ヨーロッパ映画通信


犬童一心監督の2005年作品『メゾン・ド・ヒミコ』。この監督の作品を観るのは初めてだと思っていたのですがallcinemaで調べたら『ジョゼと虎と魚たち』を過去に観たことがありました。




塗装会社の事務員として働く主人公沙織は、春彦という見知らぬ男からある老人ホームで働くことを誘われる。給料のよさに惹かれた沙織はそこで働くことを決意するが、そこは沙織の父親である卑弥呼が作った、老いたゲイが幸せになるための施設「メゾン・ド・ヒミコ」であった・・・という物語です。




『ジョゼと虎と魚たち』もそうでしたが、こじんまりしていながらも美しい映像が印象的でした。その上を行くのが音楽の素晴らしさでしたが、後で調べてみたら細野晴臣氏が音楽担当でした。そりゃ素晴らしいのは当たり前ですね。私は音楽家・細野晴臣の信奉者でして、個人的には世界一の音楽家だと考えております。それだけに今回のこの作品は、細野さんの音楽の素晴らしさだけが浮き上がってしまっているようにも思えてしまいました。




物語自体にも心を大きく揺さぶられるような要素もありませんし、俳優陣の演技はというと・・・これが酷い。主演のオダギリジョーと柴咲コウがきらりと光るようなシーンもたまにあるのですが、オッと思った次のシーンではその光を打ち消すような演技が出現したり・・・と演技・演出に一貫性があまり感じられませんでした。卑弥呼役の田中泯の評価が高いようですが、個人的にはどこがいいのか全くわかりませんでした。




『ジョゼと~』では障害者の恋愛や実生活を描き、この『メゾン・ド・ヒミコ』ではゲイの老後を描くという、社会の暗部に光を当てるというコンセプトがこの監督の作家性なのでしょうか。ただ、『ジョゼ』もそうだったのですが、どうもキャラクター設定等に甘さを感じてしまい、そのテーマについて真剣に考えられない感じがしてしまいます。物語最後の収束のさせ方も無理矢理感が否めない雰囲気ですので、エセ爽快感という最も偽善的な終わり方になってしまっています。さらに言えば、『ジョゼ』では池脇千鶴演じるジョゼが魅力的だったのに対し、この『メゾン・ド・ヒミコ』ではそういう役柄の不在という最大の問題点が作品のレベルを下げていると思いました。




やはり、誰にでもわかる作品作りを強いられながら、さらには人気俳優を使わなければならないという制限があるのですから上記のようなレベルの作品になってしまうのも仕方のないところなのでしょう。まさにこれこそが商業映画の限界であると感じさせる作品でした。



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ヨーロッパ映画の旅/中島大輔

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