天下りと談合 | 針尾三郎 随想録

天下りと談合

兎に角、今回の、官製談合には驚いた。

尤も、工事の規模が、基地の滑走路の移転工事と言う、2400億という巨額の工事であってみれば、検察としても、この〝改革・改革〟と言っている昨今の社会的な背景から言っても、内偵の結果、談合の容疑が濃厚ともなれば、検挙して、結論を出さなければならない事件ではある。


なにか一部の報道によれば、これらの官製談合は、20年も30年も、いやもっと前から在ったことで、なにも今に始まった事ではないと言う。


そうだろうと思う。日本の場合は昔から、どんな仕事でも、仲間同士で手をつなぐ傾向が在ったから、そしてその典型的な業種が建設業であったから、仲間同士で仕事を回し合うのは、日本では互助の仕組みのような、感じ方もあった。


私が、初めて〝談合〟と言う言葉を知ったのは、30才の頃のことであった。

その頃勤めていた会社が、3階建ての鉄筋コンクリートの店舗を建てることになって、地元の業者では、それだけの本建築の店舗を建てられる業者はいなかったので、今で言うゼネコンに頼むしかないということで、東京の大手の設計事務所に話をもって行った。


その時に社長が、設計事務所に「何社か業者を集めて説明会をやると、〝談合〟をされるからな」と言ったので、私は、その時に初めて〝談合って、なんだ?〟と思った。


結局は、選定した業者を、一社づつ呼んで説明をして、設計書と図面を渡して、各社から見積もりを取ったわけだが、これだと設計事務所が黙っていれば、それぞれの業者は、どの会社が呼ばれたのかは判らないから、理屈の上では、相談も談合も、出来ない事にはなる。


天下りについては、戦前の昔から、東大を出た人については、次のような〝不文律〟が在ったと言われている。

即ち、経済学部出は三度まで、法学部出は生涯、その先輩・後輩が、面倒を見る。と、いう事であったと言われている。これらの〝不文律〟は、他の大学などについても、程度の差はあっても、やはり在ったとしても、おかしくはないと思うが、如何なものであろうか。


であるから東大出の人が、官吏になって、役所を辞めた場合は、上記の〝不文律〟によって、それぞれの系列の、外郭団体の長や、先輩・後輩の関係する会社の顧問などの役職に就いて、退官後も安定した生活設計が出来るように、レールが敷かれていたと言う。


今回の官製談合は、防衛施設庁とゼネコンとの問題のようだから、おそらくは防衛大から自衛隊へ行って、幹部まで勤めた人たちの事だろうと思われるが、如何なものであろうか。ゼネコンの方は、天下りを受け入れた数によって、官製談合の力関係も決まってくるわけで、その辺りの事は、ゼネコンにしてみれば、会社の業績にも関係してくるわけで、長い年月、抜きがたい仕組みと、絡み合いであったと思う。


まッ、長い年月、たっぷりと、国民の納めた税金で、天下りの人を養い、ゼネコンをも太らせた事になる。

これが、厳正な競争入札であれば、前以て発注者の予定価格を知る方法がないわけだから、ゼネコンの方も、厳しい入札となって、天下りなど受け入れる必要もなければ、又その余裕もなかった事になる。


人によっては、談合と言うのは、無益な競争を避けて、それぞれの業者が、円滑に成長していくための、必要悪だという人もいるが、しかしその為に、積極的に天下りを受け入れて、各分野の工事などで、談合を常態化させていると言うんでは、それが公共の工事であるならば、国民の税金を、食い物にしていると言われても仕方がないであろうと思うが、如何であろうか。