最終回
いよいよ前田紀貞建築塾 第2期も最終回となりました
半年間とはなんとも短いものですね・・・・・・・
本日は第3課題「自然を受信する庭」の最終講評会となります
ゲスト審査員は言わずと知れたCELLULOID JAMの施主である、坂野公一さん(通称サカポンさん)
グラフィックデザインの大御所であります
■坂野公一:welle design(ヴェレデザイン)
■サカポンさんのCELLULOID JAM日記
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13189125&comm_id=1609227&page=all
今回は【最優秀賞】【優秀賞】とは別に、【坂野賞】たる光栄な賞を坂野さん自ら用意して下さり、プレゼンテーション(ボード+発表)での優秀者が1人選考されることとなりました。
そのためか、塾生のプレゼンテーションが前回と打って変わって格段にレベルアップ
どういうことでしょう・・・・・
動画を使ったり、CGを描いたり、模型を使ったり・・「自分の作品が一番よく見える」と試行錯誤した様がよく伝わってきました
第3課題は「自然を受信する庭」
短期課題でかつ「庭」という響きに安心してはいけません
何せ「前田紀貞建築塾 修了課題」ですから、安心する所など微塵もあるはずないのです
第3課題焦点は「いかに空間を現象・存在させるか」につきます
「存在」(働き・空)についてはブログでも記載しましたが、まさにそれが本題となっているのです。
つまり「実際の空間での現象」をプレゼンテーションでは「言葉」で伝えるわけですから、必然的に工夫を凝らした作品が多くなったとも言えます。
今回の与件はすべてが自由
自由である方が実は難しいこともあります。
自分が発見した世界を練り上げ、発表することはとてもいい経験となったのではないでしょうか
ではでは、修了課題の優秀者の発表です
優秀賞は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
川畑勝也
第2課題に引き続きの受賞
すばらしぃぃぃぃぃぃ
そして・・・・最優秀賞は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大口進也
大口君曰く
「最後は絶対に勝ちたかった」
本人の意気込みの通り、とても良い作品・プレゼンテーションでした。
お見事
大口君の動画はこちら ⇒ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41393001&comm_id=3558992
そしてそして、坂野賞はというと・・・・・・・
川畑勝也
なんと優秀賞と合わせダブル受賞
本人も「ダブル受賞は俺が取る!」なんて宣言していたので、有限実行!!
男ですね!!
本当におめでとう!!!!
・・・・・・・・・・・・・そうは言っても大口君は最優秀賞の賞状に夢中
うれしそうです
川畑君の作品
今回は皆、気合入ってました
賞を取れなかった塾生の中には悔し涙を見せる朝井君・・・・・
本当にすばらしい生徒たちだと心から思います
残念ながら半年間の前田紀貞建築塾 第2期はこれで修了となりますが、「1,2,3期合同の忘年会をやりましょう!!」と張り切る朝井君・・・
これから先も互いに高めあえる「友」であって欲しいと心から願います。
これからが本当に楽しみです
さて、前田紀貞建築塾 第2期ブログもこれにて修了です
僕自身今回のブログは初の挑戦でありました。駄文ばかりではございますが、前田紀貞建築塾で学ぶ「建築」・「生き筋」が多少でも伝えることが出来たのであれば、この上ない喜びです
半年間ありがとうございました。
それでは、さよなら・・・・
前田紀貞アトリエ建築塾
第21回 (09/09/19) 「未来の建築」
早いもので第2期が始まってもう半年が過ぎようとしています
次回のプレゼンテーションを残し、今回で設計演習エスキスと建築論は最終回を迎えました
建築論の最終章は「未来の建築」と題して、前田紀貞塾長からの「生き筋」に始まるメッセージから、アルゴリズムを使った非線形(dynamismの記述)の建築への展望まで・・・最後に相応しく、熱い講義が繰り広げられました
建築家としての素養はその人の「生き筋」にこそ宿るものです。
・日常の気づき
・哲学への関心
・仏教・禅への関心
・社会への関心
・芸術への関心
