一発逆転的な発想 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

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昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

高校時代、失意の中で過ごした。

さらに大学受験に失敗し、1浪したとき、その失意はさらに大きなものとなった。


そんななかで生まれたのが「一発逆転的な発想」である。

これも異常性癖に次いで自分を支配している。


前述したが、高校時代はおよそ高校生とは思えないほど卑屈な生活を送っていた。

共学に行きたかった、男子校を辞めたかった。

たったこれだけが自分を卑屈にしたのである。


共学に行った奴らが彼女を作ったり、バレンタインやクリスマスを楽しんだりする姿を想像し、妬んでいた。

羨ましさが妬みに変わり、妬みが恨めしさに変わり、本当に恨めしくて恨めしくてどうしようもなかった。

この恨めしさをを払しょくするにはどうすればよいか。

これを払しょくするためには失ったものに匹敵するくらいの成果を上げればいいと考えるようになった。

成果を上げれば自然と自分の周りに女子が集まり、失った高校時代を取り戻せると信じ込んだ。


それが大学受験である。


おりしも世は女子大生ブームで、いわゆる3高的な発想が生まれ始めたのもこの時期である。

高学歴を身につければ、女子は周りに寄ってくる。

良い大学に行ければ人生逆転できると思い込んだ。


だが、高校時代、自分はほとんど勉強していなかった。

卑屈な毎日を送っていたので、勉強なんてする気が全く起きなかった。


高校3年になったとき、さすがに親からうるさくいわれるようになった。

なので、高校3年のときはその前の2年間に比べ、「多少は」した。

多少というのは今振り返ってみてそう思うのであり、その当時は精いっぱいやっていた。


しかし、今思えば、信じられないくらいの要領の悪い勉強法だった。

日本史を選択していたが、縄文時代の勉強に1カ月費やしたり、教科書をそのままノートに書きうつしたり、とてつもなく要領が悪かった。

はっきり言って勉強というより作業だった。

作業をやることで満足していた。


そんな作業では成果が上がるはずもなく、予備校の模試では第一志望は常に不合格判定だった。

ひのえうま世代であり、受験は比較的楽な世代に生まれていたのにもかかわらず、模試ではどの大学も不合格判定だった。

ただ、あまり落ち込んでいなかった。

というのも予備校の模試なぞに一喜一憂してはいかんという誰かの言葉を都合のいいように解釈して、気にしないようにしていたからである。


当然、そんな要領の悪い勉強をしていても成果など生まれるはずもなく、第一志望校どころか、第三志望も不合格だった。かろうじて第四志望の大学には受かったが、そのときは行かなかった。

現役受験の時の心境についてはまた別の機会に書くことにする。


そして自分が不合格でもあまり落ち込まなかった。

受験前にどうせ落ちるだろうと思ってしまったのが大きいが、うちの父も大学受験に1浪しており、1浪くらい仕方ないという思いもあった。この点についても別の機会に詳述する。


しかし、自分の不合格よりもショックな事実があった。

それは、同級生のチャラチャラしたクズが自分より偏差値の高い大学に受かったことだ。


あんなチャラ男が受かるのになぜ俺が落ちるのか。

高校時代ナンパに明け暮れ、彼女を作り、セックス話にうつつを抜かし、2度も停学したあのクズが、である。


この事実を自分のなかで整理ができなかった。

だから、嘘だと信じ込んで、そのときは忘れようとした。


しかし、消化したと思ったその事実は、卑屈な自分には当然消化できず、鬱屈した状態で大きくなり、そして醜く腐敗し、さらに自分を卑屈にさせたのである。


その醜く腐敗した感情がその後の自分の人生の素地となったのである。

※他にも自分を卑屈にさせた事実がこの時ほかにいくつかあったが、すべてを書くと書ききれないので別な機会に詳述する。