「…うん、今日はここまでにしましょう。
…不破君、もう少し読み込んで役作りしてきて下さいね。
いくらなんでも、これでは撮影になりませんから…。」



穏やかな笑みを浮かべながらも辛辣な緒方の注意とスタッフからの冷たい視線に、尚はなに一つ返す言葉も無く吉野もスタッフと共演キャストに頭を下げて回るしかなかった。



帰りの車の中で、吉野は黙ったままの尚にお約束の解説をしてやった。



「…お前、台本覚えてただろ?
理解してなかったのか?
お前の役をきちんと言葉に出して言ってみろよ。」



助手席から外を眺めながら、尚は苦虫を噛み潰した様な顔をしながらもボソボソと自分の役どころを口にした。



「…[久我 遼太郎(クガ リョウタロウ)]年齢23歳。
日本屈指の一大グループ企業、マシモの令嬢[真下 瞳子(マシモ トウコ)]とは幼なじみの婚約者。
遼太郎自身もそこそこの企業の御曹司。」



「ま、そこまでは良いわな。
んじゃ続きだ。
京子演じる[瞳子]と恋に落ちる敦賀 蓮の役[昂]。
[昂]とお前の演じる[遼太郎]の関係は?」



「…[出水 昂(イズミ コウ)]、23歳。
高校時代からの友人だがライバル企業で有名な遣り手の社員。
大学時代は海外の有名大学をスキップして20歳で卒業。
実はマシモとは常に利権を争う海外の一大グループ、クルーガーの御曹司だが身分を隠して生活している。
[遼太郎]と[昂]は立場上表立って会うわけにはいかないが、腹を割って話せる数少ない友人同士として人目につかない個室付きのバー等で時々酒を酌み交わしている。
…こんなんでいいか?」



仏頂面で言い放つ尚に、吉野は呆れたといった風情で肩を竦めた。



「…お前、そこまで役どころは理解してて何で出来ないんだよ。
セットに入る前から敦賀くんを睨め付けて…。
仕事だろ。
どんなに嫌な相手だろうが、役者として名を列ねている以上、その役になりきってやらなきゃならない事くらい解るだろうが。
…次に撮影入る時にまた同じ事しやがったら、今度は事務所に報告するから覚悟しとけよ?」



そう言い棄ててそれ以上何も言わなくなった吉野の横顔の厳しさに、さすがの尚も顔を強張らせていた。



確かに今日の撮影で足を引っ張ったのは他でもない自分だという自覚があった。



そして少しずつ理解してきたのだ。



自分の認識と周囲の評価がまるで食い違っている事を…。




数日後、尚は再び現場入りし自分のものだと思っているキョーコと顔を合わせるのだが、新開の時と同様の隔離状態に困惑せざるを得なかった。



我慢しきれず緒方に直談判したのだが…。



「…僕、DARKMOONのスタジオ撮影の時に君が京子さんにした件を忘れてないんですよね。
一応役柄上セットの中での接触は仕方ないですが、それ以上の接近は監督権限で認める訳にはいきませんから、そう認識しておいてくださいね?」



尚は冷たく言い放った緒方の態度に、この時初めて自分の行動が今の状態を招いているのだと自覚した。



「そんな事より仕事の話です。
今日は足を引っ張らないでくださいね?
…あぁ、今日は大丈夫かな?
きっと京子さんがそうさせるでしょうし…。
楽しみだなぁ、京子さんがどんな風に君を翻弄するのか…。」



天使のように優しげな顔をしていながら悪魔のように残酷な嘲りを籠めた笑みを浮かべる緒方の言動は、尚の背筋を凍らせるものであった…。



「…よう。」



リハーサル前の打ち合わせで漸く接近を許されたキョーコに軽く声を掛けると、キョーコは女優“京子”としての営業スマイルで丁寧に挨拶を返してきた。



…だがその挨拶も毒の含まれていたものであったのだが。



「…おはようございます、不破さん。
今日からよろしくお願いしますね。
この前いらした時は見学だけだったみたいですし、本当の初日は今日からですものね。
精一杯、相手役を勤めさせて頂きます。
…監督からも…色々と伺ってますし、ね?」



愉しそうな笑みを浮かべるキョーコ…いや、女優“京子”に、尚は監督の悪魔の微笑みと同じ戦慄を覚えていた…。




セットの中の京子…いや、[瞳子]は尚の知るキョーコではなかった。


今のキョーコは絶対に自分にこんな眼差しは向けてくれない。


それは嘗て故郷にいた頃の彼女ともまた違う、まるきり別な形の幼なじみの姿をした、華開いた1人の女性だった。



「遼兄さん、今度は何処に出張なの?」



たまにはデートしたいのに、と見上げてくる成人間際の幼なじみの頭を、役になりきったつもりで撫でて宥める。



[遼太郎]は幼なじみにはいい顔しか見せていないが、裏では女癖が悪く大して出勤もしていない親の会社に籍を置き、出張と称して親の金で遊び回るろくでなしであった。



「ごめんな、その代わりって訳じゃないが、今度のパーティー、しっかりエスコートするからさ。」



一方の[瞳子]はというと、母親を早くに亡くしていたが、自らの母の力も借りて何とか男手1つで瞳子を育てながら一大グループ企業、マシモの総帥を勤めあげていた父の背中を見て育った為か二十歳を前にしっかりした女性に成長していた。











( ̄~ ̄;)
う~む、何故だろう。

バカ尚にだけは自分がとことんSになってる気がします…。