1月7日の夜、私のおじいちゃんが亡くなりました。
母方の父なのですが、
母子家庭で長い間おじいちゃんちに預けられて過ごした私にとっては
まさに父親がわりでした。
幼稚園の親子競技も、おじいちゃんが出てくれたのを覚えています。
お迎えも毎日おじいちゃんでした。
昭和3年生まれの83歳。
3月で84歳になるところでした。
最後に会ったのはブログにも書いたとおり元旦。
もう、きっと会うのは最後だな・・・・
と、なんとなく覚悟をして山梨に帰ってきました。
山梨に帰ってきてから毎日天国のおばあちゃんにむかって
おじいちゃんを迎えに来ないで
と祈っていましたが、もう来るべき時がきたんでしょうね。
亡くなる当日の、夕方の先生の回診では、
きちんと先生の言うことに返事をしていたそうなんですが、
その1時間後には心肺停止。
あっという間でした。
私が連絡を受けたのは、petit angeのみなさんと近所の中華屋さんで
ごはんを食べ終わって話している時でした。
子供たちも沢山いたのに、泣き出してしまって、、、、、
驚かせてしまって、みんなごめんね。
おじいちゃんは特攻隊の生き残りでした。
出撃の日が1日違うだけで、
命を落とした友も沢山いたでしょう。
10代にしてすでに1度、国の為に死ぬ覚悟をしたおじいちゃん。
出征前に終戦を迎え、生き延びました。
その後結核になって遺書をかいたこともあったそうですし、
3年前に一人暮らしの自宅で心臓発作で倒れ、
その時も死ぬと思ったらしいし、
何度も何度も死と隣り合わせになっても生き延びてきたおじいちゃん。
でも、ついに、最期の時がきました。
群馬にとんぼ返りし、おじいちゃんの亡骸と対面しましたが、
本当に安らかな、眠っているような顔をしていて・・・・。
苦しい最期ではなかったようで安心しました。
母がおじいちゃんのアルバムを用意していて、
私は旦那と、おじいちゃんの枕元で見てみました。
多分初めて見る写真。
おじいちゃんとおばあちゃんが、とても若くて(多分20代前半)
顔を寄せて自分撮りしてるのとか、
おばあちゃんが原っぱでほおづえついているロマンティックな写真とか、
着物をきて、空を見上げるおじいちゃんを下のアングルからとった写真とか・・・・
なんだか、ほっとしました(笑)
おじいちゃんたちも、若い時は若者っぽかったんだって(笑)
おじいちゃんは、自分の両親、兄弟、おばあちゃんの両親、兄弟、
みんなまとめて1つ屋根の下で面倒をみてきた人だというのが
アルバムからよく伝わってきました。
私と母がそっくりすぎるのも笑えたけど。
この後、ちょっとした修羅場の予感だったので(苦笑)
母に「あんたたち、初市でもいってきたら!?」
という母の提案にのり、前橋市街地へ弟と一緒に向かいました。
初市とは、年明けの初めの休日に行われる、
「だるま市」のことです。
市街地中が、こういう感じでだるまで埋め尽くされます。
「お姉さん!!勉強しますよ!!」って(笑)
声をかけられるんだけど、そうはいってもだるまも人の手で作られてるんだな~って
思ったらあまり値切るのも悪いな~って思っていたら、
弟なんて「もう一声!!」とか調子に乗ってるし(笑)
結局、アオマンがどうしてもこの子がいい
という子を1200円で購入。
アオマンの頭くらいの大きさでかわいいです
ちなみにだるまは色ごとにきちんと意味があって、
本当は白がほしかったけど、「合格祈願」みたいな意味なので、
オーソドックスに「家内安全」の赤を。
高崎だるまは鶴と亀を表現した凛々しいお顔です。
「じいちゃん死んだのに縁起だるま買いに来てんのもなんかおかしいね~」なんて
笑いながら。
でも、おじいちゃんにもなじみのあるお祭りだし。
おじいちゃんも一緒に来たと思えばいいか~(笑)
そんなんで、次の日は納棺。
私は、とても親戚同士が近くて、みんなお世話になっているから、、、、
今まで何度も、最初から最後までお供する葬儀にでているのですが、
正直 映画「おくりびと」以降劇的に変わりました!!
