江森陽弘さん寄稿「赤いジュウタン」と「どぶ板」 | あおぽ ~青いポスト21~ オフィシャルブログ

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あおぽフラッシュバック

秋田の市民新聞「あおぽ」の過去の掲載記事をもう一度シリーズ!


今回は、『2011年8月26日付け Vol.777』より、

江森陽弘さんが寄稿してくださいました『「赤いジュウタン」と「どぶ板」』を

掲載したいと思います(`・ω・´)ゞ


あおぽ ~青いポスト21~ オフィシャルブログ-江森陽弘さんの記事



あおぽ ~青いポスト21~ オフィシャルブログ-江森さん  テレビ朝日系列「江森陽弘 モーニングショー」のメーンキャスターとして活躍したジャーナリスト。1960年朝日新聞社に入社し、社会部記者として活躍した。その後社会部次長や週刊朝日副編集長、朝日新聞編集委員など朝日情報の中枢部を歩んだ。
 磨き上げたジャーナリストとしての鋭い視点と切り口で、政治・社会問題などさまざまな現代社会の課題を取り上げ報道した。その後フリーとなり、NPO法人「地球子どもクラブ」理事、朝日カルチャーセンター講師、季刊誌「SOLA」の編集長を務め現在に至る。
 また、講演会では人権問題や高齢化社会、教育問題、地球社会の問題など現代社会が抱える様々な問題点について新しい話題や過去の事例に触れながらの講演は分りやすいとして話題になっている。




電話でアポをとって取材を受けるのがマスコミの常道

 つい先日、二十二年間、編集長として勤めてきた雑誌に辞表を出しました。
 今、何かと話題になっている東京電力のPRを務めてきた雑誌です。東京電力の宣伝をして何が悪いのかと、当時思っていました。
 ただ、この雑誌のスタッフの幹部達が、すべて朝日新聞出身者だからです。日頃原爆・原発を含め「核」にうるさい朝日の連中がよりにもよって原発をつかっている東電のPR誌を作製していた、という事実に目をつけたのが週刊G社です。「東電マネーと朝日新聞」という大きな見出し。
 内容は、この雑誌を東電にすべて買い上げてもらっていた、ということ。世の中が一番知りたいのはその金額でしょうが、編集長の私はまったく知らない。金のことは気にせず、いい雑誌を作ってください、ということだった。しかし、編集長としては知っておくべきでした。だらしなくて恥ずかしいことです。
 さて、今回、「あおぽ」に何かエッセイを書いてほしいということですが、東電関係にまつわる取材合戦の、ほんの一部を書くことにします。
 週刊G社は今度の取材に六人の記者を出したそうです。
 朝日OBの大物記者A氏は朝日新聞の政治部畑の人です。やがて論説委員から論説主幹(論説のトップ)になりました。優秀な、というか、煌やか記者道を歩いてきた人物です。
 そのA氏の自宅に週刊G社の記者が夜の八時過ぎ取材に行ったそうです。以下はA氏と私の電話の内容。録音をとっていたわけでもないので、ざっとこんな話といった感じで読んでください。
 「江森君、キミのところへトップ屋だか何だか知らないけど『週刊G』の記者みたいなのが行ったかい。えっ?行った?で、キミは会ったの?どうして会ったの?アポ(予約)なしでよくそんなヤツに会ったね。でも、それは、ジャーナリストとして間違いだよ。記者として失格だよ。とんでもないことをしてくれたね。
 だってさ、最近、この辺にヘンなのがいっぱいうろついているし、この間も警察から『最近、おかしいのがマスコミの名を語ってうろうろしているから気をつけるように。もしムリヤリ入ってきたり、しつこく聞いたり、動かなかったりしたら警察に電話するように』って言ってきたばかりなんだ。そんなヘンてこりんな、それにしてもどこの誰だか分からない人間とよく会ったねぇ。ボクは追い返してやったんだ」
と言って電話を切られてしまいました。
 A氏の言うことは論説主幹の経歴を持つジャーナリストとして間違いではありません。電話でアポをとって取材を受ける。これがマスコミの常道です。


