みなさん、おはようございます。
あいかわらず蒸し暑い朝ですね。
ところで、全米ブロゴルフ選手権は、
残念ながら、日本人選手の予選通過者はいません。
日本の一流選手でもが、世界の場では通用しないのか。
世界との実力の差を感じざるを得ませんね。
そう考えると、宮里藍ちゃんの成長ぶりには脱帽です。
主戦場を米国と決め、確実に実力をつけてきました。
今では英語もペラペラ。一生懸命努力している姿に頭が下がります。
「井の中の蛙大海を知らず」 になってはいかん、ということでしょうね。
さて、みなさん、
今日は何の日ですか ?
終戦記念日に決まってんじゃん !
まあ一応そんなふうになってはいますけど、
正式に言うなら
日本がポツダム宣言 (無条件降伏) を受諾したことを
昭和天皇による玉音放送により国民に伝えられた日というのが正しいですね。
日本が軍国化していく中、
1941年 (昭和16年) 12月8日未明、
日本は米英に対する宣戦布告前に真珠湾奇襲攻撃に出た。
これが契機となり、戦争は当初、日本が優勢でした。
しかし、奇襲攻撃を受けた米国人の
狡賢いジャップに対する怒りが、
リメンバー・パールハーバー !
となって、こののち日本はあまりにも無残な返り血を浴びることになる。
1942年6月のミッドウェー海戦、同8月のガダルカナル戦
の敗北から形勢は一挙に逆転し、
1944年6月サイパン上陸、1945年4月沖縄本島上陸となった。
とくに沖縄では、一般市民を巻込み多数の死者を出して、6月23日に終結した。
ですから、沖縄では6月23日が終戦日となります。
しかし、沖縄のみなさんには、戦争はまだ終っていません。(おわかりですね ? )
サイパンが陥落したことにより、そこから日本本土への空襲が行なわれ、
1945年3月には、東京が爆撃され10万人の死者が出た。
その後、大阪、名古屋をはじめ中小の地方都市も空襲を受けることになる。
もちろん、福岡も例外ではなかった。
1945年5月、ドイツが無条件降伏。同年7月、米国、英国、ソ連が
ドイツのベルリン郊外のポツダムで、ドイツの敗戦処理問題を協議した。
トルーマン大統領、チャーチル首相、スターリンによる会談だった。
その会談中の7月26日には、米国、英国、中国の名前で、
日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表された。
日本はこれを無視、国民に本土決戦を呼び掛けた。
そして、8月6日に広島原爆投下、9日には長崎原爆投下。
しかも、ソ連は日ソ中立条約を破棄して8日に満州に侵攻した。
なんと8月20日には樺太 (サハリン) 南部にも上陸した。
ただ、このソ連の行為を一方的に狡賢いとは言えない。
なぜなら、日本もドイツの戦況次第では、ソ連に侵攻しようとしていたのだから。
8月14日、御前会議において無条件でのポツダム宣言受諾が決定される。
そして当日中に、スイス公使を通じて4カ国 (ソ連が加わる) に伝えられた。
したがって事実上の戦争終戦日は8月14日と言うべきだろう。
翌8月15日の正午、本土決戦を覚悟していた日本国民は、
昭和天皇による玉音放送により、敗戦と戦争の終結を初めて知らされのだ。
当時の内務省によれば、戦死者約212万人、空襲による死者約24万人。
1982年4月(昭和57年)の閣議決定により毎年8月15日は、
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」 となり、
政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開催されるのです。
資源のない日本が、軍国化により植民地支配を仕掛けた戦争でした。
ともに敗戦国となったドイツと日本ですが、
ヨーロッパにおけるドイツと、アジアにおける日本、の立場が全く違います。
私を含めて日本人は、今一度考えるベき時に来ていると思います。
自分の子や孫の時代にツケを残してはならないと思います。
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