様々なものへ関心を抱き、限りなく、ひたむきに努力し続けることがとても大切です
僕もまだまだ初学で無知な人間です。
高々26年間のありもしない「自分」という枠に当てはめて知った世界に満足してはいけないと思っています
自分ができないこと、知らないこと、想像すらできないことこそにすばらしい世界が待ち受けているはずだからです
そして「わかった」と思った瞬間にそれを疑うことが重要だと思います
「建築家は生きることの達人」でなくてはなりません
良い空間を提案するためには、良い空間が何たるか、体験的に知ることが大切なのです。
それには僕ら自身が「生きる」ことに長けていなければ出来るはずが無いのではないでしょうか
また「これまでのまとめ」と「これからの展望」として
■1:流体思想
これまでのような「形而上学的」(形式、純粋幾何学、解析、決定論、線形科学・・・)
な思考方法ではなく、「流体思想」(東洋的、セミラティス的、自然的、意識的、生命体的)
な思考方法
■2:非線形 超DYNAMICSの記述
有機生命体、自然現象のような非平衡開放系(動的平衡)が如何なる「法則」により
成り立っているのか知ること。
そして、動的なルールによってより生命に近づいた空間が発見される
といった、思想的・科学的アプローチが必要なのではないかという話に上りました
アルゴリズム的アプローチによって「現代建築」と呼ぶにふさわしい、新たな空間が発見できるのではないかと言うことです
つまり表面的な結果(枝葉)から出発するのではなく、物事の根源を知り、超越論的地平=空(根)による思考方法から出発することで、何かこれからの建築を作るうえでの可能性を感じるのです
そして最後の締めくくりの一言は
「以上すべてを忘れること」
前田から教わることが全てではありません
人への気遣い、礼儀、日常の気づき、あらゆるものへの関心など人間としての素養、つまり「生きる力」は自分の力で勝ち取るものです
前田は飛び込むきっかけを与えてくれたに過ぎず、「生きる力」は決して人から与えられるものではありません。
今日までの全てをすれっからしになるまで勉強した後は「すべてを忘れること」、つまり自分の思考を育んで欲しいのです
建築論は今回を持って最終回となりますが、ここからがSTART
みなさん、がんばって下さい
僕も精進します
第20回 (09/09/12) 「現代思想のおさらい」
今週のブログは石橋正記が記載します。
宜しくお願い致します
(以下 石橋正記著)
今週は古代から現代にかけての思想(哲学)その流れをみていきたいと思います。
まずは全体の流れから
形而上学 (古代、中世、近世)
↓
形而上学の批判 (近代)
↓
現象学 (現代)
記号論・構造主義
↓
ポスト構造主義
並べてみると、近代に入ってから思想(哲学)が急速に進化している事がわかります。
それはなぜなのでしょうか
それでは、少し掘り下げたお話をしていきましょう。
まずは古代の思想(哲学)から
やはり押さえておかないといけない人物はこの2人
1人目は
■プラトン
形而上学がはじまったのもプラトンからだと言ってもいいのではないでしょうか。
プラトンといえば『イデア論』
『イデアとは、物事の本質のこと。形あるものには必ずその奥に本質があり、本質こそ普遍的で、現実は「仮像」であるというのがプラトンの考えである。永遠普遍の真、善、美が最初に存在しており、感性でそれをつかむことはできない。したがって、そこに近づくために理性があり、理性が人を人として高めるのである、という「人間論」につながる。』とプラトンは言っています。
2人目は
■アリストテレス
アリストテレスは、師であるプラトンを批判し、
『普遍的なもの=イデア(アリストテレスはこれをエイドスと呼ぶ)は個体とは区別されるが分離(同じ場所にある)はできないと考えた。
そこで、アリストテレスはものを構成する原因として、質料因、動力因、目的因、形相因の4つである』
と言っています。
机を例に挙げてみましょう。
アリストテレスが言うには、机を構成しているのは、
①材木 → 質料因(素材(ヒュレー)) → 人間でいえば身体
②職人の設計図 → 形相因(エイドス) → 人間でいえば霊魂
③職人の手や道具 → 動力因
④何をつくるのか → 目的因
材木(ヒュレー)は机の形相(エイドス)と結びつけば机に、イスの形相(エイドス)に結びつけばイスになる。
