ひとりひとりがナウシカに | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

以前「原発にも愛を送ろう」という記事を書きました。

http://ameblo.jp/aries-misa/entry-10834535446.html

原発(核燃料)は「風の谷のナウシカ」に出てくるオームだったんだと。

なでしこジャパンが優勝して、表彰台で黄金のトロフィーを天にかかげた瞬間、まるで風の谷のナウシカのワンシーンのようだったとツイッターで話題になっているそうです。

てんつくマンさんのブログを一部転載します。

http://ameblo.jp/tentsuku-man/entry-10962318889.html

映画『風の谷のナウシカ』冒頭ナレーション

腐海一の剣士・ユパ:「また村がひとつ死んだ」「行こう、ここもじき腐海に沈む」。

巨大産業文明が崩壊してから1000年。

錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に、くさった海…腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり衰退した人間の生存をおびやかしていた。

ナウシカ:「腐海の植物の胞子を集め、地下500mからのきれいな水で育てたら、毒は消えてしまった。『土』が汚れているのよ。だれが世界をこんな風にしてしまったのでしょう。」と、ナウシカは涙する。

預言者のおばば:「大地が怒りで満ちておる」

トルメキアの皇女クシャナ:「犯されながら腐海とともに、生きるというのか?」

風の谷の長老:「あんたがたは『火』を使う」「多すぎる火は何も生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は百年かけて森を育てる。われわれは水と風の方がええ」。

腐海との戦いは、いつのまにか攻撃的な皇女の「トルメキア軍」とナウシカの「風の谷」そして「アスベル」の国という人間同士の三つ巴の戦いに転化してゆく。

ラストシーン、トルメキアの皇女クシャナが王蟲(オウム)の子供の一匹を傷つけおとりにした。

それを知っって怒った巨大王蟲の大軍が風の谷に向かって攻めてゆく。

このままでは風の谷が王蟲によって壊されてしまう。

人間も村もすべて壊されてしまうと誰もが思った時、王蟲の進行方向にナウシカが現れ王蟲に「来ちゃダメ、止まって」と祈る。

しかし、怒りの塊になっていた王蟲はナウシカをはねてしまう。

その時、王蟲の動きが止まる。

王蟲の集団の真ん中でナウシカが倒れている。

すると、人間に傷つけられたさきほどの玉蟲の子供が一生懸命ナウシカを治療しはじめる。

その姿を見る風の谷の面々。

すると予言者の目が見えないおばばが言う。

「奇蹟じゃ。何という『いたわり』という愛じゃ。巨大な玉蟲たちがこころを開いておる」。

そして、子ども達がおばばに言う。

「姫ねえさまが(ナウシカ)、まっ青な異国の服を着ているの。まるで金色の草原を歩いているみたい」。 

それを聞いたおばばが号泣しながら言う。

「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。

失われた大地との絆を結び

ついに人々を清浄の地にみちびかん。」

大地が傷つき、人が混乱に陥った時、青き衣をまとった救世主が金色の野に現れ、とぎれてしまった大地との絆をまた結び、また、綺麗な大地に戻すために導いてくれるという言い伝えたが昔からあった。

それが、ナウシカだった、というもの。


今回、なでしこジャパンのユニフォームは青、そして、グランドは金色。

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原発事故で大地が汚れてゆく日本で、まさにナウシカのような出来事をなでしこがやった。

ここで大事なのは、「そうか、救世主は澤だったのか、なでしこジャパンなのか?」ということではなく、救世主とは一人一人みんななんやってことを思い出すこと。

日本人よ。また、日本に住むものよ。

今、やるべきことは救世主を求めることでも、探すことでもない。

自分が救世主の一人であることを思い出すことだ。

忘れてはいけないのは、『いたわり』という愛。

今、俺らは人間の被害のことばかり言うてるけど、動物も昆虫も鳥も魚もみんなに迷惑をかけてしまったんやと思う。

王蟲のように人間に対して怒りを持っている動物達がいるかもしれない。

今、人間が動物に襲われても「ごめんなさい」としか言えないんじゃないやろうか。

生きとし生けるものがみんな笑って生きてゆけるように、俺ら人間は自分たちがコントロール出来ないものは触っちゃいけないし、作るべきじゃないと思う。

夢という言葉で暴走する原発を推進する人達を止めるもの。

それを、みんなで考えて実行に移そう。

<転載終わり>

ナウシカの世界を、私たちを代表する「なでしこジャパン」が象徴してくれました。

奇跡は起ころうとしています。

私たちひとりひとりがナウシカになって、世界を変えていく時なのだと思うのです。

その事に多くの方が気がつき始めたことに意味があるのだと感じました。