見送りました | 心の夜明け~新しい時代とともに~

心の夜明け~新しい時代とともに~

~アラレのひとり言~
2016年5月に仲良しで最愛の夫を亡くしました。
夫の闘病記を綴り初めて
今は大好きなお寺と神社
参拝録や日常のことなどを書いています。

皆様、主人の訃報に対しまして
多くのお悔やみのお言葉、電報
冥福をお祈り下さり心より厚く
御礼申し上げます。



皆様から頂いたお悔やみのお言葉は
息子、娘と共にお一人お一人涙しながら
読ませていただきました。
有難い気持ちで胸がいっぱいに
なりました。



お一人お一人へお返事しないまま
記事を更新してる御無礼をお許し
下さい。















平成28年5月29日午前0時09分に
旅立ちました


私はこの日の旅立ちを知っていた
午後、私の呼び掛けに瞬きをしなく
なった
呼吸も少し速くなっていた

私は無性にスーパーへ買い物に行きたく
なり娘と10000円分も缶ジュースや
お茶、コーヒー、ビール、お茶菓子
私達がすぐ食べられるような非常食を
買い込み、旦那ちゃん専用のタオルも
沢山買い込んで来た
(訪看さんや先生にお茶を入れる代わり
にお茶やコーヒー缶を明日から帰りに
渡そうと!明日からこのタオルを
旦那ちゃんに使おうと思っていた)

虫の知らせだったんだな



タオルはこの夜、使うことになった
大量に買い込んだ飲み物もすぐに重宝



20時頃私は仮眠をした
(夜中に起きることになる!と分かって
いた)
この時点で先生に電話をと思ったが
ゆっくり息を引き取らせてあげたくて
最後の最後に電話をすればいいと!
23時少し前に娘に呼ばれた
「父ちゃん旅立った」と。
「うん!最期ついててくれて
ありがとうね」と言った

でもまだ虫の息はあった
23時過ぎに息子が帰宅して「親父」と
言った時に完全に止まった‼
私、娘、息子が揃った時にと旦那が
選んだのだろう

息子の目から大粒の涙が溢れた

先生と看護師さんが来て
「良い顔だ❗穏やかにスヤスヤ眠って
いるようだ❗」と言ってくれた。
自然に命が少しづつ枯れていったの
ですと先生が言った

旦那ちゃんの望み通り死因は
「胃癌」だった‼
生前「俺は癌以外で死にたくねーぇぞ」
と煩いほどに言っていた


亡くなる3日前からは苦しまずに
過ごせ、最期も苦しむことなく逝けた
幸せな人です



そして旦那ちゃんは自分がいなく
なった時に私が困らないようにと
ノートに細かく書いてくれてあった

「俺の葬儀に金なんかかけるな‼
俺が愛した家族がいればそれでいい!
通夜、告別式は省くように、火葬葬を
希望する!」と書かれてあった
葬儀屋の電話番号まで書いてあった


そして葬儀屋さんがご主人様は
「奥様が悲しむからできるだけ
ギリギリまで俺の遺体は自宅にと」
言っておられましたので31日の出棺
まで自宅にいられる様に大量のドライ
アイスを持って来てくれた


旅立ちの衣装は旦那ちゃんと決めて
おいた
「仕事復帰が夢だったからニッカを
着せてくれ」と言われていた
旦那ちゃんが一番気に入っていた特注の
桜の刺繍が施されたニッカ
膝には小さな穴が幾つかある

息子と娘が「仕事復帰が夢だったん
だよね」と私と三人で着せてあげた

お母さんは「なによーーまだ向こうへ
行っても仕事すんの?今まで頑張って
きたんだからゆっくり休みなよ」って
話しかけてくれてた


今まで気丈に振る舞っていた娘が
突然泣き出した
「あたし、父ちゃんの隣で寝るから」
旦那ちゃんの大好きな曲をかけていた


子供達に「ごめんね。納棺の時は
泣いちゃうけど…」と言った

いざ納棺
やっぱり…嫌だよー(T_T)
あの白い箱に入れられちゃうのは…
旦那ちゃんに言われていた物を
息子と娘と棺の中に納めた
旦那ちゃんに言われていた物の他に
おにぎりおにぎりおにぎりおにぎり3個(朝、作った)
「父ちゃん、お金ないと三途の川
歩いて渡るようになっちゃう」と
言うから納棺の前に胸ポケットに
1000円持たせた


全ての物を入れたなと思ったら娘が
「父ちゃんにお手紙書いたんだ」と
言いながら持たせたてあげていた
私は知らなかったから娘の思いに
号泣
周りも勿論、号泣だった


娘は棺の前で泣いていて動かない
葬儀屋さんが「そろそろ…」と言って
来た

娘は「やだーーーーーー(T_T)」と

「ママもやだよ。でもこのまま置いて
おけないから、火葬してもらって
しっかり見送ってあげようね」と
娘を抱き締めた

そして最後に旦那ちゃんに
「子供達の良いお父さんでした!
良い旦那様でした!幸せでした!
私に子供と言う宝物を残してくれて
本当にありがとう
必ずまた会おうね」と蓋をした。



火葬場でようやく実感したと息子が
言った

息子、娘にも辛いことだったね


息子はお父さんの喪服を着せた
みんなが喜んでくれた
「似合ってるぞ!」
あいつ人と同じを嫌う人だったからな
あいつも似合ってたもんなー
姿勢の良いヤツだったもんなと。


お骨を骨壺に納め息子が
「俺が持つ!」ママには無理だから
お前に頼むなと言われていたと!


