「…と仰有いますと?」
真剣な眼差しで話し始める有里子に、椹はただならぬ物を感じて先を促した。
「…そのご様子ではご存知無いんですね?
京子さんが毎朝ほぼ決まった時間帯の地下鉄に乗っていて、その車内で度々困っている人を助けて、【地下鉄の天使】とまで呼ばれている事…。」
「…え、えぇっっ!?」
椹たちからすれば正に寝耳に水。
時間きっちり5分前には必ずやって来る彼女が、どんな交通手段で来ているのかなど考えてもいなかったのだ。
ましてやその車内で人助けをして、天使という二つ名を持つ程であったとは!!
唖然としていた椹たちの様子に、有里子と顔を見合せた田村は納得げに頷いた。
「…失礼を承知で伺いますが、京子さんは何故マネージャーがいないんですか?
LME程の事務所に所属していながら、しかも名前も売れているにも拘わらず、マネージャーが付いていないなんて普通じゃあり得ないでしょう?
何か特別な理由でもあるんですか?」
田村の問いに椹は困惑した様子で暫く黙っていたが、此処だけの話にしてくれと前置きした上で重い口を開いた。
「…実は京子は…うちと…LMEと正式に契約を結んでいるわけではないんですよ。
プライベートな事情でデビューしてからずっと仮契約のままなんです。」
ファンの皆さんに愛されて、遂にファンクラブを立ち上げはしましたがと言う椹に、今度は田村と有里子が唖然としていた。
「…つまり、仮契約の京子さんに、事務所としては正式なマネージャーを付ける事が出来ないんですか?」
椹は黙って頷くと、今度は逆に彼らに掲示板に書き込まれた文章の意味を問うた。
「…今度はこちらから伺っても宜しいですか?
ファンクラブの掲示板に書き込まれた文章の意味をご存知なら、教えて頂けないでしょうか。
…これなんですが。」
サイトの掲示板をプリントアウトしたものをテーブルの上に置いて見せると、田村と有里子はあぁ、と頷いてすぐにその疑問に応えてくれた。
「…これは同じ路線に乗り合わせているファンクラブ仲間同士の連絡なんです。
“天使の降臨”は京子さんが電車に乗ったぞ、って意味で、“守護者”はファンクラブ仲間が独自に結成した見守り隊です。
我々ファンとしては勿論京子さんと話もしたいところですが、プライベートの京子さんを見られる貴重な時間ですから、トラブルに巻き込まれない様に騒ぎ立てそうな乗客にはそっとお願いして見守って貰うようにしているんですよ。
そうしているうちにも京子さんはその美しい心根を垣間見せる行動を取られるので、見守り仲間は急増してますけどね。」
どこか自慢気な田村と、困惑気味の有里子が対照的で、奇妙にすら見えたが椹は詳細な部分を知るために話を続けた。
「…具体的に今、電車の中で見守って下さっているファンクラブの会員の皆さんがどのくらい居られるか、お二人は把握してらっしゃいますか?」
「私はあいにく知りませんが…田村さんは?」
有里子が首を横に振ってから田村に目を向けると、田村もまた首を横に振った。
「そうですね…私も発起人という訳じゃないですし、連絡を取り合っているような仲間は数人ですが、その数人がまた他にもいるって言ってましたから…ねずみ算式に増えるんじゃないかと…。
そういう意味でいけば、私も具体的な人数を把握してはいないです。
…すみません。」
椹からしてみればこれは由々しき事態であった。
今はまだ事務所への通勤電車内を穏やかなファン達が見守ってくれている、というかわいい状況ではあるが、エスカレートしかねないギリギリのラインでもあった。
一歩道を外れたファンが出ればそれは、ストーカーになりかねないからだ。
「…貴重な情報をありがとうございました。
また改めてご連絡させて頂きますが宜しいでしょうか。」
暗い表情になった椹に、田村も有里子ももしやと思ったが、とても訊ける雰囲気ではなくなってしまったので、そのままふらふらと喫茶店を出ていく椹と、好きなものを召し上がって行って下さいと言い残し店員に何かを手渡して慌てて後を追いかける田島を見送るしか出来なかった…。
「……っ、椹主任!!」
追い付いた田島が力なく項垂れながら会社に向かう椹の後ろ姿に声を掛けた。
返答は無かったが構わず横に並んで歩き始めると、気持ちの整理がついたのか、椹は顔を上げて普通に歩き出した。
「どうするおつもりですか?
京子ちゃんに電車通勤、止めさせますか?」
「…ま、仕方がないだろうが…社長にお伺いは立てた方がいいだろう。
スケジュール管理はタレント部がしてはいても、彼女はラブミー部だ。
マネージャーを付けるか否かは社長が決めることだからなぁ…。」
田島の問いかけに本人はいい子なのに周りを振り回すとは台風の目みたいな子だよな、と苦笑しながら話す椹に、田島もまた苦笑で返していた。
さぁて、事務所…もといローリィはこの事態の収拾をどう着けますやら。
(;^_^A