第1回: 34.日本は総力戦を仕掛けられている!
第2回: 36.アメリカ南北戦争は奴隷解放の戦いではない【総力戦】
第3回: 39.ソ連は笑いが止まらない:東で日米、西で英独が戦争 【総力戦】
■日本が世界史に登場した後の流れを見てみる。
18世紀 ・欧州列強が植民地争奪戦、フィリピンにまで進出。
・江戸幕府は欧州の脅威に晒され対応急ぐ。
ロシアがクリミア戦争で日本の北方まで進出。
欧米の情報収集、白人研究、北方探検(北海道、樺太)
各藩の藩校も海外事情を猛勉強。
19世紀 ・ビスマルク体制で欧州が安定
欧州のアジア本格進出、アヘン戦争
・五大国:英露仏墺独 米はまだ弱小新興国(海軍無い)
・日本は江戸から明治へ、近代化急ぐ
20世紀前半 ・ビスマルク体制崩壊
欧州安定崩れ、バルカン戦争から第一次世界大戦へ
戦乱がアジアに飛び火(ドイツの陰謀)、日清日露戦争へ
・日本がアジア最強国へ
世界最強国=英国と日英同盟
欧州紛争の調停役として友好関係築く
・五大国:英米仏日伊
・ロシア革命、 ソ連は力蓄え暗躍
・無政府状態の中国大陸で紛争相次ぎ、
日本が引きずり込まれる
・日本が英米・国際連盟と関係悪化
・第2次世界大戦・大東亜戦争勃発
・日本敗戦、GHQによる占領体制
20世紀後半 ・米ソ冷戦時代
・五大国:米英仏ソ中
・共産圏が世界2/3を支配、世界中で革命の嵐
共産圏が優勢の世界続く (レーガン政権まで)
20世紀末 ・共産圏・ソ連崩壊
21世紀 ・局地戦・テロ多発
・米vs中の時代
近現代史の大きな流れを俯瞰すると、
第1次大戦以後、なんとか安定に持って行った国際関係が、ロシア革命以後、日本の孤立と第2次大戦を機に総崩れとなり、最後はソ連一人勝ちの世界に収束していく流れが見える。
アメリカが日本に総力戦をしかけていたと思ったら、何の事はない。全てスターリンがやったことで、戦後サヨクがその後を引き継いでやっている構図がはっきりしてくる。
悪魔はドイツを利用し、アメリカを利用し、ソ連を利用して神の国日本への総力戦に持ち込み、現在も世界中の悪魔族が反日国を使って日本に対する総力戦を展開している。
■日清・日露戦争の背後にドイツ皇帝の陰謀
19世紀の欧州には陰謀を含めて天才的な外交ができる政治家(英パーマストン、仏タレーラン、墺メッテルニヒ、独ビスマルク)が活躍していた。
フランス:タレーラン
ドイツ:オットー・フォン・ビスマルク
ビスマルク体制:
ビスマルクはドイツがロシア・フランスに挟まれ不利な地理的条件にあって、独仏戦争に敗れドイツへの復讐が国是となっていたフランスがロシアとの同盟を結ばないよう、優れた外交手腕を発揮する。
複雑すぎて訳が分かりませんが、みんなビスマルクのやったことです。
・三国同盟:ドイツ・イタリア・オーストリア
・三帝同盟:ドイツ・オーストリア=ハンガリー・ロシア
・露vs墺の対立が深まると三帝協商(三国同盟復活も)を発足。
・三国同盟が崩壊すると独露再保障条約締結。
・地中海協定(英・墺・伊)で同盟を補完。
また、ビスマルクは、フランスを植民地獲得へ意識を向けさせ、ドイツへ復讐心を向けないように、あえて植民地獲得には乗り出さなかった。
そうした努力の結果、フランスだけが孤立化し大きな戦争に発展せず、欧州全体が小さな争いに止どまって安定したのである。
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しかし、ヴィルヘルム2世がビスマルクを解任し、ロシアとの関係を断ち切るとビスマルク体制は崩れ、ロシアとフランスが露仏同盟を結び、両国に挟まれたドイツはたちまち危機に陥る。
皇帝ヴィルヘルム2世:世界を戦火に巻き込んだ男!
