いよいよ、この世界に踏み込んだ」

 

 

と、後戻りできない、

 

そんな心持ちになるのです。

 

 

 

 

 

”不妊”であることを一心に受け入れざる得ず。

 

 

 

そして

 

 

”28-30日周期でやってくる生理(リセット)か妊娠か”

 

 

 

 

「ゼロ・イチ(妊娠するかしないか)の世界」、

 

 

長い深い闇のなかの出口は誰もわからないトンネルに一人立たされ

 

 

そんな世界に住んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、

 

 

「妊娠をしたい」

 

 

その気持ち一心で、

 

 

その闇のなかでよろよろとどの方向に向いて歩いてるのかもわからずに

 

 

出口もわからず、

 

ただただトンネルに居ました。

 

 

 

 

 

 

 

数日に一回通院して、

 

 

排卵誘発剤の筋肉注射を打ち、

 

 

内診をし、

 

 

血液検査をし、

 

 

やっとの思いで卵胞を育て。

 

 

 

 

 

 

そして、

 

いざ、無麻酔採卵。

 

 

 

 

いくつ卵はとれるのか。

 

 

とれた卵は受精するのか。

 

 

受精した卵は胚盤胞までなるのか。

 

 

移植できるレベルのホルモン値であるのか。

 

 

子宮内膜の厚さはどうか。

 

 

移植できるのか。

 

 

 

 

 

 

 

移植ができるとなり、いざ移植し。

 

 

 

 

 

 

移植後、たった5-7日程度で

 

 

”判定日(妊娠(陽性判定)したのか

 

していない(陰性判定))のか”

 

 

 

という「判定日」がやってきます。

 

 

 

 

 

 

この一連のプロセスをたった4週間の間にすべて繰り返す、

 

闇のなかでのジェットコースター。

 

 

 

 

 

気分があがったり、下がったり、ひどく落ち込んで何も手につかなかったり。

 

 

 

 

 

息つく暇もなく、

 

次々とやってくる「ニンシンするためのすべきこと」の治療。

 

 

 

 

 

嫌だった血液検査も、

 

 

ストレスな痛い筋肉注射も

 

 

看護師さんに顔では平気なフリをして笑ってはにかむものの、

 

 

心は完全に無表情、心の痛みを感じないようにするために

 

淡々と投薬・注射を受けていました。

 

 

 

 

 

痛みは痛みとも感じずに、

 

 

「妊娠できないかもしれない自分」を考えると

 

 

もうどうしようもない気持ちになり、

 

 

慟哭してしまいそうな毎日であり、

 

 

それを決して心から出さないように自分が自分で気づかないように

 

 

心を無にして淡々と通院をしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陰性判定のとき、

 

クリニックをでて帰るとき、

 

どうやって駅までたどり着いたか正直覚えてない。

 

 

 

 

 

 

 

ずっと考えるんです。

 

 

 

 

なにがいけなかったんだろう。

 

どうしたら妊娠するんだろう。

 

ほんとうにこの治療でよいのだろうか。

 

 

 

もっと早く結婚して、妊活してたら違ったのか。

 

 

 

 

 

その後悔が浮かびそうになった瞬間に

 

 

それを考えそうになるのを、即蓋をして、

 

 

必至に家路に急いで帰る日々でした。

 

 

 


 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

私の場合、

 

4回目の移植で陽性判定がでて。

 

 

しかし、陽性判定がでても妊娠継続率は50%。

 

 

 

 

何もすべきことがなく、

 

状況を慎重に見守りつつ12週になってようやくの心拍確認。

 

 

 

そして、

 

慶愛クリニックを卒業しました。

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

なんと言葉にしていいのかわかりません。

 

 

 

ただ、

 

あの頃の自分は

 

すべて

 

 

”妊娠すること”

 

 

に囚われ、

 

それと同時に

 

妊娠にかかわること、子供にかかわることすべてを妬んでいました。

 

 

 

 

 

 

