15年5月8日(金)
 
 3日間続いた発熱は、朝には平熱に戻っていた。また最上階に朝陽の写真を撮りに行く。
 
外科手術で中断していたが、今日から化学療法を再開。15時過ぎには終了し、シャワー室へ。
 
頭を洗っていたら、触っただけで、髪の毛が恐ろしい勢いで「ごそっ」と抜けた。
 
髪の毛が抜ける前兆があるのかと思っていたが、そういったものもなく、いきなりだった。
 
抗がん剤は、4月22日に初めて投与されただけで、その後、途絶えていたのに・・・。
 
あまりに突然のことで、怖くなる。
 
イメージ 2
 
 
 
イメージ 1
 
15年5月9日(土)
 
 朝、起きたら、枕の上に、抜けた髪の毛がびっしりと、貼りついていた。その量をみて、また怖ろしくなる。
これでは、寝られないので、家内に「コロコロ」を持ってきてもらうように頼む。
 
 昼間、職場の方が、2人で見舞いに来てくださる。もともと笑いが多い職場だったので、いろんな話に花が咲いた。ありがとうございました。
 
 その後、子どもらもやってきて、食堂で宿題の面倒をみる。
 
 実は、今まで宿題の面倒などは、ほとんど家内任せで見たことがなかった。
子どもの宿題の面倒をみることなんて、そんなに手間のかかることではなかろう。と思っていたが・・・。そんなことはない、ということに今さら気づかされた。
 

15年5月10日(日)
 
相変わらず、抜け毛がひどい。早めに院内の床屋に行かなくては・・・。
 
夕方子どもらがやってくる。みんなで食堂で、カップラーメンをつくって食べた。
 

15年5月11日(月)
 
白血球が低めとのことで、それを増やす注射を打たれる。
 
午前中、シャワーに入ったら、髪の毛がほとんど抜けた・・・が、まだらになっていて、非常に見苦しい。
 
家内が「ハゲ隠し」のための帽子を買ってきてくれる。
 
天気が良かったので、病院の外の庭のベンチに座り、2人でアイスを分け合って食べる。
 
家内にはほぼ毎日来てもらっている。特に何をしゃべるというわけでもないが、一緒にいるという、そのことだけで、「支えられている」ということを、強く感じた。
 

15年5月12日(火)
 
院内の床屋で、坊主頭にしてもらう。「まだらハゲ」から脱却して、すっきりした。
 

15年5月14日(木)
 
朝8時半すぎ、大学時代のワンダーフォーゲル部同期の友人(K君)が、東京から夜行バスで見舞いに来てくれた。彼と会うのは、宇都宮で開かれたワンゲル同期の結婚式以来だ。おそらく3年ぶりくらいだろうか。
 
気の置けない友人と他愛のない話をしていると、自分が病気であること自体を忘れてしまう。
 
夕方6時半すぎ、今度は同じくワンゲル同期のH君が、神奈川から見舞いに来てくれる。彼は4月25日にも来てくれた。高校野球ではないが、「約20日ぶり、2度目の出場」である。本当にありがたい。
 
これから中国地方の某都市への出張とのこと。7時半頃、病院前のバス停まで見送る。
 
その後、朝来てくれたK君より、メールあり。帰りに「熱田神宮」で平癒祈願をしてきてくれたそうだ。
 
お二人さん、遠くから、ありがとうございました。
 
イメージ 1
 
 

15年5月15日(金)~17日(日) 化学療法
 
 入院して、1ヶ月。いろいろあったが、無事に1クール目最後の化学療法にたどり着けた。
これが終わったら、一時退院できるかもしれないと思うと、うれしくなる。
 
今のところ、毛が抜けた以外は、吐き気や口内炎などの副作用もなく、食欲もあり、病院の売店におかしやパンを買いに行ったり、病院の近くに散歩に行って、写真を撮ったりする元気もある。
 
本に書いてあるような、抗がん剤の副作用がなく、「ケロッ」とできているのは、不幸中の幸いかもしれない。
 
イメージ 2
 

15年5月21日(木)
 
 夕方、職場の方が3人で見舞いきてくださる。「鉄道ジャーナル」を差し入れてもらう。ありがとうございました。

15年5月23日(土)
 
 突然、大学ワンゲルの2期後輩のA君が見舞いに来てくれた。
 世界のT自動車に勤務しているので、どんな仕事をしているのか、興味があった。
 
 海外赴任の話も含め、いろんな話が聞けておもしろかった。
 ありがとうございました。

15年5月28日(木)~6月1日(月)
 
 化学療法の1クール目が無事終了し、一時退院となり、自宅で過ごす。
 子どもらが、わいわいと騒がしいが、やはり家はいいなあ。とつくづく思う。