質料因(ヒュレー)とは、形相因(エイドス)と結びつくことで何かになる可能性を持ったものとなる、ということです。
プラトン、アリストテレス両者の思想を比べてみると、プラトンはツリー構造的で、アリストテレスは
セミラティス的だということがわかります。
写真右:アリストテレス
少し年月がたち、今まで(古代から中世)まで「神」が中心だった世界観から、近世になり「人間」中心の世界観へと移っていきます。
そして、ここからが思想(哲学)が世界に影響を与え、それによって、社会が変革されていくこととなるのです。
近世の哲学は、イギリスのフランシス・ベーコン(イギリス経験論)、フランスのルネ・デカルト(大陸合理論(スピノザ → ライプニッツへと受け継がれる))の2人によって始まり、この2人の唱えた哲学はそのまま近世の哲学の2大潮流となります。
その後この2大潮流の哲学体系を、三大批判書によってドイツのカントが統合(ドイツ観念論)し、哲学の考え方を改め新しい立場を展開していくこととなります。
この中で1人だけご紹介。
■ゴットフリート・ライプニッツ
『世界は個々別々の個体(モナド)の集まりである』
世界の全ては「力の個体」からなり、物体は全て個体の組み合わせによってできている。とライプニッツはかんがえていました。
その後カントからヘーゲルへ受け継がれ、近代の思想(哲学)へと進んでいきます。
冒頭でも言っていましたが、近代に入り思想(哲学)が急速に進化した理由、
それは、形而上学の批判が始まったからなのです。
その代表といえるのが
■ニーチェ
ではないでしょうか。
彼は『神は死んだ』と言いました。これまでの絶対的価値観を消滅させたのです。
以前の建築論の中に『形式性の崩壊』とありましたが、これと全く同じことですね。
今までの固体思想(形而上学)から、流体思想(現代思想)へと導き、今後急速に進化していくこととなるのです。
その後
■フッサールの現象学
■ハイデッガーの存在論
そして、ポスト構造主義(現代思想)へと進んでいくこととなります。
第19回 (09/09/5) 「初期ロマン主義と後期ロマン主義」
先週は【合理主義】と【ロマン主義】について触れましたが、
本日はロマン主義についてもう少しだけ目を向けてみたいと思います
一口に【ロマン主義】と言っても実は
■①:初期ロマン主義
■②:後期ロマン主義
↓
■③:表現主義
と大別することができ、特に①(初期ロマン主義)と②(後期ロマン主義)、③(表現主義)では大きな差があります。
そして、上記のなかで先週記述した【悪しきロマン主義】とも言える「モノローグとしての創作プロセス」の様相を色濃く見せているものが②(後期ロマン主義)・③(表現主義)となるのです。
■初期ロマン主義
先週のブログで記述したように、【ロマン主義】の基本は、「頂点(絶対者)が存在するツリー構造」です。
しかし、【初期ロマン主義】の大きな特徴は、頂点(絶対者)が“神・私(オブジェクト的自我:経験的自我)”だけでなく、“他者”や“メタレベル的自我(超越論的自我)”と変化し、「絶え間なく運動し続けるもの」であることです。
つまり頂点(絶対者)は、総体としての“我々”であり、その頂点の数だけ無数に世界が存在したということになります。
また、一義的な「主体」~「客体」の関係が相対化されることで(超越的)、主体は無限に拡大され、創作の精神は自由に開かれていたとも言えるのです
しかし、【合理主義】において、【初期モダニズムのフォルマリズム】が「頂点(神・人間)が空白になることによって表現の可能性が保障されるもの」として現れたにも関わらず、「機能そのもの」が「形式化」・「様式化」されてしまった瞬間にその力を失ったように、
【初期ロマン主義】が持っていた運動性もまた、頂点(絶対者)が存在する元の「ツリー構造(権威主義的構造)」へと次第に変化していきました。
■後期ロマン主義・表現主義
【後期ロマン主義】では自我の問題を前近代的な「神話」や「民族伝統」の世界に戻ることで克服しようとしました(大きな物語への回帰)。
つまり、「ナチズム=ゲルマン至上主義」などに見られるような「無根拠に決定付けられる理想主義社会」へ逆戻りしてしまったのです。
そして、この「無根拠決定性」はその後【表現主義】へと引き継がれていくこととなったのです。
【表現主義】の出発点はルドルフ・シュタイナーの「芸術的造形によって、理想的な世界全体を表象可能である」という「人智学」にあると言えます。