マジでびっくりしたよこのサービス!!
じいちゃんさいごに風呂に入れられてたよ!?
見せてもらえなかったけど(苦笑)多分すっぽんぽんで。
昔この会社は、着ている服の上から綿で旅装束を作ってくれてたんだけど、
今回はどの服を着せるかとか、なんかすごかった!!
(なにせ、どうせすっぽんぽんなんだからね)
おじいちゃんの愛用していたスーツは着せないで一緒に入れてもらって、
私の編んだニット帽も一緒にいれてもらって。。。
納棺が終わってから、子供たちにもみせました。
(これがあとになってワカヒメにあだになるんだけど)
ワカヒメとアオマンはとにかくわたしの弟が大好きで、、、、
暇な時間はこんな感じでした(笑)
私のいとこ(17歳と10歳)もかなり子供たちをかわいがってくれて、、、、
しかもめっちゃいい子なの~~

こんな息子に育ったらいいなぁ~~って。
通夜、葬儀、初七日繰り上げ法要と進んでいく中で、アオマンは
「ひいじぃじの悲しいお歌は嫌だなぁ~」と、お経のことをそんな風に言っていました。
最後の最後、みんなでおじいちゃんにお花を入れてあげる時に、
私はあわててつくったおじいちゃんへのプレゼント色紙&手紙を無事にいれることができ、
ワカヒメも「バイバイ」とちゃんとお別れしました。
そして、新しくなった前橋斎場。
おばあちゃん、父方のおじいちゃん、おじちゃん2名おばちゃん1名
みんなこの斎場で見送ったのですが、
それも全部古いときの話で、
新しくなってあまりにきれいなので驚きました!!
新しくなって心の救いだな~とおもったのが、
古い時はお棺が狭い扉の中に入って行ったあと鉄のシャッターがガシャンって
閉まるんだったけど、
新しくなってからは木の扉を係の人が丁寧に閉めてくれるようになりました。
それだけで温かみがあって、心が救われます。
今はお棺に入れる物も規制が厳しいけれど、16年前のおじいちゃんの時は
パチンコ玉とスロットのメダル入れたよね~(笑)って笑いました。
火葬の間、子供をトイレに連れていくときに売店の前を通りました。
骨壷が展示してあるんだけど、
小さい骨壷があって
「ああ、分骨用かしら?」
と思ってよくみると、
クレヨンタッチで男の子&女の子の笑って手をつなぐ絵が書かれた
骨壷があって、
そうか、亡くなるのは大人とは限らないよな。
とおもってめっちゃ切なくなりました。
おじいちゃんは自費出版で短歌の「歌集」を3冊出版しました。
親戚に配るくらいの数でしたが、おじいちゃんに内緒で母が新聞にそのことを投稿したことがあって、
するとおじいちゃんのファンの方から
「本を譲ってほしい」と電話があったそうで(笑)
うれしそうでした。
一番最後に出版した「澄浄」という本は私も持っています。
タイトルは、16年前に他界したおばあちゃんの戒名からとりました。
妻逝きて 二年過ぎぬこの頃は 独り暮らしに慣れてわびしも
浄土にて 会わんとぞ思う我が妻よ 老醜我を見紛うなかれ
これからは 黄泉路のほかに我が妻と 添う術なくて独り老いゆく
おばあちゃんが亡くなってから16年。
今きっとおじいちゃんとおばあちゃんは久しぶりの再会をして、
二人が一番幸せだった時代の姿で過ごしているでしょうね。
私が初めての出産をして、長男に「青葉」という名前をつけたら
「青葉 は6月の季語だからぴったりだね」
と言ってくれたおじいちゃん。
おじいちゃんの短歌のなかには
「青葉」「若葉」という言葉がよくでてきます。
これは完全に偶然ですが、子供たちにこういう名前を付けてよかったな と思っています。
これからは、心の中のおじいちゃんに、私の幸せな姿をみせていけたらいいな。
「正しい人であること」「本を読むこと」
これを心がけて生きていきたいです。
おじいちゃん、ありがとう。
おつかれさま。