マタニティーマークをみては目をそらし

 

妊婦さんをみたら存在していないものとして、

 

電車のなかでは隣の車輛にすぐ移ったり。

 

 

視界に入らないようにしていました。

 

 

 

 

 

子供の笑顔も、

 

その親御さんの笑顔も

 

とてもとてもつらく、

 

 

やはり目をそらして存在していないモノとして

 

心に蓋をして生きていました。

 

 

 

 

 

 

 

妊活・不妊治療は結局約1年半程度であったのでありますが、

 

 

「子供のいない人生」

 

を、

 

 

考えたくもないけど

 

その人生になるやもしれぬという日々を過ごした一年半は、

 

いまでもどのように受け止めたり、消化していいのかはわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

なので、

 

池袋の慶愛クリニックの前を通るたびに、

 

 

いまこの瞬間も

 

 

当時のいろいろな気持ちが心のなかでにじみでてきては

 

 

なんとも言えない気持ちになります。

 

 

 

 

 

そしてカーテンの奥にいる

 

いま現在、治療を受けている方々のことを想うのです。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・

 

 

 

幸運なことに

 

妊娠をし、それは継続し。

 

 

 

しかし、

 

分娩台にあがるその瞬間までも

 

 

「私は本当は子供をもてない人生になるのではないか」

 

 

とその瞬間まで恐怖におびえ過ごしていました。

 

 

 

 

妊婦さんのころ、

 

幸せな気持ちがあったか、といえばありました。

 

幸せな気持ちで過ごしていました。

 

 

 

 

 

ただ、その裏では

 

 

そんな風に

 

 

「もしかして、本当はダメになるんじゃないのか」

 

 

そんな気持ちを、分娩台にのる瞬間までも持っていたとは

 

 

自分でも驚きの心境でした。

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

会いたくて会いたくて仕方なかった我が子に会えたのが

 

 

半年前。

 

 

 

 

 

そして、その赤子さんは

 

今日をもって半年を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

大きな病気もケガもすることもなく

 

 

こうして今日を迎えられたのは

 

 

なんともいえぬ

 

 

深い感動と

 

 

感謝の気持ちがただただこみあげてきます。

 

 

 

 

・・・・・・・・

 

 

 

徒然なるままに、

 

 

不妊治療中から今日までの日を思い出してきたのですが

 

 

 

 

結婚して素晴らしい夫と生涯を歩めることだけでも

 

大変に幸運で幸せだとおもっていました。

 

 

 

 

 

が、

 

こんなにも美しくはかなく

 

夫も私も命をかけて守りたいと思える存在である

 

赤子さんと一緒の人生を歩めることができることが

 

 

 

 

まったく想像すらできなかったほどに

 

 

 

こんなにも幸福なことはなかろうと

 

 

また

 

 

人生でこんなに幸せなことがあろうかと

 

 

 

 

そんなことを

今日は、このハーフバースデーのこの良き日に

 

あらためてしみじみ想いにふけているものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤子さん、

生後半年おめでとう!

 

 

 

私たち親も

親となって半年おめでとう!

(そしてお疲れ!(笑))

 

 

 

 

 

またこれからの毎日が、

 

 

より大きな幸せの日々になることがわかっており、

 

 

それが楽しみで仕方がありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸:

 

 

 

今日は”ハーフバースデー”ということで

 

 

おうちでしっぽり赤子さんときゃっきゃうふふをする予定です。

 

 

 

 

こんな飾りつけと、

 

 

手作りクラウン(これは職人さんに作ってもらいました)

 

 

 

 

で、保育園から帰ってきたら写真をとって

 

 

(私が)きゃっきゃうふふ遊ぼうとおもいます(笑)

 

 

 

 

めっちゃ楽しみです♪

 

 

 

メモリアルバースデー ペーパーフラッグセット ブルーMIX

↑つかっているのはこちらのセット。

 

 

クラウンは知り合いの方に作ってもらいました♥

 

 

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