歌手、“不破 尚”の研ぎ澄まされた耳が捉えた衝撃の真実。




―――それは。



「…痛くない?
…全くこの前といい彼は君の身体に傷を付けてばかりで…。」



今回は女優、“京子”じゃないから泣き寝入りしなきゃならないのが口惜しいな、と続ける黒衣の大男に、身体を添わせる華奢な女が告げた。



「痛みは大したことありませんけど…抗議出来ないのは仕方ありませんよ。
今日で無事に撮影が終了したとはいえ、今の貴方は“敦賀 蓮”ではなく“謎の日系イギリス人俳優、カイン・ヒール”なんですし、私はその妹、セツカですから。」



それは雑踏の中、常人の耳ならば聞き取れる大きさの音声ではなかった。

だが彼の耳に届いた時点で、彼自身がスピーカーとなり、辺り一面に響き渡らせたのだ。



「~~~っっっお前ぇぇ~っっ!!!!
キョーコの癖によくも俺を騙しやがったなぁぁ!!
この前の事といい、ふざけんじゃねぇぇ!!」



怒りに委せて突進してきた尚をカインに扮した蓮が軽くあしらう。

するとほんの僅かな場所移動で、3人は向かい合ったまま人通りの多い道に出てしまった。


ここは都内の繁華街に程近い、芸能人が良く利用する店が立ち並ぶエリアだ。

当然それを狙って彷徨(うろつ)く若者も多いし記者だっている筈。


「兄さん!鬱陶しいけどそのバカ捕まえて!!」


掴みかかり、カインの後ろにいるセツに扮したキョーコに手を伸ばそうとする尚を、カインの扮装の蓮は難なく捕まえた。



「~っクソッ!!
離せよ!!何が兄さんだ!!
2人して俺をバカにしやがって!!
さっき歩きながら話してたじゃねーかっっ!!
自分たちが“京子”と“敦賀 蓮”だって!!
今日で撮影が終わったけど、謎の日系イギリス人俳優、カイン・ヒールとその妹だったって!!
俺の耳を騙せると思ってんじゃねーぞ!!」



離した途端掴みかかって来そうな勢いでじたばた暴れる尚に、2人は顔を見合わせた。



「…腐っても鯛ってこういうのをいうんだわ。
あの距離のあの音量の内容をよくまぁ…。」



「…やっと撮影終わったばかりで、CG作業も編集もまだで、公開前に俺の正体がバレちゃうのは近衛監督としては不本意だろうけど…不可抗力だしね…。」



これだけギャラリー居たら隠せないでしょ、と相も変わらずきゃんきゃん叫んでいる尚を丸無視して周囲に視線を向ける蓮に合わせてキョーコが辺りに目を向けると、そこは自分たちを取り囲むようにして出来上がった十重二十重の黒山の人だかり。

最早自分たちだけでどうこう出来るレベルではない。
キョーコはさっと持っていたポーチから携帯電話を取り出すと、手早く画面操作して蓮に向けた。



「…よろしいでしょうか。
  このまま発信しても…。」



「…仕方ないよね。
このままじゃ俺たちも身動き取れないし、ね。
いいよ、押して。」



苦笑しながらも優しい先輩の笑顔を見たキョーコは、ホッとした表情で発信ボタンを押した。





キョーコが電話を掛け終わった頃、黒山の人だかりの誰かが通報したのだろう、近くの交番から警察官が駆けつけて来て蓮が捕まえていた尚を連行して行った。

その時初めて蓮に飛び掛かって行った男が歌手の“不破 尚”だと気付いたギャラリーも数多く、ネットの掲示板に《不破 尚が敦賀 蓮に飛び掛かって警察に》と書き立てていた。



勿論そんな事を知る由もない2人が残された訳だが、警察官が事情を聞きたいと言って来たので待ち合わせの都合上立ち話で悪いがと断った上で、その場で事情説明を始めた。



「…つまりあの男は、そちらの娘さんに絡んで腕に跡を付け、それを止めさせた貴方を逆恨みして飛び掛かって来た、とこういう事でよろしいので?」



「…そういう事になりますね。
…ああ、私達の身元保証人も到着したようです。」



未だ黒山の輪の中に閉じ込められたままの2人を救出するべくやって来たのは、カインになった蓮に付く事が出来ず、蓮がカインに扮している間は事務所ワークに勤しんでいた社であった。



「…お疲れ様です、社さん。
近衛監督との約束、ダメになってしまいました。
…すみません。」



大きな身体を折り曲げる様にしてぺこりと頭を下げる蓮に続き、キョーコも頭を下げた。



「私がいけないんです!!
敦賀さんは助けてくれただけで…。
でもそのせいでプロジェクトが台無しに…。
本当にすみません、社さん!!」



「2人ともその話は後でね。
少しだけ待ってて。
…お待たせしました。」




社はスーツの内ポケットから名刺ケースを取り出し一枚を警察官に手渡すと何か小声で話し、頷き合って2人の方に戻って来た。


警察官も黒山を散らして交番へと帰って行った。



「お待たせ。
事情は大体社長から聞いてるよ。
さ、行こう。」



黙って頷く2人を促し、社はチラリと後ろを振り返った。

着いて来ようものならただでは済まないと言わんばかりの氷の視線を周囲に投げて。










前回、締めくくりを数えず次回完結とか書いちゃいました。


次回こそ、本当に完結です。