しかし、スイスの建築家ギーディオンが「表現主義は建築に如何なる影響も与えることは出来なかった」と語るように、建築に於いて【表現主義】とは、「創作のプロセス」(文脈)がモノローグ的(独り言)であり、他人と共有され得ぬものでありました。
【表現主義】と聞くと、【芸術】に於いての【表現主義】を想像される方もいるとは思いますが、【芸術】とは一般的に「作家の内面性がより深く表現されることが了解されている」という大前提がありますので、建築とはまた違ったものであることがわかります
(※ガウディのように表現主義で突き抜けた人物多くいることも事実ですが・・・・・・)
ここまできたら、もうお分かりかと思いますが、本日の建築論を簡単に言ってしまえば、建築空間の創作に於いて「“俺がこうしたいから、こうするんだよ”なんて独りよがりに創作していてはいけないよ」ということです。
普段の生活でも全く同じことが言えますね
2009年9月12日前田紀貞アトリエ建築塾
ここまでは建築論のお話
ここからは、先週お伝えしました卒業設計コースの様子を見てみましょう
卒業設計コースは、まず各人が発表を行い、その後塾長である前田の熱い指導
「百聞は一見にしかず」です。発表風景をご覧下さい
卒業設計コースが始まった頃は、自分が言いたいことの半分以下しか話すことが出来なかった塾生たち…
今となっては自分が言いたいこと以上の話をしちゃってるぐらいの勢いです オソルベシ…
そんな熱く、真剣な塾生達に、塾長も熱く、真剣に答える。
この関係が、作品をより良い方向に導いてゆくのです
そんな空気に触れたい、自分に吸収したいと設計演習コースの塾生たちも……残ってメモメモメモメモ……
(写真は設計演習コースの源間君)
最終的な作品はいったいどのようなものになるのでしょうか
かなり楽しみです
塾生の諸君、目指すは卒業設計日本一
ん?卒業設計日本一!?
そういえば…昨年の卒業設計コースの一人で、今は私たちの妹分である大野
それと、同じく卒業設計コースの橋本健
この2人の作品が現在ギャラリー・間にて展示中
時間のある方は、是非
■卒業設計日本一展 2009
http://www.toto.co.jp/gallerma/ex090912/index.htm
前田紀貞アトリエ 石橋正記
第18回 (09/08/29) 「建築史(合理主義とロマン主義)」
早いもので「前田紀貞建築塾 第二期」も残すところ後一ヶ月となりました
本日から残り4回のブログでは、もう一人の第二期担当者である石橋正記君に
設計演習や塾の風景などを伝えてもらいます
因みに建築論は変わらず私がお送りいたしますので、どうぞ宜しく
■設計演習(石橋正記)
さて、設計演習では、第3課題がスタート
実はこの課題・・・
建築塾最後の課題なのです ナンダカサビシイ・・・
建築塾最後のお題は・・・・・・・・・・・・・「自然を受信する庭」
「庭!?」
「そぉ!!庭」
ただし、お家に付随している庭と同じものではございません
「自然を受信する庭」とは、自然を受信し、その自然を感じ取れるように映し出す装置
この装置こそが「庭」なのです
簡単な例ですが、高級料亭にある??「ししおどし」
竹が石にぶつかり音を発する(聴覚化)。その音を聞いてはじめて石・竹というものを感じる事ができます。
こういった装置を考えましょう。とゆう事です
簡単そうで、奥が深い内容ですが、建築塾最後の課題にはモッテコイですね
そっ、それにしても塾生達はいつも以上に気合いが入っているような・・・しかも、卒業設計コースの新城君の姿も・・・
その理由はただひとぉ~つ
先日講評会にお越し頂いた坂野公一様より
「坂野賞」
が授与されるからでありますウラヤマシイィ・・・
■坂野公一:welle design(ヴェレデザイン)
■サカポンさんのCELLULOID JAM日記
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13189125&comm_id=1609227&page=all
最優秀賞に優秀賞、そして坂野賞。
いったい誰が獲得するのでしょうか
んっひょっとすると最優秀賞と坂野賞どっちも獲得しちゃうなんて事も・・・
講評会が楽しみであります
皆様も乞うご期待
次回は、第3課題に参戦した新城君の戦場である、卒業設計コースの様子をお伝えします。
ここまでは、建築塾もう一人のTAであるマサこと石橋正記でした
続きましては建築論のコーナー!!
