六月一日 今日は亡き母の13年目の命日
もう・・・13年も経ってしまったのか
というのが正直な気持ちです。
それはきっと
心の中で生き続け
話かけているからかもしれません。
大親友のような母娘でした。
と、いっても依存しあって支配し合うようなものではなく
信頼しあい、一定の距離をキチンと守りながら
見守るような感じ。
そんな母を私は大好きでした。
余命宣告を受けてから他界して1年くらいは
不思議な事が多々ありました。
それは
肉体は亡くなるけど
魂は亡くならないということを
身をもって、最後の子育てをしてくれたのだと
思います。
生きていると
色んな、実に様々な思いを抱きます。
恋をして、失恋して
夢を持って、挫折して
仕事も上手く行ったり、ダメになったり
人間関係も、良くなったり悪くなったり
そのたびに私は心の中の母に話しかけます
そして、自然と母が微笑むような
心の選択をしています。
それが不思議と私自身の心の平安に繋がります
現実的には、損な役回りだとしても(笑)
昨年の東日本大震災を経験されて
肉親を亡くされた多くの方々のお心にも
愛するご家族は生き続けていることでしょう。
いえ、まだ、受け入れられない方もいるかもしれませんね。。。
「千の風になって 」 という歌は
アイルランドの伝承のように歌い継がれている歌だそうです
世界各国で歌い継がれてきたそうです。
大昔、NHKで「大草原の小さな家」というホームドラマが好きで
観ていた時。
ある人が亡くなるシーンで
「私が死んでも悲しまないで下さい」という
詞が最後の場面で朗読されます
子ども心にも胸に響きました。
きっとあれはこの民謡のことだったのでしょう。
世界各国で訳されたその詩は
お国柄が反映されてました。
私はネイティブアメリカンだったかな、ケルト民謡だったかな
うる覚えですが![]()
TVで1度特集されたときに聴いた
メロディと女性の声に心打たれた覚えがあります
詩も微妙に表現が違いました。。。。
この歌を想うと
母の笑顔を思い出します。
そして、その後
父、弟、友人が旅立つたび
この詩は現実として実感するようになりました。
母は私にとって
太陽のような存在でした。
母を亡くして不思議な出来事の1つに
ひまわりがあります。
母を亡くしたあと傷心のHeartの真ん中が
ポッカリ空洞になっている
しばらくするとその空洞に種がびっしり詰まっていた
良く観るとやがてその空洞から光の放射が始まる
それはまるで、ひまわりの花の様相でした。
これは泣いて眠った私が見たビジョンです。
きっと母がそれを見せてくれたんだと思います。
悲しくて
なにもかも失ったように感じた心に
その先を見せてくれたんだと・・・・。
喪失の先にあるのは
闇ではなく、可能性を秘めた光だと。
こんな不思議な出来事がいっぱいあって
今の私がいます。
だから母は亡くなったけど
今も心で生きているのも事実です。
そして母の魂は
天で安らかな事も感じています。
母がもしこの世に生まれていなかったら
私もここにはいない
いえ、出逢った全ての人も存在していなかったら
今の私であったか疑問ですよね
縁の不思議に感謝です。