そこで、ヴィルヘルム2世が国内の不満をそらし、欧州の争いを東洋に仕向けるために、東洋へ植民地獲得に乗り出し、アジアに戦乱が起きるようになった。
その結果として起こったのが、日清・日露戦争である。
ドイツはその後、日本と同盟を結んでいながら、実は中華民国とも軍事顧問団を派遣するなど深い関係を作り、欧州ではソ連を担ぎ英仏と対抗し、欧州を制圧したと見るやソ連をも裏切った。
味方だと思って安心できないのが欧州の外交なのである。
アメリカには、ビスマルクのような天才的な外交のできる政治家はいなかったし、物事を白か黒かで判断しがちで外交下手なのは現在も同じである。
■日本の国力低下
明治期の日本の政治家にはビスマルクに匹敵する外交上手な政治家が沢山いた。武士の時代を生き抜き、戦国武将のような巧みな駆け引きができる強者ばかりだったのである。
陸奥宗光(坂本龍馬の弟子:海援隊に所属)は、日清戦争の前に、「イギリス人居留民を戦争被害から守ってやるから条約改正しろ。日本を文明国として見ないなら、我々に国際法を守る義務はない」と当時の覇権国イギリスに対して治外法権の撤廃を飲ませる外交を行っている。
陸奥宗光
日英同盟の締結は、日本の実力を最強国イギリスに認めさせていた事が根底にある。こうして、日本は国際社会の中で世界の紛争仲介役としての地位を得たのである。(欧州のどの国とも利害が衝突しないため)
ところが、米・英・国際連盟とも友好的だった日本が、日露戦争以降、共産主義者によって、急速に反米強硬論・親ソ・親独に舵を切らさせられる。
同時に有能な者が排除されるようになっていき、外交も地に墜ち、ソ連の意のままに動く近衛文麿が内閣総理大臣に就任。彼は日本を日米開戦寸前のところまで持って行き、最後は責任を放棄して総辞職。
近衛文麿:第34・38・39代内閣総理大臣(貴族院出身)
日米英が友好的だった頃の米大統領のセオドア・ルーズベルトは、新渡戸稲造の「武士道」を読み日本を研究していた知日派。(対日戦争を想定したオレンジ計画を立案し、日本をひどく恐れていた)
セオドア・ルーズベルト大統領
この時期に、反戦を掲げて大統領選を制した共産主義者フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任。
フランクリン・ルーズベルト大統領
■日米開戦はソ連の策略。
・ルーズベルトの側近やスタッフ200名以上が全てソ連のスパイ。
・外交力がないアメリカがソ連の手先として使われた。
戦後世界赤化が進んだのは日本を弱体化させたアメリカのおかげ
力を振りかざすだけの米国外交は、19世紀の欧州の外交に比べると子供騙し。悪魔にとってさぞ使いやすかっただろう。
・張作霖爆殺事件はソ連スターリンの命令だった。
(日本軍の仕業とされていたが、ドミトリー・プロホロフが機密文書を発見し判明。「GRU帝国」に記述。)
ソ連:スターリン (岡田真澄ではありません)
・中国大陸の泥沼化の背後にソ連がいた。
ソ連と密接に繋がっていたドイツが中華民国国民党軍を指導し武器供与。 ドイツは初めから日本の味方ではなかった。
ソ連のスパイ=ゾルゲはドイツ人。カール・マルクスもドイツ人。
ドイツはソ連のスパイ育成場だった。
・日米開戦時の日本の首相=近衛文麿は共産主義者。
共産主義者が貴族を中心に官僚、軍、政府内部、大学に増殖。
・中国大陸には毛沢東(後に共産国=中華人民共和国建国)が台頭。
気がつけば、日本は国内も国外も共産主義者だらけとなっていた。
まだまだ続きます。↓
テーマ:日本の近現代史を総括
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