使いなれてないから、文字の色を黒からカラーに変えてしまったり、文字の大きさを変更できることを知らず、米粒みたいな小さな文字で書いてしまったり、失敗続き。さらには誤字の目立つこと(汗)。変換ミスなんですが、間違いは間違い。


 さて、起きたら、蒸し暑さも感じず、一夜にして天気は秋模様に突入。戸を開けると、寒いくらい。こういうときって、寝冷えしがちなんですね。気をつけましょう。


 深夜、昼間放送の札幌FM放送・三角山放送局の「森崎ひとみ ピースフルタイム」の再放送を聴いたら、MCのひとみさんが北海道の秋は短いと話していた。平成7年だったか、最後の親孝行のつもりで、姉たちと相談して両親を北海道観光に連れて行くことにした。本当は紅葉の一番いい時期にしようと考えたが、旅行会社の料金は時期によって高くなったり安くなったりする。あまり予算も潤沢でなかったので、9月の初旬にした。紅葉には早かったが、阿寒湖周辺はすでに紅葉が始まっていて、九州の紅葉と色合いが異なるのに、父親は興奮していた。

 最初、母はいやがった。九州から北海道まで遠出するのがおっくうだったようだ。姉が同行するということで、やっとOKした。その当時は、「JAL STORY」というバスツアー。4泊5日。層雲峡、知床、阿寒湖畔、札幌に泊まった。強行軍だったので、最後の札幌では父がおなかをこわし、連れて行きたかったなじみのピアノバーには姉と行った。森崎ひとみさんが弾き語りをしていたから、きれいな歌声を聴かせてあげたかった。

 阿寒湖畔の民宿の1軒を父の戦友だったY氏が経営していたので、会ってきたら、と勧めたが、父はなぜか立ち寄らなかった。父は昭和戦争でビルマ(現ミャンマー)に出征した。そのとき、生死を共にした戦友だ。それから2年後、父は急逝し、その数年後、Y氏も亡くなったから、なぜ、父が会いに行かなかったか、今でも謎だ。父は寡黙な人だったが、戦争体験だけは熱っぽく語ってくれたのを記憶している。父はバスの運転手をしていたので、戦地でも軍用車の運転手を務めていた。ある日、何かの事情で、運転手の交代が命じられ、ほかの人が出発したら、その車が被弾し、その運転手さんは頭の後ろから弾が飛んできて、即死したという。何が運、不運を分けるかわからないとしみじみ語っていた。

 ビルマ戦線で有名な作戦がインパール作戦。世紀の愚策と後世評価されている、日本軍が壊滅的な打撃を受けた作戦だ。幸い、父の所属して部隊は参加していなかった。もし、参加していたら、父は生きて帰ってこなかっただろう。

 話があちこち飛んでしまった。関東地方がこういう涼しい陽気なら、北海道もさぞ涼しくなっているだろう。旅行には最適の季節だ。北海道には湖がたくさんある。支笏湖、阿寒湖、知床五湖、摩周湖に行ったが、ほんとうにきれいだ。今度行く機会があれば、ぜひドライブしてみたい。