税務署へ行って来た
昨夜、息子に話してなかったから
電車で行くかなと思っていたら息子が
「水曜は自分の予定入れないから
乗せて行くよ」って言ってくれた
娘も用事をしたいから行くと言い
3人で向った
(車だと、小一時間はかかる)
未納の相続税がありますと8月頭に
訪ねて来た
「〇〇〇〇様はいますか?」
「主人ですけど、5月に亡くなり
ました」と言った
「奥様、この件について聞いて
ますか?」
「聞いていません。それ相続税って
義父が亡くなった時の13年前に全て
相続税は払いましたし、何それ?」
数年前に修正されたとか言ってた
私はこの時、初めて聞いたことだった
旦那ちゃんの身内関係のことは全て
旦那ちゃんがやってくれていたから
私は分からない
相続放棄することにした
税務署の担当者の対応はいつになく
親切で丁寧でびっくりした
私がすることは先ずは家庭裁判所で
相続放棄の申立をして下さいと言われ
税務署を後にした
夕立が来そう
税務署から家裁は近いからそのまま
向った
今日できることは済ませた方が
楽だから
着いたら大粒の雨が降ってきた
息子は一緒に行くように言った
息子: えーこんな雨なのに
私: グズグズしない女の子と
デートじゃあるまいし濡れたって
いいんだ
確かに大粒だった
申立の用紙をもらい息子と私それぞれ
記入した
娘は未成年だから私が記入
収入印紙を地下にある売店で3人分を
買って来てロビーで待つ
税務署は1時間位かかり
ここもだいぶ待たされた
だけど、一枚の用紙に自分の名前を
何度も書いて
本籍も何度も書いて
住所も何度も書いて全く面倒
でも今日は旦那ちゃんの名前を
書けることが
まだ書けることが嬉しかった
やっと手続きが終わった
今年の5月頃にopenした
ららぽーとへ寄ってみた
旦那ちゃんと行こうねって言ってた
3人でワンフロアーづつ見て行こう
なんて言ってたんだけど、、、
広過ぎて3階しか見れなかった
1階と2階はまた今度に
3人共、腹ぺこ青虫でムリー
フードコートはイマイチで他へ
行こうと決まった
夕立も上がり青空
ららぽーとを後にやっとご飯が
食べれるねって話してたら息子が
「燃料ヤバイな〜」と言い出した
私に似て息子は本当に呑気
ガス欠になっても良いレベル
こっちが焦る焦る
運良くすぐスタンドがあった
交差点のど真ん中でガス欠になり
停まってヒンシュクかわなくて
良かった〜
他の車の大迷惑にならなくて
良かった〜
これも旦那ちゃんのお陰
旦那ちゃんありがとう
小さいことも何でもみんな
旦那ちゃんにありがとうを言おう
3人で居るとただ笑っている
笑ってばかりいる
息子が旦那ちゃんと同じで
ららぽーとで私と娘が寄るお店も
一緒について来てくれる
どんぐり共和国ってジブリのお店
旦那ちゃんも好きで良く
一緒に行ってた
最後に行った時にカルシュファーの
フライ返しを欲しがったんだけど
他に色々買ったから買わなかった
そのことを息子に話したら
さっさとレジへ
「はい」って買ってくれた
フライ返しは俺も使うしって
ありがとうありがとうね
おかあも自分で買うつもりだったのに
給料日前なのに…と言ったら
「臨時収入だから気にすんなよ
黙ってたけどバイトしてっから!