家の駐車場に着き今度は娘が
「お兄ちゃんばっかズルいよ!
父ちゃんはあたしが抱っこする」と。
(同じにしたいんだね爆笑)





息子、娘!お父さんの闘病から今日
までどうもありがとう
良く頑張ったよ!
お前達がいてくれたからママは
乗り越えることができた
これからは三人で頑張って行こう



31日夕方帰宅して娘はすぐに爆睡
息子はなんだか動いてた
用事が終わると私の隣に来てくれてた
男の子だから何を喋るわけでもないが
私が寂しいと思わないように
気をつかってくれたのだろう



娘は息子の部屋で寝ちゃってたから
「お母も来いよ!三人で寝ようぜ」って

お母はひとりで寝られるよ
そんなに心配しなくてもあなた達が
いてくれるから大丈夫だよ



6月1日
9時に介護ベッドの返却


なんと❗またまた遺書には
「俺がいなくても6月1日の2016年
鮎釣解禁、ママと三人で行って下さい」
と書かれてあった‼‼‼

昨日の今日でしょう?悩むよね?と
息子と話していたら娘が
「私行くよ!夢に父ちゃん出てきた❗
待ってっからって言ってた」

「えっ!あんたもう夢枕に出てきたの」

娘は「そんなこといいから早くして❗」

旦那ちゃんの道具一式と竿を持ち
娘の道具を持って出掛けた

娘は「父ちゃんのベストを着る」と
張り切っていた



娘の好きな場所にした





何時間かして息子が川原に来た
「親父の竿は?」って
持つ気満々



娘に指導される息子






三人が同じことを思った
「「「さすがに川は辛いね」」」

娘は鮎釣りの時は必ずお父さんが
隣にいてくれたから
「ママー(T_T)無理(T_T)根掛かりして
も、もう父ちゃん居ないから取りに
行ってくれる人はいない(T_T)
今日は解禁だから来たけど、今年は
悲しくて無理かも」と泣きだした


「解禁はお父さん楽しみにしてたから
今年は十分十分!」


川から戻る所が少し崖でいつも
旦那ちゃんが手を引っ張ってくれてた
息子が「ほら」と手を伸ばしてくれた

ありがとう!


三人で歩いている時、またまた被った
「「「なんかさー、後ろから
おぉーーって言いながら来そう
だよね」」」って。
いちいち悲しくなる


どこへ行ってもどこにいても
いつも一緒にいたから思い出す
「良く四人で来たね」
「あん時、親父がこうだった」
「父ちゃんがここでとか」
話しながら
深く悲しい、寂しい、辛いけど
息子も娘も私と同じくらいに寂しい
んだと思うと私ひとりで泣いてるわけに
いかない


必ず、時が解決してくれるから!



お父さんが望むように、三人で
仲良く笑っていようね❗



家族を置いて逝かなければならない
旦那ちゃんの無念さ
残された私達はどんなに辛くても
前を向いて生きていかなければ
いけない❗旦那ちゃんの分まで❗

笑って歩いていかないと
旦那ちゃんが心配するから



6月2日
市役所の諸々の手続きを済ませた
(やることだらけだチーン悲しんでる間も
ないや!一つ一つやらなきゃ無理)

6月3日
朝からほぼ1日用事に動く


6月4日初七日
1週間なんてあっという間だびっくり
私の亡祖母の弟子が初七日の法要の
お経を唱えに来てくれた



息子は6月2日から仕事復帰
通常通りの生活に戻った息子の為にも
母も頑張らなきゃ!


私達のお墓は旦那ちゃんと結婚した
時に、義父が分家してくれて建てた
のに「俺は入らない!」と。
旦那ちゃんの希望通り散骨にします


小さな骨壺を家に置き手元供養が
できるように
メモリアルペンダントにして身に
つけられるように


旦那ちゃんを可愛がってくれていた
大切な人がもうひとりいて
5月30日に駆け付けてくれた時
「変わり者は実家のお墓に入らない
と」
俺らが墓参りできねーじゃんかな
このおバカと呆れていた

だから、分骨して届けますと言ったら
もの凄く喜んでくれた。



お墓はいずれ子供達が守ることに
なるが、大変なことなんだ!と旦那は
生前言っていた
何処かで誰かが終わりにしないと!
って
だから仕方なく遺言書通りにと
子供達と決めた




旦那ちゃんの遺影
(生前、自分で選んだもの。癌になる
前のがいいと)


遺影にしたこの写真を見て
息子と娘は
「「見守られてるってゆうか
これじゃ見張られてる爆笑」と
笑ってた

でも、これが親父だからなと!






息子と娘の友達も大勢来てくれた
二人の友達はまるで自分の仲間の
ように溶け込んで一緒に車をいじっ
たり遊びに連れて行っていた

二人の子の友達が来てくれて
有難いね



旦那ちゃんは500人を超える仲間、
知人、友達がいた
そんなに押し掛けられたら家族が
大変だからと全て電話帳を消していた
数人だけ残していたがそこから
広がり凄いことになった

後日、お別れの会をすることにした











皆様に支えられていたことに
感謝しています

blogを読んでくれている皆様に
支えられていたことに感謝しています