CITTA手帳で オンリーワンの魅力を引き出すスタイリスト 稲岡 恵です
私は
母が39歳の時にやっと授かった赤ちゃんだった
高齢出産の初産
妊娠中毒症で、予定日より1ヶ月半早く産まれた
個人病院での帝王切開
父は母子共に助からないと言われた
何とか母は助けられても赤ちゃんは無理だろう
万が一 助かっても、何らかの障害は残るだろう覚悟してくださいと医師から言われた
1500gの未熟児で、1ヶ月保育器に入ったけど
奇跡的に母子共に助かった
当時の医療技術と個人病院という環境で
よく助かったわよ
私の兄(姉)弟(妹)になるはずの赤ちゃんは
流産でダメだったの
昔、母から聞いた
一人娘で相当可愛がられたでしょう?
とよく 言われるけど
可愛がられたとか
褒められた記憶がほとんどない
大切に育ててもらったはずなのに
その記憶はない
母は一般的なお母さんより
アッサリとした人だった
というより
子供に執着がなかった
小学生の頃、
兄弟がいない私は、毎日 母に
「〇〇ちゃんがこんなんしてね」
「△△ちゃんがあんなん言うてね」
楽しかったことをいっぱい喋った
ある日も報告していたら、
「あなたの友達はお母さんの友達じゃないから、
あんまり聞きたくない」
中3で進路を決める時、
「学校の先生は、〇〇高校か△△高校て言うてるねんけど、どっちがいいかなぁ〜どうしよう」
と相談したら
「お母さん、関東の人だから、わかんないわ」
いやいや、私のこと大阪で産んでるし、
小2から、ずっとここに住んでるし
母は悪気なかったんだと思う
アッサリとした人だったんだろう
私は ずっとずっと寂しかった
仲良し母娘の友達が羨ましくてたまらなかった
その事をこの養成講座の課題中、
あまりにも突然 思い出した
だから、私、寂しがりやで、
人と一緒に居ることが好きなんやな
だから、人から頼りにされたり
必要とされることがこんなにも嬉しいんやな
過去のいろいろなことが
今の自分を作ってる
続く