政治部記者は国会議事堂の赤ジュウタンを踏んで

政治家や実業家の取材に当たっていた


 私の場合はA氏とは全く違って自宅のインターフォンが鳴りました。「ハイ」と出ますと「エモリヨウコウさんですか」「私は週刊Gの×○という者ですが、こんな夜に伺ってすみませんが、東京電力の話を伺いに来ましたので会っていただけますか。」
 玄関を開けるとネクタイをした一見、好青年といった感じの、三十代の男性が立っていました。
 正直いって、ついに来たな、と思いました。二十分間くらいでしたら、というと「わかりました」
 話し方も感じがよくて、二十分たつと自分の方から「約束の時間なので帰ります」と、席を立ちました。
 その後、元論説主幹のA氏と電話でのやりとりがあったわけです。そして考えたのですが、A氏と私は記者として歩んできた環境というか、道が大きく違っていました。
 A氏は天下?の政治部出身の論説主幹です。私は社会部出で最後は編集委員でした。五十歳のときから四年間テレビ朝日のモーニングショーのキャスターをしました。その後「週刊朝日」にもいた普通の記者です。
 政治部にいたA氏は、国会議事堂の赤ジュウタンを踏んで常に大物政治家や実業家たちの取材にあたっていたのでしょう。そんな政、財界で取材活動をしていれば、事前に電話でアポをとり、秘書を通して取材というのが当たり前です。それこそ、何処の誰だか分からない人間と会うはずもありません。
 一方、私の方は社会部で警察庁、警察回りをし、常に事件や犯罪者の取材に、やっきとなっていました。いつも警察にニラまれ、事件を起こしそうな人間、例えば暴力団など、アポなどとろうにもとれません。「週刊朝日」の記者のときもそうでした。週刊誌というだけで新聞と区別され、記者会見にも出られませんでした。


社会部・週刊誌出の記者はどぶ板の上を駆けずり回る等足で稼いで情報をとる


 私は長いこと「狭山事件」を追いかけていますが、「夜討ち朝がけ」といって捜査一課長や担当刑事の自宅周辺で刑事たちが深夜帰宅するのを、雨の中でも風が吹きつける中でも、じっと待ち、帰って来たときは、一斉に刑事に向かって走り出します。アポなんて、とてもじゃないけどとれません。
 それでも社会部の記者は、なんとか情報をとろうとして、刑事の息子さんや娘さんの家庭教師などをやったりする者もいます。
 だから、A氏の言うように「アポをとってから取材に来い」と言える人が羨ましいです。そんなこととても言えません。わが家を訪れた記者も私のように深夜まで駆けずり回っているのかな、と思うと昔の自分の姿を思い出しました。どぶ板の上を駆けずり回ったり、悪臭が立ちこめる下町の裏道を歩いた頃が懐かしいです。


 最後に言いたいことは、冤罪と言われている「狭山事件」のとき警察の発表ばかり書いていた新聞より記者会見に出られなかった週刊誌の記事の方が「足で稼いだ」だけあって迫力があったと思うことがたびたびあります。
 それと、もう一つ言いたいことがあります。
 政治部出身者と社会部あるいは週刊誌出のジャーナリストを比べ、改めて思ったのは、日頃政治家や実業家などと付き合っていると、どうしても記者自身が「上から目線」の記者になるのではないかということです。
 私は元朝日新聞の論説のA氏と電話で論争していて、コイツ、自分が相当社会的に地位の高い人間だと思っているのではないか、と感じました。
 特にジャーナリストを名乗る人たちや、政治を司る人たちは、これまでやってきたことは間違っていたと気付いたら、早く正直に自分の考えを発表したほうがいいと思います。
 原発のPRをやってきた私たちも、この世の中に「安全神話」などというものはない。一歩間違ったら、何十年先の未来を傷つけてしまうと持論を変えるべきでしょう。
 そろそろ菅首相が変わり、内閣総辞職があれば選挙が始まります。私たちが政治家を選ぶときが間もなくやって来ます。
 こういったとき、大手のマスコミ(新聞でもテレビでもいい)が候補者全員に「原発賛成か、反対か」についてアンケートをとるべきでしょう。なぜ反対か賛成かをみて、じっくり考えて一票を入れるべきと思います。
 ま、今回は、いろいろなことを書きましたが、私の囲りにいた編集部の若い人たちが支えてくれたので二十余年も編集長ができたと感謝しています。


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