親父が亡くなったてから仲間や友達の
車、直してやる時は金貰うようにした
車弄りは好きなことだから奉仕で良い
と思ってたけど…親父がずっと言って
くれてたんだ、涼!金貰ったって
いいんだぞ!休みを潰してやるん
だから、部品取り寄せもお前がやって
やるんだから一人前の整備士なんだぞ
って親父が最期に言ってくれたんだ」
と、初めて話してくれた
そんなことまで旦那ちゃんは思って
くれていたんだね
父と息子の話しはあまり知らなかった
そしてそして腹ぺこ青虫のくせに
娘がニトリに寄りたいと
私と息子
「「マジ腹ぺこなのに」」
娘「急ぐよ!」と
座椅子と息子の柱時計を買った
やっとご飯だーーー
で、どうする?話し合い
息子は嫌いな物が多いから困る
焼き肉屋にしようかと言ったら
息子が10日の誕生日のお祝いに
友達が焼き肉屋連れてってくれたから
とそれはそれで有難いことだね
友達がお祝いしてくれたなんて
生物嫌いだから寿司はダメな息子
結局、松屋のドライブスルー
またまた息子が出してくれた
母としての任務を果たしてるだけ
なのに日頃の感謝だと
シャイな息子の感謝の気持ち
嬉し涙が止まらなかった
やっと20時に家に辿り着き3人で
松屋の牛めしを食べた
12月24日Xmasイヴに予定が
D-1のイベントに息子が誘ってくれた
チケット余る程あるから3人で
行こうぜ!って
先の予定があると楽しみができて
嬉しいな
旦那ちゃん安心して下さいね
ママと涼と美夏は三人でも仲良く
楽しく笑いながら過ごしています
楽しく私達三人なりに〇〇家らしく
生きていけます
生きていきます
大丈夫
大丈夫
大丈夫
大丈夫
大丈夫
まったりしてたら娘がコンビニへ
行って来て下さいと
外へ出たら息子が駐車場にいた
何処行くの?
私「コンビニ!!乗せってって
くれない?」
いいよーって
いつもニコニコしてるよ
怒ること文句を言うことを知らない
御駄賃は?と聞いたら
「コーラでいいよ」
子供達が大きくなった今でも
御駄賃と言ってる
娘はママに行って来てもらうから
「ママへ御駄賃あげるね何?」と
コンビニカフェでいいよ
『ほんの気持ちです』の心が大事
親子でも家族でも
親子だからこそ家族だからこそ
親子家族、夫婦でもうちは
ありがとうを言おう
私が二人の子と旦那ちゃんに煩く
教育してきたこと
旦那ちゃんがいた頃から我が家は
ありがとうが一日に
数え切れないほど飛び交っていた
最期の最期まで旦那ちゃんは
ありがとうを言っていた
火葬場で私達三人から旦那ちゃんへ
大きな最後のありがとうを
「「「父ちゃーん
今日までありがとーう」」」
を贈りました
親は奴隷や召使いではないのだ
妻は家政婦ではないのだ
母の任務や妻の任務は私の中では
当然やるべき事と思っているが
子や夫にそれを当たり前だと思って
欲しくなかったから!!
妻から夫へ
夫から妻へ
子から父母へ
ありがとうをと!!
朝、息子を起こすと先ずは
「ありがとう!」次に「おはよう」で
始まる
旦那ちゃんもそうだった
「ママありがとう!」
「おはよう」って
お茶やコーヒーを入れると
「ママさんありがとう」
ご飯の用意をすれば
「おぉ!ありがとう」
癌発覚まで仕事から帰ると
起きてる間はずっと晩酌だから
焼酎を作るたびに「ありがとう」
だった
ありがとうを数え切れないほど
聞けたから最期の最期まで私は
頑張れた!笑顔でいられたのだ!
そして、旦那ちゃんの意識がある
最期の言葉が
「ママ愛してるよ!これからも…
俺はこの家族で幸せだった!!
この家族で良かった!!ママ、また
何度でも見つけてやるから心配するな
生れ変っても結婚しような!」
この言葉を言ってもらえて私は
最高に幸せだった
だから私はこれからは楽しく
旦那ちゃんを思いながら笑顔で
自分の人生を歩んでいく!いける!
最期の最期まで私達は幸せ( *´︶`*)
だったから
悲しみは消えないけど分散させる
ことはできるから!
だってこの死別の悲しみを私自身が
選んだ課題だと思うから
乗り越えられない試練を与えないと
言うことは私は乗り越えられると言う
ことになる
私は生きてるんじゃなくて
きっと旦那ちゃんに生かされている
んだと思うことにした
旦那ちゃんが俺の人生に悔いはない
と最期に言っていた!!
俺らしく生きて来れたよと言った様に
私も最期、私の人生に悔いはないと
言いたい!!
負けず嫌いの私だから旦那ちゃんに
負けないようにこれからの人生も
謳歌させて行きたい!生きたい
今日も全てのことに感謝しながら
無事な一日をありがとう