「滋賀縣護国神社」 から 「彦根城」 へ

   『彦根城』
    「徳川四天王」 として 「徳川家康」 の信篤い 「井伊直政」 は、「関ヶ原の戦い」 の戦功によって
    「石田三成の居城」 であった 「佐和山城」 に入ったが、鉄砲傷から 「破傷風」 を患い 慶長7年・
    1602年に死去する。     
    「三成」 の怨霊の仕業とも噂された事も在って、「直政・遺臣 家老・木俣守勝」 は 「徳川家康」 の
    理解の下で 「直政」 の遺志を継ぎ、「琵琶湖・彦根山(金亀山)」 に 「彦根城築城」 を 「尾張藩・
    越前藩等々 12大名」 が手伝う 「天下普請」 を開始し、慶長11年・1606年に 二期工事までを
    完了させ、その後は 「彦根藩」 のみで 工事を進め 、元和8年・1622年 「彦根城(金亀城)」 を
    完成 (「佐和山城」 を廃城とする)

   「彦根城」 の前に 「幕末に 幕府大老を務めた 井伊直弼」 が 「藩主・井伊直中の 十四男」 として
   生まれ、父の死後も他家を継ぐ機会に恵まれず過ごした屋敷で、和歌 「世の中を よそを見つつも
   埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」 を詠み 名付けた 「埋木舎」 を訪ねるが 「休館中!」



   「彦根城 佐和口多門櫓・表門」 に向かうが・・・・・「開国記念館の屋根 鳥糞被害!」
   「開国記念館」 は、昭和35年・1960年に 「井伊直弼・没後100年記念事業」 として 「佐和口
   多聞櫓」 を再現したものだそうです。







   奥・左手に 「重要文化財・二の丸佐和口多門櫓」 (明和4年・1767年に類焼し、明和6年から
   8年にかけて再建された)



   「表門橋」



   「彦根城博物館」 も 休館!



   「表門山道」 長い坂道・階段の先に 「重要文化財・天秤櫓」 が見えてきます。
    「天秤」 のように左右対称の 「鐘の丸」 から渡された 「廊下橋」 で、非常時には 「落し橋」 に!
    (以前は 両側に壁が在り屋根がかけられ、行き交う人の動きが見えないようになっていたとか。 
    また 「長浜城大手門」 を移築したとも伝わる。 日本の城郭で この形式は 「彦根城」 のみ)





   「石垣・石積み」 を良く見ると 「築城当時 東半分の 牛蒡積み」 と 「江戸後期 嘉永7年・
   安政元年・1854年 西方の足元から積み替える大改修に伴う 落し積み」
   (「牛蒡積み」 は、一見 粗雑に思われるが、実は 強固な石垣なのだそうです)







      廻り込んで・・・・・











   「時報鐘」
    城内全体に鐘の響きが伝わるように 「鐘の丸」 から移され、現在でも定時に鐘が撞かれている。
    「第12代藩主・井伊直亮」 の時に、より美しい音色にしようと 「鋳造」 の際に 「大量の小判」 が
    投入されたそうです。
    隣接する茶屋は 「聴鐘庵」







   更に進むと 「天守」 の姿が・・・・・



   「重要文化財・太鼓門櫓と続櫓」
    「天守」 の在る 「本丸表口」 を固め、城内合図の 「太鼓」 が置かれていた。
    背面は 開放され 「高欄付きの廊下」  (非常に珍しい造りと云います)





   「天守 東面」
    慶長12年・1607年に完成した 「三重の天守」 で、「京極高次」 が築いた 「大津城]」 から
    移築されたと云われます。
    (現存する 「国宝天守」 は 『彦根・姫路・松本・犬山・松江城』 の五城)
    「唐破風・切妻破風・入母屋破風」 が 組み合わされ、「三階勾欄付きの縁」 に 「武者窓」 と
    「本来は、寺院建築に使われる 火灯窓・花頭窓」 が美しい 天守の姿を形作っています。







   「天守・南面」 と 「鯱鉾」





   「琵琶湖」 を望む・・・・・「竹生島」 でしょうか?







   「井伊家家紋は・・・・・」
    「井伊家 家紋」 は 「#・イゲタ・井筒」 と思っていたが、「井伊氏の祖とされる・井伊共保」 が、
    「井伊谷・八幡宮」 の井戸の傍らで拾われ、その側に 「橘」 の実が一つあったと云う事から、
    「彦根・井伊家」 では 「井戸の井・#・彦根井筒」 と 「橘・彦根橘」 を家紋にしたと云います。





   「国宝・天守」 に登る?
   「矢狭間・鉄砲狭間」 「火灯窓・花頭窓 の骨組み?」







   「えっ! この急な階段を? 登るの? 無理 無理!」





   此処で待っているから・・・・・





   「あ、カメラ預けるから 撮ってきて!」
   「ありがとう! なに、ガラス張りで ガラスが汚れていたって、そうかぁ~」









   「上った坂は下らにゃならぬ・・・・・」
   降り切った処に 「立札」 が!
   『彦根城天守に登る山道は四箇所ありますが、その石段は 非常に登りづらいと言われています。 
   もともと 城への石段は、万一敵が攻め入った場合 歩調が乱れ 一息では登れないよう 意図的に
   不規則に 造られているものです。 お寺の屋根の様に、最初は 緩やかな登りが 登るにつれて
   斜度が急になり 登り難くなったり、踏み幅や 踏み高を 微妙に違わせ 一定にせず 敵に対しては
   足元に 注意を向けながら登らせ、上から 攻撃しやすくしているのです。 観光客のみなさんには
   大変登り辛いと思いますが、十分気をつけてご見学ください』