大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)とは、長崎県
長崎市
にあるカトリック
の教会堂
で、日本
最古の現存するキリスト教
建築物。
正式名は日本二十六聖殉教者聖堂(天主堂)。その名のとおり日本二十六聖人 に捧げられた教会堂である。教会堂は殉教地である西坂に向けられている。
観光客の増加に伴い、1975年 に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサ は大浦教会で行われている。
江戸時代
末期の元治
元年(1864年
)に、長崎に着任したフランス人
司祭
(神父
)ベルナール・プティジャン
(Bernard Petitjean)と、横浜
から来た同じくフランス人の司祭ルイ・テオドル・フューレ
(Louis-Theodore Furet)が基本設計を行い、天草
出身の棟梁
小山秀之進が建設した。建築当初は三本の塔を持つゴシック
風のつくりながら、正面中央の壁面はバロック
風で、外壁はナマコ壁という特殊なスタイルであった。1875年
から1879年
にかけて大規模な増改築が行われ、外壁を煉瓦
造にあらため完全にゴシック風の建物になるなど、創建当時の外観から大きくその姿を変えたものが現在の教会堂である。戦前は旧国宝(現・重要文化財)に指定されていた。
1945年 の長崎原爆 で破損したが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れた。1952年 には修理が完成し、翌1953年 に洋風建築初の新国宝に指定された。
2007年 、建立当初の設計図(平面図と側面図)が、フランス のパリ外国宣教会 で保存されていたプティジャン神父からの手紙の中から見つかった。
建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさとものめずらしさで付近の住民 たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には今でも何処かでカトリック 教徒が密かに信仰を伝えているのではないかというわずかな期待があった。
元治 2年2月20日 (1865年 3月17日 )、浦上(長崎市)の住民数名が大浦天主堂を訪れた。祈っていたプティジャン神父に、「イザベリナ(杉本)ゆり」という52歳の女性 を中心とした3人の女性たちが近づき、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私の宗旨はあなたの宗旨と同じです)とささやき、自分達がカトリック教徒であることを告白した。
彼らは聖母 像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分達が迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタン である事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた。やがて、浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかり、この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇 ピウス9世 のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋 の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっている。
その後も大浦天主堂は、1958年 まで長崎司教区 の司教座聖堂 (カテドラル )であった。(現在の司教座聖堂は浦上教会 )