6月9日(火) AM9:20
もんじくんが虹の橋を渡りました。
15歳と8ヶ月でした。
この1週間ぐったりとしていて、覇気も無く、今までの様子とは違う違和感を感じていました。
前々日から全く食事をしなくなり、注射器のシリンジで水を飲むのが精一杯でした。
私たちも心の準備はしていました。
前日は10回くらい痙攣を起こし、バタバタと苦しそうでした。
視点も定まらず、もうどこにも力はありませんでした。
私たちは何とか少しでも食事をさせようと抱きかかえますが、体はグニャリ。
全身脱力していて口も開けませんでした。
黄色い粘り気のある目ヤニが大量に出るようになりました。
拭きとっても拭き取っても、どろどろの目ヤニで目が曇るばかり。
私たちはコットンやガーゼでずっと目ヤニを取っていました。
9日の朝4時、5時、6時、7時、一時間おきに、
寝ていたかと思うと痙攣。
グッタリ…痙攣…グッタリ…痙攣の繰り返し
9時過ぎまで続いていました。
私たちも起きて準備をしようと部屋のカーテンを開けたとき、また痙攣がやってきました。
夜通し小刻みに小さな痙攣を繰り返していたので「また来た」という気持ちで捉えていました。
しかし、なんだか様子がおかしい。
今までにないくらい大きな口を開けて、眼玉も飛び出そうなくらい目が見開き、
すごい形相で大きくバタバタと手足でもがき、痙攣をしている。
全身丸く縮こまって手足もピーンと伸び切って、もうどうすることもできない。
私たちはいつも通り身体をゆっくり擦ってあげながら、「大丈夫よ、大丈夫よ、もんじくーん」と声をかけました。
しかし、大きく開いた口からの呼吸がありませんでした。
「ヨイショー! ヨイショ―! ヨイショ―!」
私たちはいつもの「ヨイショ―!」の掛け声で頑張れ!頑張れ!と心で応援しました。
いつもは痙攣していても自然にゆっくり息を吹き返してくれていましたが、
待っても待っても呼吸をしない。
その時、全部の排泄が始まりました。
私たち家族は目を見合わせて覚悟しました。
口からも胃液が垂れていました。
白くなった舌がだらんと垂れ、息をしない。
最期だな、と思い、
私は座ったままそっともんじくんを抱きかかえ、手の平で心臓の鼓動を確認しました。
ドクっ…
ドクっ…
まだ鼓動がありました。
2回、
心臓の音が伝わってきました。
しかし、
待っても待っても3回目は聞こえてきませんでした。
眼は見開いたまま、そのまま終わりました。
涙も出ませんでした。
「ありがとう、ありがとう、辛かったね、お疲れ様」
その言葉をかけながら身体を擦ることしかできませんでした。
亡くなった日は両親や兄弟、家族みんな来てくれました。
その日の夜は硬くなった身体を蒸しタオルで綺麗に拭いてあげ、もんじくんの近くで一緒に寝ました。
ラフティくんも悲しそうに見守っていました。
翌日の朝、前日もんじくんが亡くなったちょうど24時間後の9時20分に火葬し、旅立ちました。
棺にはもんじくんが好きだった焼き菓子とジャーキー、お花を入れ、お手紙を持たせました。
昨日はお天気も良く、もんじくんらしい旅立ちの日になりました。
この2カ月近く、本人が一番辛かっただろうと思います。
今日は雨が降っています。
きっともんじくんも感謝の涙を流しているんだろうと思います。
もんじくん、本当にお疲れ様でした。
よく頑張りました。
また会いましょう。
私たちも精一杯努力しました。
この2ヶ月間ずっと付きっきりで看病しました。
最期も私の腕の中で息を引き取り、ちゃんと看取ることができました。
もんじくんを迎えたあの日の約束を守り抜きました。
もう悔いはありません。
今、お線香をあげ、この2ヶ月間の闘病生活の後片付けをしています。
もんじくんが使っていたタオルケットやクッション、冷蔵庫に残った手作りの流動食、お薬や点滴注射、ドアの端についた爪のあと、絨毯のほつれ、、ひとつひとつが思い出です。
昨日はお骨になったもんじくんといつもの散歩道を歩きました。
歩けなくなって、ずっと外出してなかったので気持ち良かったと思います。
ただただ、今はもんじくんとの思い出を振り返るばかり。
15年と8ヶ月、小さな体で精一杯生き抜きました。
いつも嫌な顔一つ見せず、笑顔で私たちについてきてくれました。
本当にありがとう。
たくさんお友達つくるんだよ。
まだ自分でも心の整理がついていません。
気持ちが落ち着いたらまたこれまでのことを書こうと思います。