武光誠著『誰も書かなかった古代史の謎』P126~

荒神谷は、古代の人々が「神名火山(神の山)」として重んじた仏教山のふもとにあった。そのあたりは、神門(かんど)氏という豪族の勢力圏だった。

二世紀半ばの出雲の首長たちは、神門氏のものとで日を決めて御神体となる銅剣をもち寄って祀っていたのだろう。

そして、それがすたれたときに新たな御神体がつくられ、銅剣は聖地の地中に納められたのである。

『日本書紀』に、そのことに関わる伝説が見える。

朝廷が出雲の神宝を求めたとき、これを出すのを拒んだ振根が殺され、その弟にあたる飯入根の子孫が出雲大社の祭を行うようになったという。振根は神門氏の祖先で飯入根は出雲氏の祖先にあたる。

出雲氏は、代替わりごとに朝廷に神宝を献上する行事を行い、出雲各地の首長の娘を采女として集めて出雲大社を祀った。出雲大社には、剣をまとめて祀る風習はない。神門氏から出雲氏への勢力交替の際に、荒神谷の銅剣が埋められたのだ。

出雲の銅剣を祀ったことは、次項で述べるように三種の神器と深い関係がある。・・・

誰も書かなかった 古代史の謎 (中経の文庫)/武光 誠

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・荒神谷遺跡博物館

・荒神谷遺跡【Wikipedia】