お願いします
■建築論
今回の建築論は建築史(合理主義とロマン主義)です
皆さん、「ロマネスク」や「ゴシック」、「ルネサンス」や「バロック」など・・・、
一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか
しかし、「様式」と聞くと、「何が違うのかよくわからない」だとか、「建築を志すならばしっかり覚えなくては・・」など、建築史を単なる「知識」として捉えてしまいがちです・・・
ですが、建築を創る上で重要な点は、「様式」を覚えることでなく、建築を創作するさいに取る方法が
【合理主義】
【ロマン主義】
の2つに大別されることを理解し、判断できるようになることです
この2つの方法を知ることで、「自分が今何を創っているのか」を判断する大きな指針となるはずです
■判定基準
創作においての2つの方法、【合理主義】と【ロマン主義】を区別する方法を雑に述べるならば、
【合理主義】
創作の「内面」(意欲・根拠)から「表現」へのプロセスが客観的に共有されるもの(ダイアローグ的:対話的)
客観的根拠:幾何学的ルールや論理的根拠
【ロマン主義】
創作の「内面」(意欲・根拠)から「表現」へのプロセスが客観的に共有されないもの(モノローグ的:独り言)
主観的根拠:作家の感性・想いが根拠
と言えます。
では具体例で見ていきましょう
■合理主義
【サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂】(ルネッサンス:アルベルティ)
下図の写真にあるように幾何学的ルールにおいて建築が決められているのが分かると思います
以前ご紹介した「モダニズム」の初期は正に【合理主義】であり、システムが客観的でオートマティック(形式的、自律的)なもの(頂点が空白なツリー構造)によって創り出されたものです
幾何学的ルールや論理的根拠は 「ギリシャ・ローマ建築」「ルネサンス建築」などにも見られます
■ロマン主義(表現主義)
ロマン主義の最たる例は「後期バロック(ロココ)」や「ガウディ」と言えます
システムの頂点には「作家」(私)が居座り、その作家の感情や、情念によって物語られ、創出されるものです。
しかし、創作の全てが【合理主義】と【ロマン主義】の区別に簡単に割り切れるわけではありません。
合理主義とロマン主義の真ん中、どちらにも属する建築も当然あるわけです。
■バロック
【合理主義】が幾何学による【円】であり、【ロマン主義】が【自由な曲線】で表されるのに対し、
【バロック】は両者の中間、【楕円】によって表されます
サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ(ボッロミーニ)
また、一見非常に合理的につくられているように見える作品でも、その実は【合理主義】、【ロマン主義】のどちらも兼ね備えているということもあります
アムステルダム株式取引所(H. P.ベルラーへ:オランダ アムステルダム派)
アムステムダム派(ベルラーへ)は三角形分割による比例の美を追求する一方、平面、立面に神話をメタファーとした表現主義的側面を併せ持っているなど、【合理主義】と【ロマン主義】の両方を兼ね備えていたのです
このようにひとつの建築であっても見る場所や、捉え方によってその意味は大きく変わります
つまり、建築において「どんな文脈で創られ、語られるか」はとても重要な要素です。それによって、全く同じ建物でもその価値は1にもなれば100にもなるのです
「合理主義」「ロマン主義」も、見る視点が変われば評価が変わることもあるでしょう
しかし、僕らが建築を創作する際、「何も知らずにただ創ってしまう」のか、それとも「しっかりとした創作の文脈によって判断され、創られていく」のかは全く意味が違うのです