運命の人 2

運命の人 2

ブグ                    ツインソウルとは、もともと一つだった魂がこの世で魂を磨くためにより多くの経験を積んで、魂が進化を遂げるようにするために、この世に生まれる際に二つに分かれたものと言われているそうです。            

  • ◇第71回アカデミー賞受賞式は1999年3月21日にロスのドロシー·チャンドラー·パビリオンで開催されました。主演男優賞受賞者はロベルト·ベニ―ニ(ライフ·イズ·ビューティフル)。彼のスピーチです。   
    ★ありがとうございます。これは大いなる間違いです。だって私は全ての英語を使い切ってます。私は全ての感謝の気持ちを表現することができません。なぜなら今私の体は、全身あまりの爆発的な歓喜によって打ち震えているからです。(中略)あなた方は本当に····雪のようにとても繊細で、優しく、親切な、私が決して心の底で忘れられない方々です。(中略)グラッチェ、イタリア、グラッチェ、アメリカ。この国から多くの物を得ました。大変感謝しています。(中略)ありがとうございました。どうもありがとうございました。ありがとうございました。

◇タニア·ルナは自らを『サプライズ学者』と読んでいます。サプライズ·インダストリーズの共同設立者兼CEOであるルナは、どうすれば人を喜ばせることができるか、不確実な状況で個人やチ―ムが成功し、それを乗り越えるために必要な絆を育むにはどうすればよいか、ということについて深く考えています。彼女のスピーチです。

★5歳の私にはとても自慢したいことがありました。父が私達が住むウクライナの小さな村で、一番素敵な屋外トイレを建てたんです。中は地面に大きなイヤな匂いのする穴が開いているだけ。でも外側はパ―ルホワイトの化粧板が文字通り陽の光を浴びて、輝いているんです。それがとても誇らしくて、とても偉くなったような気がして、私は自ら仲良しグループのリ―ダ―になって使命を課しました。そして近所の家々をウロついて、蜘蛛の巣に捕まったハエを見つけては逃がしていました。その4年前私がまだ1歳だった時、チェルノブイリの事故の後黒い雨が降ったと思ったら、姉の髪の毛がごっそり抜けて、私は9ヶ月入院しました。                                 
病院は面会謝絶だったので、母はそこで働く関係者を買収して看護師の制服を手に入れました。そして毎晩病室にもぐり込んでは私のそばについていてくれました。それから5年後、突然雲の切れ間から光が射して、チェルノブイリのおかげでアメリカに避難することになったんです。6歳になった私は故郷を離れてアメリカに向かう時も、泣きませんでした。だってそこには珍しい物や素敵な物、バナナやチョコレートが満ち溢れているんですもの。そしてバズ―カバブルガム、漫画が描かれた小さな紙に包まれたバズ―カバブルガム、ウクライナで貰えるのは1年に1度、そして1個のガムを1週間噛んだものです。       
ニュ―ヨ―クに到着した最初の日、祖母と私は1セント硬貨を見つけました。家族で滞在していたホ―ムレスのシェルターの床に落ちていたんです。ただしそこがホ―ムレスシェルターだとは知らなくて、てっきりやたらとネズミが多いホテルだと思っていたんです。その床で化石のような1セント硬貨を見つけて、どこかのお金持ちが置いていったに違いないと思っていました。だって普通の人がお金を失くすなんて有り得ないから。その硬貨を掌に握りしめると、ベタベタして錆び付いていたけど、まるで大金を握っているような気分になって“よし、このお金でバズ―カバブルガムを買おう”そう決心しました。まるで大金持ちになったような気がしました。その約1年後、また同じような気持ちになりました。ゴミ捨て場でぬいぐるみがいっぱい詰まった袋を見つけて、突然それまでで1番たくさんのおもちゃを手に入れたんです。そして再びこんな事がありました。

当時住んでいた・・ブルックリンのアパートのドアを叩く音がして、開けてみたらピザの箱を持った配達の人が立っていたんです。ピザなんて注文していないのに、姉と私はピザを受け取ると生まれて初めてのピザを玄関先で配達の人が見つめる中、1枚また1枚とむさぼるように平らげました。彼は代金を払えって言ったけど、私達は英語が分からない。そこに母が出て来たんです。だけど持ち合わせがない。母はバス代を節約するために家から職場まで、50ブロックの距離を毎日歩いて往復していました。その時別の部屋の住人が出てきたと思ったら、見る間にその顔が怒りで赤くなっていきました。下の階の移民の家族がどういう訳か自分のピザに手を付けたわけだから、(笑)その場は大混乱。でもあのピザの味は格別でした。(笑)それから暫くの間、自分達がいかに貧しいか気付きませんでした。アメリカに移住して10年経った頃、最初に泊まったあのホテルを予約してお祝いすることにしたんですが、フロント係が笑って言ったんです。「ここは予約できないよ。ホ―ムレスのシェルターだから」。家族皆ショックを受けました。私の夫ブライアンも子供の頃はホ―ムレスでした。 


彼が11歳の時一家が全てを失って、父親とモ―テルで暮らすようになりました。そこでは持っている食料を全て没収されて、部屋代を払うまで 返してもらえなかったそうです。ある時彼がやっとの思いでコ―ンフレ―クの箱を取り戻すと中にはゴキブリがウジャウジャ、そんな中彼が大切にしてるものがあったんです。片時も離さなかったその靴箱の中には、9冊の漫画とスパイダーマン仕様のGIジョ―が2体。それとロボットが5個、それが彼の宝物だったんです。彼が集めたヒ―ロ―達、そのおかげでドラッグや非行に走らず夢を持ち続けることができたんです。もう一人、かつてホ―ムレスだった家族の話をしましょう。スカ―レットです。その昔スカ―レットは闘犬達の“噛ませ犬“でした。鎖に繋がれ闘犬達のリングに投げ込まれ、噛まれることで闘犬達の闘争心を煽っていたんです。今彼女はオ―ガニック食品を食べて、名前入りの整形外科用ベッドで寝ています。(笑)

でも今だにボウルに水を入れてあげるだけで、こちらを見上げて嬉しそうに尻尾を振るんです。時々ブライアンと、スカ―レットを連れて公園を散歩します。彼女が芝の上を転がって、そんなあの子の様子をただ眺める。
そして思わずお互いを見詰め合う。それだけで感謝の気持ちでいっぱいになります。そんな時は、今や中流階級となって感じる不満や失望感もすっかり忘れて、気分はまるで億万長者です。ありがとうございました。(拍手)(歓声)