やはりチベット問題と五輪は切り離して考えるべき? | あるべきやうわ

やはりチベット問題と五輪は切り離して考えるべき?

今回の騒動をきっかけとして、いまだかつてないほどチベットに注目が集まっています。そして、色々な形で「チベットをサポートしよう」と考えてくださる人が増えてきています。

以前からチベットのことを応援してきた者としては、本当にありがたく、心強いばかりなのですが、少し心配なことがあります。

それは、北京オリンピックに関することです。

たしかに、北京でオリンピックを開催するか否かは「人権問題の改善」が条件とされていたと聞きます。そういう意味では、たしかに現状の中国がふさわしいとはお世辞にもいえません。でも、だからといって、即「中止!」「ボイコット!」というのは早計かなと思います。

何故かといえば、チベット人たちが立ち上がっ…てしまったのは、「オリンピックを中止してもらいたい」という理由ではなく、「自分たちの自由を守りたい」という理由からだったと思うからです。

むしろ、「中止!」「ボイコット!」と騒ぐことによって、いっそう中国政府は態度を硬化させ、弾圧を厳しくしかねません。これでは果たしてチベット人を救うために貢献できるのだろうか?と疑問に思います。

私も未熟なので、チベット支援なぞをやっていると、ついつい「チャイナ憎し!」という感情が沸いてしまうこともあります。しかし、チベットを支援するという意思があるならば、自分勝手な感情ではなく、チベット人を救うという目的のために最もよい方法を取るべきであるし、基本的には、チベットの象徴であるダライラマ法王の意向に沿うように行動するべきであると思うのです。

ダライラマ法王が、先日の会見でおっしゃた「北京で五輪を開催することを支持する」というお言葉は、チベットの独立よりも、中国の支配下で生きるチベット人ひとりひとりの生命と安全を優先されているからこそ出たお言葉であるのだと思います。また、これは綺麗ごとや理想論などではなく、中国政府の性格を考え抜いた現実的な視点からのお言葉なのだと思います。

昨今の日中関係をかんがみると、バッシングしたくなるのも理解できます。しかし、我々の「中国に反日教育や農薬餃子の報復を!」とか「溜飲を下げたい」というエゴを満たすためにチベットを利用するのでは、命がけでアピールした彼らがあまりにも気の毒です。

以上のようなことを憂慮しています。

チベットのために行動しようと考えている方は、ご一考していただけると幸いです。